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星の進路  作者: 春凪とおる
第1章 星が示したのは麦畑だった

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第2話 星読みの夜

星見の塔の内側は、外から見るよりも広かった。

黒石で組まれた円形の部屋は、床も壁も天井も夜を固めたような色をしている。


石の継ぎ目には銀の線が走り、床の中央には大きな星図が刻まれていた。

無数の星、細い軌道、古い文字。

百代の女王が立った場所だと聞いていた。


足を踏み入れた瞬間、アステルはそれがただの儀式の間ではないと知った。

ここには、長い時間が沈んでいる。


壁際には十二の燭台があり、青白い炎が揺れている。

炎なのに熱を感じない。


香の匂いは薄く、かわりに湿った石と古い金属の匂いがした。

床の星図の外側には、百の小さな銀冠が埋め込まれていた。


ひとつひとつに代数が刻まれている。

初代、二代、三代。数は円を描くように続き、第百代の冠で止まっていた。

その隣だけが、まだ空いている。


第百一代。

アステルは無意識にそこを見た。

空白の黒石は、何かを待っているようだった。


かたわれ。

幼い頃、その言葉は美しいものだった。

自分を見つけてくれる者。自分と並び立つ者。

暗い夜に、ひとりではないと知らせてくれる者。


だが今は違う。かたわれは、女王の進路を決める。

誰が隣に立つかで、貴族の勢力が動く。

神殿の発言力が変わる。騎士団の忠誠の形が変わる。


星は、政治でもある。

ユーリス卿ならそう言っただろう。


鐘の余韻が遠くで消えた。

その沈黙の中で、床の銀線がかすかに光りはじめた。


細い線が月光を受けた水のように淡く輝く。

壁の古文字がひとつ、またひとつと明るくなる。

燭台の青い炎が高く伸び、風もないのに一斉に同じ方角へ傾いた。


塔が動き出す。

天井の奥で、重い音がした。

石と鉄がゆっくり擦れる音。長く閉じられていたものが開く音。


天窓が開いていく。

黒い天井が円形に割れ、夜空があらわれた。


王宮の窓から見る星とは違った。

塔の天窓に切り取られた空は深く、近く、手を伸ばせば指先が冷たい光に触れそうだった。

月は細く、ほとんど刃のように東の空へ傾いている。


アステルは星図の中央に立った。

目を閉じてはならない。星は見つめ返す者にしか道を示さない。


「私は、アステル・デ・ヴェルタ」


声は自然に出た。


「百代続くヴェルタ王国の、第百一代女王候補。

 星よ、私の進路を示してください。私のかたわれを、照らしてください」


床の星図が強く光った。

その瞬間、アステルは自分の身体が軽くなるのを感じた。


足は石の床に触れている。

けれど意識だけが、塔の上へ、王宮の上へ、王都の上へと引き上げられていく。


王都が見えた。

夜の王都。白い王宮。


神殿の尖塔。騎士団の訓練場。

貴族街の屋根。商人街の赤い灯。

川沿いの倉庫。城門の上に立つ兵。


すべてが星の光の下にあった。

ひとつの星が動いた。


北の空で、青白い光がわずかに震える。

ほかの星々は静かに瞬いているだけなのに、その星だけが夜空に細い線を引きはじめた。


導き星。

アステルのかたわれを示す星。


星はまず、王宮の上へ落ちるように近づいた。

王宮か。そう思った。

広間の外で待つ者たちも、きっとそう願っている。


王宮の中にいる誰か。

身元が確かで、血筋が近く、女王候補の隣に立つにふさわしい者。


星は王宮の尖塔を照らした。

だが、留まらなかった。


光は白い屋根を滑り、神殿の天盤を照らした。

そこでも止まらない。

次に騎士団の砂地を照らし、政務院の屋根を越えた。

貴族街の邸宅を越え、商人街の灯を越えた。


王都の城壁が近づく。

東門。


星の光は、門の上を何事もないように通り過ぎた。

王都の外へ。


「待って」

声が漏れた。


星は待たなかった。

街道を東へ進む。夜の野を越え、川を渡り、低い丘をなぞる。


宿場町、橋、冬枯れの林、凍った水路。遠くに眠る村の灯。

地図でしか知らない土地が、星の光の下で広がっていく。


泥の色がある。屋根に積もる霜の白さがある。

畑の黒い筋がある。水路の冷たい光がある。


星は山へ向かわない。

砦へも向かわない。辺境伯の館へも向かわない。

ただ、夜の畑へ降りていく。


暗い大地に、冬の麦が低く生えていた。

青みを帯びた細い葉が、夜風に揺れている。

畑の脇には水路があり、その横に粗い石垣が続く。


小さな農家の窓から、橙色の灯が漏れていた。

星は、その麦畑の上で止まった。


アステルは呼吸を忘れた。


王宮でもない。

神殿でもない。

騎士団でもない。

星が示したのは、東方辺境の麦畑だった。


(麦畑……?)

(なぜ、そんな場所なの)

(星は、間違えることはないの?)


農家の戸口が開く。誰かが出てくる。

若い影だった。外套も羽織らず、寝間着の上に古びた上着を引っかけただけのような姿。


手には小さな灯りを持っている。

まだ顔は見えない。


風が吹いた。

麦の葉が、一斉に鳴った。

その音が、塔の中まで届いた気がした。


光が弾ける。


アステルは星図の中央に立っていた。

黒石の壁。青い燭火。開いた天窓。


胸元の星石は、まだ淡く光っている。

床の銀線は、ひとつの方角を指していた。


東。

扉の向こうで、神官たちの祈りの声が聞こえ始めた。

儀式の終わりを告げる歌だ。


扉が開かれれば、皆が問うだろう。

どこの家の方ですか。


神殿ですか。

騎士団ですか。

王都のどなたですか。


アステルは胸元の星石を握った。

石はもう冷え始めている。


けれど手のひらには、麦畑の夜風が残っていた。

あれほど遠い場所が、胸の奥ではなぜか近く感じられた。


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