第36話 星読みは誰のために
百代目の原記録を確認した翌朝は、春の雨が降っていた。
再儀式の条件を決める会議が開かれた。
窓を雨が打つ中、神官たちは長机を囲んだ。
アステルは席に着く前、星図の縁へ指を置いた。
新しい羊皮紙で補われた部分と、古い部分の黄ばみの境がはっきり見える。
欠けていた箇所へ引き直された線は細く、光の加減によっては傷のようだった。
昨日見た原記録にも、同じような傷があった。
そこには本来、母を取り上げた助産師の名があった。
削り跡の上へ別の名が書かれ、長い年月の間、
それが最初からの記録として扱われてきた。
直された星図を見ても、アステルには修復より、
消されたものの輪郭の方が強く見えた。
高い天井の下に、香の煙が薄く漂っている。
長机には神官たちが並び、中央には修復された星図が置かれていた。
「次の新月までに行うべきです」
若い神官が言った。
「誤った読みを正し、正しい形へ戻さなければなりません」
「正しい形とは?」
アステルが問う。
「王宮と神殿が認める形です」
若い神官は視線を落としたが、年長の神官が代わって口を開いた。
伝統を守ることは、王宮の都合に従うこととは違う、
と彼は言った。
決められた順序を崩せば、同じ星を見ても百人が百通りに語り、
星読みそのものへの信頼が失われる。
別の神官は、信頼を守るために異論を消した結果が
百代目の改変ではないかと返した。
さらに一人は、今日ここで結論を出すべきではなく、
原記録の鑑定と東方からの返事を待つべきだと述べた。
立場は三つだった。
形式を守る者、異なる読みも記録する者、判断を急がない者。
誰も過去の改変を肯定はしなかった。
だが何を変えれば、改変を繰り返さずに済むかについては、
同じ言葉を持っていなかった。
「その形を守るために、誰を壇上から外すのですか」
アステルが問うと神官の口が閉じた。
再儀式そのものには、大きな異論はなかった。
問題は、何を読み、誰を壇上に立たせ、何を民へ示すかだった。
カイを正当な協力者として認める案に、年長の神官たちは強く反対した。
「身元の定かでない者を星見の塔へ入れれば、儀式の権威が損なわれます」
「身元が定かでないから、彼の言葉は誤りになるのですか」
「そうは申しません。しかし順序があります」
アステルは、正しさという言葉が広間を一巡するたび、
少しずつ意味を変えるのを感じた。
神官にとっては受け継がれた手順であり、王宮にとっては国を揺らさない結論だった。
記録係にとっても後世に説明できる形だった。
では、星盤に示された本人にとっては何なのか。
だが、その答えを確かめる相手は、この場にはいない。
誰もカイへ尋ねていなかった。
百代目の記録が変えられた時も、名を削られた助産師は同じように不在だったのだろう。
「その順序で、百代目の記録は削られたのではありませんか」
室内の空気が硬くなった。
オルフェはアステルを止めなかった。
だが、賛同もしない。机上の星図を見たまま沈黙している。
「記録の話を公にするおつもりですか」
「公にするかどうかを決める前に、
あなた方が何を正しいと呼んでいるのか知りたいのです」
神官たちの意見は割れていたが、カイ本人の意思を最初に問う者はいなかった。
アステルは、麦村で泥に汚れていたカイの手を思い出した。
若い神官は、その手を儀式にふさわしくないと言った。
けれど、星盤が示したのは、儀式のために清められた手ではない。
麦を育て、水門を動かしてきた、カイ自身だった。
アステルは星図へ視線を落とした。
線の何本かは修復されている。
修復前に消されていた線が、どのような意味を持つのかはまだ分からない。
百代目の記録も同じだった。
形を整えることと、元に戻すことは違う。
元の形そのものが、すでに誰かの都合で作られていたかもしれない。
「星が彼を示したことと、彼を塔へ入れることは同じではありません」
年長の神官は言った。
「反応は神殿が読み、本人には結果を伝えればよい」
「本人を外に置いたまま、彼が何者であるかを決めれば、
私たちはまた、記録に都合のよい名だけを残します」
アステルは声が強くならないよう、息を整えた。
目の前の神官を黙らせても、カイが物のように扱われる構図は変わらない。
「カイ本人が同意するなら、彼を締め出したまま再儀式は行いません」
アステルが言うと、複数の神官が同時に身を動かした。
「本人の立ち会いを認めれば、今後も星盤に示された者すべてへ
同じ権利を認めることになります」
「今回だけ例外にするのではありません。
本人に関する儀式へ、本人の同意を必要とするのです」
オルフェが口を開いた。
「参加を決める前に、カイ本人へ儀式の目的、危険、
記録の扱い、退出の条件を説明しなければなりません」
「彼が拒めば?」
「拒否した事実は記録します。
理由は、本人が記録を望んだ場合に限ります」
オルフェは、条件書に加える項目を一つずつ読み上げた。
儀式の目的と危険を事前に説明すること。
本人の言葉は異論も含めて記録し、途中で退出を望めば儀式を止めること。
参加を拒んでも不利益の根拠にしないこと。
そして参加は、王都への忠誠にも、
儀式後の拘束にも同意したことにならないこと。
条件が増えるたび、神官たちの表情は険しくなった。
それでもオルフェは削らなかった。
「神殿が管理するのは手順です。
本人の意思まで管理することではありません」
再儀式の記録には、結論だけでなく、
異論と採用されなかった意見も残すことになった。
オルフェは、神殿に不利な記録になると警告したが、
記録方法を守る責任は引き受けた。
アステルは、カイへ送る説明書を読み直した。
再儀式へ応じるか。王都へ来るか。
二つは別の問いとして記されている。
文面は慎重だったが、慎重であるほど、
これまで誰かの同意を省いてきた事実が浮かび上がった。
「これは命令ではありませんね」
「はい。条件を示した招請です」
オルフェの返事に迷いはなかった。
だが招請という言葉が、王宮の印を押された瞬間に命令へ変わることもある。
アステルは封蝋の横へ、自筆で一文を加えた。
来ないことを選んでも、その選択を罪としない。
条件書と招請は、その日のうちに麦村へ向けて発送された。
だが東方へ続く道は嵐で切れ、通常七日のところ、いつ届くかも分からない。
本人不在で本人を示す星を読まない。
そう決めても、本人へその選択肢が届かなければ、同意は得られない。
春の雨は、東方へ続く道を濡らし続けていた。




