⑨
ー午後4時50分。
この時間になってもまだ日が高く、蒸し暑い外とは違い、鳴海探偵事務所はあまりにも快適な空間だ。
鳴海から連絡を受けて、商店街から戻ってきた立花と黒崎だが、肝心の2人がまだ帰ってきていなかった。
「所長と彩花さん、おっそいなぁ……。」
時計を見ながら立花が呟く。
二手に分かれていたとはいえ、場所は同じだったはずだ。立花と黒崎は30分前には事務所に着いていた。
取材を終えた、と言っていたはずだ。
自分たちと変わらずに着いていてもおかしくないのに。
と、思っていた矢先だった。
チリン……。
鳴海探偵事務所のドアベルが静かに鳴った。
その音に立花と黒崎が振り返ると、非常に不機嫌な顔をした彩花と、面倒臭そうな顔をした鳴海がそこにいた。
つかつか、と無言で入ってくる2人。
鳴海はともかく彩花が無言な事に、立花は不思議そうな顔をした。
黒崎も同じように思ったのか、すぐ彩花に近づくと質問をした。
「彩花さん、どうしたんですか?暗い顔をして。聞き込みで何かあったんですか。」
「黒崎……。黒崎……!」
黒崎の質問に被せる勢いで声を出す彩花。
そして両手で黒崎の腕を素早く掴んだ。
あまりの勢いに黒崎も少し驚いたが、彩花は気にせず続けた。
「黒崎、聞いて……。本当に有り得ないの。有り得ない事が起きたの。」
切羽詰まった声に、立花も黒崎も一気に真面目な顔になった。
聞き込みの最中に何か不測の事態が起きた。
そう思わざるを得ない、彩花の声。
「どうしたのさ。ゆっくりでいいから言って。」
立花が真剣な声で聞く。
その声に促されるように、彩花が口を開いた。
「鳴海が、鳴海が……。」
黒崎の腕を掴んだままわなわなと震え出す彩花。
鳴海……?
立花と黒崎は一瞬鳴海の方へ視線を向けた。
鳴海は面倒臭そうな顔をしたまま、自席に荷物を置いている真っ最中だ。
2人は首を傾げたが、彩花は気にすることなく目をくわっと見開いた。
「鳴海が10回連続でじゃんけんに勝ったの!有り得なくない!絶対不正なんだから!」
「……へ?」
立花の気の抜けた声が事務所に響いた。
黒崎もきょとんとした顔をし、肩の力が抜けホッとした声が続く。
「じゃんけん、ですか……?」
「そう!10回連続だよ?意味わかんない。どんな確率よ!不正じゃなきゃ有り得ないんだから!」
黒崎の腕を掴む手は離さず、ゆさゆさと揺すりながら彩花は力説をした。
力説する様子に、とうとう堪えきれなくなった立花は、吹き出すような声を漏らしたあと、
「あっははははは!それは確かにやばいわ!」
大声で笑いだした。
そして、ひぃひぃ言いながらおもむろに電卓を取り出すと、
「0.0977%だってよ、10連敗する確率……んふ。」
立花は笑いを堪えきれないまま、彩花に向かって余計な一言を放った。
「たーちーばーなー!」
キッ!と立花を睨みつけ、いまにも叩きに行きそうな彩花に、黒崎は思わず笑いそうになった。
だが何とか表情を持ち直す。
そして、まぁまぁ、と彩花を落ち着かせると
「不思議ですね。どうやって勝ったんでしょうね。」
甘やかすように頭を撫でながら言った。
鳴海は鳴海で、1度も騒ぎに視線を送ることなく荷物を片付けていた。
道中、じゃんけんに飽きるまで付き合い、付き合ったら付き合ったで30分は文句を言われ続けていた。
事務所の中まで聞いてやる必要はない、と立花や黒崎に丸投げする事にした。
片付けが済み、自席で仕事を淡々と進めながらしばらく騒ぎが落ち着くのを待っていた。
しかし、しばらく経っても落ち着かない。
それどころか立花が火に油を注いでいる声が聞こえ始めた。
鳴海は眉間に皺を寄せ、ため息を吐いた。
大袈裟に書類をトントンと揃え、立ち上がると
「情報整理する。」
それだけ言って、いつもの応接テーブルの方まで移動した。
その声に立花は笑うのを止め、黒崎はそっと手を離した。
事務所の中が、ぴたりと静かになる。
彩花はまだ不機嫌そうな顔を見せ、ぶつくさと小さく文句を言っていたが、渋々とソファの方へ移動した。
ー午後5時08分。
コトリ、と音が鳴る。
黒崎が4人分の飲み物をテーブルの上に並べ終えた音だ。
「あたしは今日はカフェオレじゃないと怒りが収まらない!」
と、口を尖らせながら訴えた彩花は、早速目の前に置かれたカフェオレを持つ。そしてストローでずずっと勢いよく飲み始めた。
「はぁ〜。五臓六腑に染み渡る〜。」
と、年寄り臭い台詞を言う彩花を見て黒崎は微笑む。
そしてソファにゆっくりと腰掛けた。
立花は黒崎が座ったのを確認し、ホワイトボードに書き込みながら話し始めた。
「まずは聞き込みで集まった情報を整理して、その後に二手に分かれた時の情報を書き足してくから。」
立花がキュ、キュと音をさせながらホワイトボードに書き進めていく。
「聞き込みした結果、共通してるのは【鈴の音】【犯人の姿は見てない】だったよね。」
「お肉屋さんのご主人が仰ってましたが、近所に住む子どもの仕業でもないらしいとの事でしたよね。」
「……あたしの甘酒も盗られましたぁ!」
「そうそれなんだよね、彩花さん。その時の話も詰めたかった。」
立花が人差し指を顔の前にぴん、と立てながら言った。
4人で向かった、あの空き地。
あの時1番帰る気満々だったのは立花だったが、もちろん気にもなっていた箇所でもあった。
「彩花さんが真っ先にあの空き地を怪しんだじゃん?あの時思ったこと教えて欲しいんだよね。」
真っ先にあの空き地へ向かったのは彩花だった。
そして彩花の勘は何故かよく当たるのも知っている。
だからこそ、立花は彩花に話を聞きたかった。
「いいよー。あのさ、甘酒が盗られたあと空き地に行ったじゃん?そん時にさ……。」
彩花はそんな風に思われているのを知ってか知らずか、事も無げに話し始めた。
変な気がしていた、鳴海だけじゃなくてみんなとも共有しておきたい、と彩花も思っていたところだ。
所々、彩花の感性から生み出された独特擬音で、その時感じたことが表現されていく。
カフェオレを飲みながら、彩花は5分くらいかけて一通り話した。
満足そうな顔をする彩花を見ながら、立花は
「やっぱりそうか……。つまりは……。」
と、呟きながらホワイトボードに書き込む。
【空き地の違和感】【祠周囲の清涼感】と、5分の話を二言でまとめた。
あんなにいっぱい話して、たったのこれだけ!?
彩花は不服そうな顔をしながら、じとーっと立花を見た。
視線がぶつかった立花は、茶化すようにウインクとスマイルを飛ばす。
そして話をさらに続けていった。
「あとは、二手に分かれたあとの話だね。」
「私たちの方ですが……。気になったことがいくつかありました。」
黒崎の言葉に、鳴海の眉がほんの僅かにぴくりと動く。
長い脚を組み何も言わずホワイトボードを見ていた鳴海が、視線を黒崎に向けた。
彩花もつられて黒崎へ顔を向けた。
「まず鈴の音ですが、やはり商品が消えた際に鈴の音が聞こえています。そこまでは想定の範囲でした。ですが問題は……。」
1度言葉を切った黒崎。
そして鳴海へ向かって静かに話した。
「商品が無くなる瞬間だけ、映像が1、2秒程度乱れていました。乱れたと言ってもぼやける程度です。その前後に怪しいものが映っている様子もありません。ですがその僅か1、2秒で忽然と消えてしまっていました。」
黒崎がはっきりと言い切った。立花も黒崎の言葉にうんうん、と頷いた後、続けて言った。
「鈴の音もね、決まって映像が乱れる前に聞こえるんだよねー。まるで予兆のようにさ。というか、彩花さんの甘酒が無くなった時もだよね?鈴の音を聞いてから、甘酒が消えたよね?」
確かにそうだった。
彩花は思わず自分の腕を掴む。
背中を、事務所の空調ではない、別の寒気が走った。
「で、所長たちの方は?」
立花が鳴海に話を振った。
それまでずっと黙っていた鳴海がようやく話し出した。
「朝、こいつが話を聞いてきた店を順番に回った。」
彩花の方に視線を一瞬だけ向け、すぐ立花の方に戻す。
「証言は変わらない。が、魚屋で面白いことを聞けた。」
いつもとは違う、鳴海の言い回しに立花と黒崎は少し驚いた。
「空き地の祠。あれは少なくとも既に40年前からあったようだ。魚屋の主人は、自身の祖父がその祠を信仰の対象としていた旨の話をしていた。」
「つまり、祠自体はもっと昔からある、結構歴史の長いもの……って感じですかね?」
「そうなる。」
立花の要約を鳴海が肯定する。
鳴海はそのまま話し続けた。
「魚屋の主人の幼少期、祠の近くには野良の三毛猫がいたようだ。」
「三毛猫?いや、でも猫の寿命って多く見積っても15、6年くらいだとして……。野良猫な上に三毛猫から三毛猫が生まれる可能性はそこまで高くない。でも有り得ないわけではないし。とすると……。」
途中から鳴海と立花で話し込み始めた。
黒崎は黙って2人の話を聞いていたが、彩花は正直飽きてきていた。
カフェオレを飲み切る3分。
……3分は耐えた。
「ねーえー!」
が、それ以上は耐えられなかった。
「もうさ、明日また祠行こうよ!結局ちゃんと周り見てないし。」
そもそもテーブルで小難しい話をじっと静かに聞くのは、彩花の性に合わないのだ。
「みんな気になるんでしょ?あたしの甘酒泥棒の痕跡あるかもしんないじゃん!」
鳴海は小さく息をつく。いつものため息ではなく、一旦事を整理するかのような、一呼吸。
そして、
「明日、件の空き地に行く。」
鳴海はそう結論付けた。
「決定ー!はぁー、おつかれー!」
と背伸びしながら立ち上がる彩花。
そんな彩花の様子を黒崎は微笑みながら見る。
そして彩花越しに窓を見ると、もう空が赤く染まりだいぶ暗くなってきていた。
1時間以上は話し込んでいたようだ。
鳴海はまだソファへ腰掛けたまま、何か考え込むように黙っていた。
一方で、立花はホワイトボードを片付け始めていた。
黒崎はそっと立ち上がると、事務所内の簡易キッチンへ向かった。帰りがけに惣菜とおにぎりをいくつか買っておいたのだ。
「皆さん、実はお惣菜をいくつか買っておいたんです。食べませんか。」
そう声を掛けると、
「やったー!!」
という彩花の大声とともに飛び跳ねて喜んでいるのがちらりと見えた。
黒崎はまた小さく微笑むと、惣菜を皿に移し電子レンジへと入れたのだった。




