⑥
ー午前9時15分。
痛みで多少涙が滲みつつ、鼻を擦りながら彩花は顔を上げた。
「…ん、あれ?ここってさぁ」
そう言いながら視線を向けた先にあったのは
【パーソナルジム BEAST】
都内では有名芸能人も通うとの噂もある、名の知れたスポーツジムだ。
CMもよく放送されていて、ジムなんて通ったこともない彩花ですら名前を知っている。
「あたし経験無いから分かんないんだけど、スポーツジムデートって流行ってる感じ?」
「…なぜ俺に聞く。」
「あ、ごめんさすがに失礼だったわ。」
「その返答が失礼だとは考えなかったのか。」
羽のように軽い謝罪をしている彩花に、鳴海は本日何度目か分からないため息をついた。
「まぁまぁ、ね?所長。彩花さんも悪気があった訳じゃないですし?気を落とさないで下さい。」
と、失礼を重ねる立花に鳴海は1発肘打ちを入れる。
悲鳴にならない悲鳴を上げる立花。
その様子を無視して鳴海は全員に切り出した。
「…聞き込み調査を始める。」
ー午前9時26分。
ジムへの潜入、聞き込み調査には彩花と黒崎が向かうこととなった。
彩花のコミュニケーション能力の高さで会話のきっかけを作り、黒崎の人当たりの良さで疑念を抱かせにくくする。
そして情報を引き出して証拠を集めていく作戦だ。
「本当に、彩花さんのお陰で聞き込み調査がだいぶしやすくなりましたよね。」
「余計な事を話さなければ、なおいいんだがな。」
黒崎の言葉に鳴海はそう続ける。
鳴海の脳裏には危うくバレかけた依頼がいくつか過ぎり、思わずこめかみを押さえた。
「じゃあ行ってくるね。出発だよ黒崎ー!」
と勢いよく突撃していく彩花を追いかけるように黒崎がついて行く。
「静かに行け。」
という鳴海の声は既に彩花には届いていなかった。
ー午前9時30分。
パーソナルジム BEAST受付。
ジムの名前であるビーストの名に負けない程の、筋骨隆々な男性が受付に立っていた。
うげ…と彩花が声を上げたが、すかさず黒崎が前に出て話しかけた事で、受付の男性は彩花の声に気付かなかったようだ。
「すみません。あの、ジムに入会してみたくて来たんですけど…。」
「入会希望の方ですね!どうぞこちらの書類を!」
「実はジムに通った事がなくて…。どんな感じだか見学する事ってできますか?」
「はいはいはい!もちろんどうぞ!ささ、こちらに!」
彩花はもう既に声量と筋肉の圧で気持ちが折れかけていたが、黒崎に手を引かれ何とか受付の男性について行く。
男性は丁寧にジムの中をひとつひとつ案内し始めた。
「ジム初心者の方は、まず気負わずに軽い気持ちで来てみるということが大切なんですね!」
「ジムと言えば筋トレ!と想像しがちですが!」
黒崎が笑顔で男性に相槌を打つ。
その様子に男性はさらに熱の篭った説明を展開していた。
黒崎って本当に人当たりの良さが天才的だわ…
と賞賛を心の中で贈りながら、彩花は周りを見渡すことにした。
平日の午前中ということで、ジムの中にほとんど人はいないようだ。
なのですぐ見つけられた。
スポーツウェアに身を包みベンチプレスを行っている蘭子と、その隣で何かを話している神崎の姿を。
しかしその姿を見た彩花は気付く。
…なんか腕も脚も普通に逞しくない?
考えうる一般女性の腕や脚の細さではない。しっかり筋肉が付いているのだ。
しかもベンチプレスの左右についている重りが、明らかに大きいものなのである。
筋トレをガチでやるデート…?有り得る?
さすがに疑問に思った彩花が受付の男性に声をかけた。
「ねぇ受付さん!夫婦とかカップルでジムに来る人たちも多いの?…ほら例えばそこの人達みたいに。」
最近はそういう人達も増えたよ!嬉しいね!と熱く話す受付男性の勢いに彩花は一瞬顔が引き攣った。
が、次の言葉で黒崎と顔を見合わせることになる。
「そこの人…。あぁ、内山選手と神崎コーチのことか!彼らは夫婦じゃないよ!パワーリフティングの選手とコーチだよ。」




