⑨
神崎との会話で浮気じゃない可能性が彩花の中で浮上してきたーーちょうどその頃。
黒崎と蘭子の会話もまた、徐々に真相に近づきつつあった。
「わかります!きっかけって本当にちょっとした事だったりもしますもんね。でも、社会人になっても続けるって大変だったりしませんでしたか?」
「実は就職してから一旦離れたの。やっぱり時間取れなくてね。……でも、そんな時に神崎さんが声を掛けてくれたのよ。そしたらこの競技が好きだなって気持ちがまた溢れてきて。それで復帰することにしたの。」
その時の事を思い出したのか、蘭子はふふっ、と笑う。
「ブランクもあったから少しずつ練習を重ねていって。ちょっと前から小さな大会にも出るようにしてるのよ。」
また蘭子が笑う。その表情を見るだけで本当にこの競技に真剣に、そして楽しんで向き合っているのが分かる笑顔だ。
そこで黒崎は何気ない様子で尋ねてみた。
「蘭子さんの、パワーリフティングが好きという気持ちがとても伝わってきます。ご家族の方も応援にいらっしゃるのですか?」
「それが……。実は夫に言えてないの。」
と、そこで初めて蘭子の顔が曇る。
蘭子は俯きながら言葉を続けた。
「ほら、この競技って逞しく見えるでしょう?重いバーベルを持ち上げたりするし、ちょっと女の子らしいイメージではないというか。だから夫がどう思うか分からなくて……。ってごめんなさい。黒崎さんにこんな話を聞かせてしまって。そろそろ練習に戻ろうかしら?」
苦笑しながら蘭子は話を切り上げようとする。
蘭子さん、と黒崎は蘭子の目を見て語りかけるように話しかけた。
「私は蘭子さんのお話を聞いて、とても真剣にそして楽しんで競技へ向き合っているように感じました。きっと旦那さんもこのお話を聞いて、悪い印象を持たれるような事はないように思いますよ。」
なるべくゆっくり、そして笑顔で黒崎は続ける。
「初対面の私だって素敵で応援したいと、そう感じたんです。旦那さんならきっと、なおさらじゃないでしょうか。」
「引かれないかしら。腕も脚も前より太くなって……。だから隠すような服にしたし、やっぱり逞しい女性より可愛い方が……。」
ジムの中では格好良く見えた蘭子も、夫には可愛い姿でいたい。
そんな可愛らしい様子に黒崎は思わず小さな笑い声が漏れた。
「きっと大丈夫だと思います。多分ですけど、秘密にされていた方が悲しむんじゃないかなと思います。」
黒崎は内山が依頼に来た日のことが脳裏を過ぎった。
妻の浮気を疑い、少しずつ顔色が失われ、ポロポロと泣き崩れていった姿。
あまりにも気の毒なあの様子が浮かんだが、いまそれを蘭子に伝えるわけにはいかない。
「どう?話盛り上がってたけど終わったー?」
と彩花は黒崎に話しかける。
少し前に神崎と話し終えた彩花は、黒崎たちの会話に区切りが付くのを待っていたようだ。
黒崎と蘭子さんも盛り上がってたみたいだけど、あたしもめっちゃ極秘情報ゲットしたんだからね!
と、黒崎を見つめる彩花の目が訴えかけている。
その様子に黒崎は笑いながら、さりげなく腕時計に視線を落とした。
気付けば彼女達と話してから15分程経っている。
これ以上は蘭子の練習の邪魔になってしまう。情報も得られた為撤収の頃合だろう。
黒崎は改めて2人に向き合いお礼を伝えた。
「私達のためにこんなにお時間を割いていただいて、ありがとうございました。」
「気にしないで。練習の切り替えのタイミングにちょうど良かったわ。」
蘭子が笑顔で言う。
少しだけ迷いが晴れたような顔に見える。
そして黒崎が改めて蘭子に向き合った。
「たくさんたくさん、旦那さんとお話してみてください。初対面の私がいうのも変ですけどね。」
ありがとうございました、と改めて感謝の言葉を述べてから彩花と黒崎は2人から離れた。
帰り間際、受付の男性の熱い入会勧誘を笑顔で交わしてジムを後にしたのだった。
―午前10時42分。
ジム前のカフェ、テラス席の1番端の席。
鳴海が読書をし、立花が2個目のチーズタルトに手を伸ばしていたその時。
ジムから出てくる彩花と黒崎の姿があった。
彩花は何故かゲンナリとした表情をしており、黒崎は苦笑している。
2人の表情について気になる鳴海だが、まず確認すべき事から確認することとした。
「何か情報は得られたか?」
黒崎がその言葉に返事をしようとした。
が、彩花はテーブルの上に置いてあるものに気付いてしまった。
「……コーヒー?チーズタルトぉ!?」
立花がやべっ、と声を出す。
と同時に彩花の怒りの火山が噴火した。
「2人だけコーヒーとケーキ楽しんでてズルいんだけどぉ!!」
振り返る通行人。
驚き見つめるカフェの客。
「……静かにしろ。」
と眉間に皺を寄せてため息を吐く鳴海だった。




