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星の進路  作者: 春凪とおる
第3章 王宮は星を疑う

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第23話 星読みの異議

異議の書簡を運んできたのは、先の王宮の使者ではなく、

南の宿駅から、馬を替えずに走ってきた神殿付きの伝令だった。


昼を少し過ぎた頃、馬は広場へ入るなり膝を折りかけた。

少年も鞍から降りるより先に滑り落ち、泥に片手をついた。

息を整える間もなく、油布に包んだ細長い箱を神官へ差し出す。


封は星見の塔のものだったが、赤い糸が二重に巻かれていた。

再検討を要する書面の印だと、アステルは王宮で教えられていた。


書簡の日付は、先の使者が王都を発つより前だった。

麦村からの最新の報告が届くより早く、王宮ではアステルの知らない議論が進んでいた。


一行の逗留先へ集まった神官たちは、封を見るだけで顔色を変えた。

若い神官は「まさか」と呟き、年長の神官は窓と戸を閉めるよう命じた。


油布には馬の汗と雨の匂いが染みついている。

箱の中の紙だけが不自然なほど乾き、白かった。


異議申立ては丁寧な文章で、冷たく三つの可能性を挙げていた。

候補者の心理的動揺が星図の読み取りに影響した可能性。


東方辺境の麦畑はかたわれの所在ではなく、豊穣あるいは王国の民を示す象徴である可能性。

そして、誤読を排するための再儀式の必要性。


「誰がこのような――」

若い神官の声を、年長の神官が手で制した。


連署には、星見の塔の長と三人の高位神官の名があった。

アステルは上から下まで二度読み、もう一度、余白まで確かめた。

神殿長オルフェの名がなかった。


星読みの夜、彼女の手を取って円環へ導いた老人。

星図に麦の穂が浮かんだ時、騒ぎ立てる神官たちを黙らせ、

「見えたものを、見えなかったことにはできぬ」

と言ったオルフェ。


その名がないことは、少なくとも全員の意見が一致していないことを示していた。

神殿の中で意見が割れているのかもしれない。

誰も彼の名を口にしなかった。


「再儀式など必要ありません」


アステルは紙を卓へ置いた。

指先が震えていることを怒りのせいにした。


「星図は皆が見ました。

 私一人の思いで描き変えられるものではありません」

「異議は、星図そのものではなく解釈へ向けられています」


年長の神官は慎重に答えた。


「殿下が麦畑を望んだため、その像へ意味を与えすぎたのではないか、と」

「私が望んだ? 私は麦村の存在さえ知らなかったのに」


声が高くなった。

少年が壁際で肩をすくめた。

アステルはそれに気づき、唇を閉じた。


その夜に何を望んでいたのか。知らなかったわけではない。

星読みの間へ入る前、廊下には何十人もの貴族がいた。

彼らの期待は声にならず、衣擦れと香水の匂いになってアステルを囲んだ。


女王候補として待たれ続ける疲労。

王宮のどこへ行っても評価され、答えを求められる息苦しさ。


円環の中央に立った時、一瞬だけ、王冠から降りたいと思った。

星が王宮の塔ではなく、見知らぬ麦畑を示した時、

胸に最初に満ちたのは使命感ではなかった。

安堵だった。


ここではない場所へ行ける。王宮から離れられる。

その思いを、アステルは星の命令に従ったのだと言い換えていた。


再儀式で別の結果が出れば、王宮へ戻れる。

カイを巻き込まず、村の問題を背負わず、

星が誤ったのだから仕方がないと言える。

ほんの一瞬、肩から重みが消えた。

そう感じた自分を、アステルは認めたくなかった。


部屋を出たアステルは、夕方まで誰とも話さなかった。

麦畑の縁を歩き、伸び始めた葉に触れた。細い葉先が指の腹をかすめた。


星の象徴にすぎないと言われても、目の前の畑は変わらずそこにあった。

麦倉の前でカイに見つかった。彼は帳簿を抱え、粉のついた肩を払っていた。


「殿下は、見間違えたと思ってるんですか」

「あなたまでそう言うの」


反射的な苛立ちだった。カイの眉が寄った。


「そうは言ってません」

「なら、何を聞きたいの。

 私が怖がって星を曲げたか、王宮から逃げるためにあなたを選んだって?」


カイは黙った。問い詰められているのは彼ではない。

それが分かるほど、アステルは腹立たしくなった。


「見間違えていない。星図は確かに麦畑を示したわ」

「星図じゃなくて、殿下がどう思ってるかを聞きました」

「同じことよ」


言い切ったあと、自分の声が空虚に響いた。

カイは帳簿を抱え直した。急かさず、慰めず、ただ待った。


麦倉の中で鼠が何かを引っかく音がした。

遠くで父親を呼ぶ子どもの声がした。

アステルは息を吸い、吐いた。


「違う。……同じではない」


喉の奥が痛んだ。


「……分からない」


カイは目を伏せた。

勝ち誇りも失望もなかった。


「星が間違ってたとしても、それは消えません」

「何が」

「殿下がここで見たものです」


言われた途端、断片が蘇った。

泥で濁った水路へ腕を差し入れた時の冷たさ。


橋の裂け目から見えた、増水した川の茶色い泡。

麦倉で帳簿をめくる村長の爪に入り込んだ黒い土。


カイの父が夜中に咳き込み、薄い壁の向こうで息を整える長い間。

数字の合わない頁を、カイが指で押さえていたこと。


「星が間違っていたなら、

 私が来たことで余計な混乱を持ち込んだことになる」

「そうかもしれません」


あまりにあっさり認められ、アステルは顔を上げた。


「王宮の人が来て、帳簿を出せと言った。神官は俺を侮った。

 村では、殿下が俺を連れていくかで揉めてる。

 来なかった方が静かだったでしょう」

「なら、消えないことが何になるの」


「分かりません。でも、水路が壊れてたことも、橋が落ちたことも、

 親父が咳をしてることも、星が正しかったから起きたんじゃない」


カイの声には確信より疲れがあった。

彼も答えを持っているのではない。

ただ、自分たちの暮らしを、

遠い神殿の正誤で存在したり消えたりするものにされたくないのだ。


「殿下が見たことをどうするかは、星じゃなくて殿下が決めることだと思います」


アステルは救われなかった。

むしろ、逃げ道を一つ塞がれた気がした。


星が正しければ従えばよい。星が誤れば帰ればよい。

そのどちらでもなく、見たあとの責任だけが自分に残る。




夜、返書を書くために卓へ向かった。

蝋燭の炎は隙間風のたびに細くなり、紙の上で影が揺れた。


最初の紙には、再儀式を拒むと書いた。

星見の塔が自らの儀式を疑うなら、その権威こそ問われるべきだ、と続けた。


三行読んで、感情的すぎると気づいた。

墨が乾く前に線を引くと、紙が毛羽立った。


二枚目には、王宮の命に従い、速やかに帰還すると書いた。

筆は滑らかに進んだ。

その文章は、幼い頃から教えられた模範どおりだった。


だからこそ恐ろしくなった。

これを出せば、泥の水路も、橋の裂け目も、

提出をためらわれた帳簿も、すべて「調査中の見聞」として棚へ納められる。


紙を替えた。

指が震え、筆先から墨が一滴落ちた。


アステルはオルフェの顔を思い出した。

深い皺の間に疲れをためながら、彼は

「星は答えではなく、問いを照らすことがある」

と言った。

あの言葉さえ、今は自分に都合よく思い出しているのかもしれない。


三枚目では、再儀式に条件を付けようとした。

立会人を増やすこと、記録を公開すること。

書き連ねるほど、怖れを規則の形へ隠している気がした。

破りはしなかった。脇へ置いた。


外で風が鳴った。

屋根裏から落ちた埃が、紙の端についた。

アステルは手を伸ばしかけ、そのままにした。


四枚目を前に、長く手を止めた。

再儀式を受ければ、今度こそ別の答えを望んでしまうかもしれない。

拒めば、自分の最初の読みだけを守ろうとしたことになる。

どちらにも恐れが混じっていた。




夜半を過ぎて、ようやく書いた。


「再儀式には応じる。ただし、私は麦村で見たものを否定しない」


その下に、書簡を受領したこと、帰還の準備を始めること。

村の帳簿は住民の不利益を避ける方法を確認した上で提出することを記した。


読み返しても、迷いは消えなかった。

再儀式に応じるという一文は逃避にも見え、

否定しないという一文は、意地にも見えた。

封蝋を落とす手が震え、王冠の印が少し斜めになった。


アステルは押し直さなかった。

完璧に整えれば、この夜の迷いまでなかったことにしてしまう気がした。


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