↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星の進路  作者: 春凪とおる
第3章 王宮は星を疑う

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
22/43

第22話 ふさわしくない者

翌日の広場には、濡らした縄と切り出した板が並べられていた。

使者が帰路につく前に、北側水路の状態を確認したいと言い出したためだ。

使者は王宮へ持ち帰る記録として寸法を書き、ガラードは古い修繕箇所を示した。

ミレイは、集まった村人へ湯を配る指示を出していた。


カイは板の端を鉈で削っていた。

乾いた木の匂いが、煮出した薬草の匂いに混じる。

神官たちは泥を避け、石を選んで立った。


「この板を二枚足せば、冬前までは保ちます」


カイが説明すると、使者は膝を折って木目を確かめた。


「王都へ連絡を入れれば、技師を――」

「着く頃には凍ります」


返答が早すぎたのか、若い神官が不快そうに眉を上げた。


「使者殿の話を遮るものではない」


カイは鉈を置いた。

「失礼しました」


声に棘はなかった。

それがかえって神官を苛立たせたらしい。

昨日から、彼はアステルを見るたびに表情を硬くしていた。

衣の泥はねを払いながら、吐き捨てるように言った。


「そもそも、水路番の息子を女王候補の片翼と認めること自体、

 早計ではありませんか」


鉈の刃から、薄い木屑が一枚落ちた。

荷を抱えていた女は足を止め、子どもを自分のそばへ寄せた。


ガラードは一歩出かけ、踏みとどまった。

使者は書きつけていた筆を上げたまま、神官を見た。

誰もすぐには声を出さなかった。


カイは削りかけの板を地面へ静かに置いた。

ひどく丁寧な動きだった。

彼はアステルから視線を外し、平らな声で言った。


「水路のことは、父から聞いてください。

 修繕の経緯は村の帳簿にもあります」

「待ちなさい」


静まり返った広場に、アステルの声が通った。

カイの肩がわずかに固くなった。

それに気づいたのに、止まれなかった。


「今の言葉を取り消してください。

 カイの生まれや暮らしを理由に、

 ふさわしくないと決めつけることは許しません」


神官は一瞬、言葉を失った。


「殿下、私は、その、星見の塔の権威を案じて――」

「権威を案じれば、人を侮ってよいのですか」


村人たちの視線が、神官からカイへ移った。

庇う言葉を重ねるほど、カイは「庇われなければ立てない者」として

輪の中心へ押し出されていく。


ミレイがアステルを見た。

その目には、理解と制止が同時にあった。


「謝罪なさい」


神官は唇を噛んだ。

やがてカイへ向き直り、形どおりに頭を下げた。


「不適切な発言だった。失言を詫びる」

カイは答えなかった。


失言。心にない言葉が偶然生まれたのではない。

隠しておくべきだと知っていた言葉が、怒りに押されてこぼれたのだ。


神官は謝罪のあともカイを正面から見ず、泥のついた板へ目を落としていた。

周囲の者も、彼を責める声を上げなかった。


王宮から来た神官を敵に回したくない者も、胸のどこかで同じことを思っていた者もいた。

カイへの侮辱より、今冬の水を案じる者もいた。

それぞれの沈黙が広場に重なった。


使者が記録帳を閉じた。

「本日の確認は、ここまでにしましょう」


人々が散ったあと、板は置かれたままだった。


カイは別の水門へ向かった。

アステルの腹の底には怒りが残り、

同時に、自分が何かをさらに悪くした感覚があった。


井戸端では、女たちが声を落として話していた。


「殿下が言ってくれてよかった」と言う者の隣で、別の女は

「けれど王宮へ逆らったと思われたら」

と桶の取っ手を握り直した。


昨日、カイを連れていかれるのではと口にした老人は、

今日は彼と目が合う前に道を曲がった。


侮辱したのは神官一人だった。

だが、その言葉によって、村の者が口にせずにきた判断まで浮かび上がった。




使者は出立を半日延ばし、代理神官との話し合いに時間を取った。

閉じた戸の向こうから内容は聞こえなかったが、若い神官は叱責されたのだろう。

彼の目は赤かった。アステルはそれを後悔の証と信じたくなった。


しかし彼が気にしていたのは、後悔ではなく、

自分の発言が王宮へどう報告されるかだったのかもしれない。

確かめる勇気は、その時のアステルにはなかった。




村長宅で夕食を取るころ、カイは炊き出しの椀を受け取っていたが

広場の話には触れなかった。

子どもたちが騒ぐと笑い、老人に頼まれた縄の編み方を見せた。

その平静さが、アステルには痛々しく、拒絶にも見えた。




翌朝は霜が薄く降りた。

夜明け前の水路で、カイは昨日の板を一人で据えていた。

アステルはガラードを伴って水路へ向かったが、彼は槌を振る手を止めなかった。


「昨日は、ごめんなさい」

「殿下が謝ることじゃないです」

「庇ったことを怒っている?」


槌が杭を打つ。

二度、三度。水鳥が驚いて飛び立った。


「あそこで何も言わなければ、それも違ったと思う。

 でも私は、あなたをみんなの前に立たせた」


カイは槌を下ろし、息を吐いた。

白い息がすぐに消えた。


「気にしてる暇がない、の方が近いです」

「気にしていないわけではないのね」

「つらいです。でも水は分けます」


それは強さを誇る言い方ではなかった。

つらさと仕事を、同じ両手で持つしかない者の声だった。


カイは三年前の夏のことを話した。

雨が少なく、上流の畑へ水を回せば下流の豆が枯れた。

下流を優先すれば、翌年に播く麦の種さえ取れなくなる年だった。


水路番の父が熱を出し、十八だったカイが水門を任された。

夜ごと畑を歩き、土を握り、時間を決めて板を動かした。


「下流の人に、『お前が決めるな』って言われました。

 十八の若造に、畑の生き死にを決められるかって」

「それで、どうしたの」

「次の日も板を動かしました」


「反論しなかった?」

「しましたよ。俺が決めたくて決めてるんじゃない。

 代われるなら代わってくれって」


カイは杭へ目を戻した。

「そしたら、誰も代わらなかった」


水面に朝日が差し、震える銀色の筋が走った。

カイは冷えた指を口元で温め、杭の傾きを確かめた。


「ふさわしい人が来るまで待っていたら、水は止まってくれません。

 必要だから、誰かがやる。それだけです」


アステルは王冠を思った。

血筋、礼法、星のしるし。


王宮では、誰がふさわしいかを決めるため、数えきれない言葉が費やされる。

けれど国のどこかでは、選び終える前にも水が流れ、税の期日が来て、春が近づく。


「必要なら、ふさわしくなくても役目を担うべきなの?」

「知りません。俺は王冠をかぶったことがない」


思わず彼を見ると、カイは少しだけ口元を緩めた。

だが、冗談で答えを逃れたわけではなかった。


カイの言う「必要」は、王冠への答えにも思えた。

それだけでは足りなかった。


水門を任された少年は逃げなかった。

そのために浴びた言葉まで、必要だったから仕方がないと

片づけてよいはずはなかった。




村へ戻る道で、昨日の若い神官とすれ違った。

彼はアステルには深く礼をし、カイには浅く頭を下げた。

カイも同じ深さで返した。

礼の形は整っていたが、二人の間の隔たりは何も埋まっていなかった。


広場では、昨日置き去りにされた木屑が、朝露を吸って土へ張りついていた。

アステルは拾おうとして、手を止めた。しばらく、その場に屈んでいた。

背後では、水路の板を打つ音が一定の間隔で続いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。