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星の進路  作者: 春凪とおる
第2章 麦畑のかたわれ

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第15話 雨待ちの村

村では、晴れた日にも雨の話をしていた。


朝食の席で、竈の前にいた女が「西の風が弱い」と言った。

井戸端では老人が「山の雲が高すぎる」と首を振った。

水路脇を走る子どもまで、空を見上げて「今日は降らない」と言う。


王宮で雨は、行事を中止する理由だった。

庭を濡らし、馬車の車輪を汚し、来賓の外套を重くする。

ここでは、雨は暮らしの順番を決める。


「今年は悪くないと聞いたわ」


アステルが尋ねると、カイは水路に浮いた枯れ草を鉤棒で引き寄せながら答えた。


「今のところは」

「今のところ?」


「麦は刈るまで分かりません。

 春先の雨がずれれば、茎の伸び方も穂の入り方も変わる。

 水路で補える畑と、補えない畑もある」

「水路があるなら、雨がなくても」

「水路の水だって空から来ます。上流で雪が少なければ、春の水も減る」


アステルは流れを見た。

昨日まで目の前の水しか見ていなかった。

その水が山の雪や数日前の雨とつながっていることを、今さら思い知る。


「王都の帳簿には、収穫量だけが載るわ」

「その前の心配は載らないでしょう」


その日の午後、水の順番を決める集まりが開かれた。

広場の中央へ、使い込まれた木板が運ばれた。

板には村と畑、水路を表す線が刻まれている。


水を必要とする畑の位置へ、丸い石が次々と置かれた。

傷んだ水門の位置には、欠けた陶片が並べられた。


すると、木板の上に今日水を回すべき場所が浮び上がった。

村人が集まると、すぐに声が重なった。


「南を先にしてくれ。あっちは風で乾いてる」

「東は昨日から葉が寝てる。去年も後回しだった」


「西は水路から遠い。夜まで回さないと届かないぞ」

「上の家ばかり水を取ってるじゃないか」


誰も穏やかには話さない。

水が足りない時、譲ることは自分の麦を減らすことになる。


村長が咳払いしても声は収まらなかった。

カイは黙って一人ずつの話を聞き、木板の石を動かした。


「明日の朝は東。昼から南。西は明後日の雨を見てから」

「降らなかったら?」

「夜に回す」

「誰が水門を開ける」


「俺が開けます」

「お前は上の修理もあるだろう」

「昼までに終わらせる」

「終わらなかったら?」

「東を一刻、短くして南へ回す」


東の畑を持つ男が顔をしかめた。


「また東が削られるのか」

「雨が来れば削らない。

 来なければ、下へ一滴も届かなくなる前に分けます」


全員が納得したわけではない。

男は不満を隠さず、南の女も「一刻で足りるものか」と呟いた。

それでも集まりは終わり、村人はそれぞれの仕事へ戻っていった。


決定とは、皆が満足する答えではなかった。

足りないものをどう分けるか、引き受けることなのかもしれない。


「王宮では、こういう時どうしますか」

カイが木板を片づけながら尋ねた。


「担当者を集めて会議を開くわ」

「ここでも開きました」


「書面を作り、状況を確認し、責任者を定めて承認を取る」

「その間に畑が乾きます」


「だからといって、確かめず決めれば不公平になるでしょう」

「確かめても、水は増えません」


アステルは言葉に詰まった。


「あなたの決め方だって、東の人は不満そうだった」

「そうです」

「間違っていたら?」

「謝って、次の水で直す。でも麦が枯れたら、謝っても戻らない」


カイは正しいと信じているのではない。

間違うかもしれないまま、時刻までに決めている。




夕方、西の空へ灰色の雲が広がった。

誰かが知らせたわけでもないのに、村人たちが家の外へ出てきた。

洗い物をしていた女も、薪を運んでいた少年も、咳をする老人も。

皆が、同じ方角を見ている。


「分かる?」

隣でカイが聞いた。


「分からない」

「俺も外すことがあります」


「あなたでも?」

「空は王宮の帳簿より気まぐれです」


村人の何人かは桶を外へ出し、別の者は濡らしたくない薪に布をかけた。

期待しながら、外れた時の備えもする。


最初の一滴は、日が沈みきる前に落ちた。

アステルの頬へ冷たいものが触れる。

広場の土に黒い点が一つ、二つ増えた。

子どもが歓声を上げたが、大人はまだ空を見ていた。


やがて風が雲を東へ押した。

雨は屋根を濡らすほども降らず、止んだ。


失望の声は上がらなかった。

桶は黙って戻され、薪の布が外された。


人々は夕餉の支度へ帰っていく。

大きく嘆くには、こういう外れに慣れすぎているらしい。




夜、アステルは寝台の中で何度も目を覚ました。

風が屋根を撫でるたび、雨かと思って耳を澄ます。


遠くで水路が低く鳴り、誰かが水門へ向かう足音がした。

昼の決定どおり、夜の水を西へ回すのだろう。


雨を待つとは、ただ空を見上げることではなかった。

降らなかった時の順番を決め、眠る時間を削り、

不満を抱えたまま水を分けることだった。


夜明け前、カイが水門の板を動かす音だけが、三度、村に響いた。




朝、広場へ出ると、昨夜の水を受けた西畑の男がカイへ礼を言っていた。

その隣では、時間を削られた東畑の男がまだ渋い顔をしている。


納得したわけではなかった。

それでも二人は同じ水路の板を担いで歩き始めた。


アステルは村長に、雨量を測る記録はないのかと尋ねた。

村長が見せたのは、壁へ刻まれた短い線だった。

井戸の水位、山に雪が残った日、初めて蛙が鳴いた日。


「王都の記録とは、ずいぶん違うのね」


アステルが言うと、記録官は答えに迷った。

村長は壁を見上げた。


「毎年、同じようにはいきませんから」


アステルは壁の線を写させた。

正式な証拠にはならなくても、なかったことにはしたくなかった。




その日の空は晴れていた。

村人はもう昨夜の雲を話題にせず、次の風を見ていた。


昼には、昨日水を短くされた東畑へ全員で草取りに入った。

水の不足を人手で埋められるわけではない。


それでも根元の土をほぐし、乾きを遅らせるために藁を足す。

不満を口にしていた男も、南畑の女から渡された藁を黙って受け取った。


「仲がよいのか、悪いのか分からないわ」

アステルが言うと、村長は笑った。


「水の順では喧嘩します。火事なら一緒に消す。

 収穫なら互いに手を出す。

 ずっと同じ気持ちで暮らす必要はないんです」


王宮では、反対した者の名が長く記録に残る。

けれど村人は、水を争った翌日に同じ畑へ入る。


共同体の強さとは、いつも心を一つにすることではない。

違う事情と不満を抱えたまま、次に必要な仕事へ集まれることなのかもしれなかった。


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