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INDEX  作者: クネロ
8/27

07

 夜明け前の廃駅。

 その時間帯の静けさは、昼間に訪れる沈黙とは明確に質が異なっていた。

 音が完全に消え去ったわけではない。遥か頭上の上層都市で稼働する無数のインフラ群。そこから発せられる絶え間ない重低音の振動が、巨大なドーム状の天井にぶつかって反響し、空間の空気そのものが薄く、目に見えないレベルで震え続けているような特異な感覚がある。

 その震える大気の中を歩くと、硬いブーツの底がコンクリートを叩く自分の足音だけが、まるで耳元で鳴っているかのように妙にはっきりと聞こえた。


 廃駅の出口のアーチを抜けたとき、俺は通路の壁際にある巨大な排熱口の前に立ち止まり、左掌をかざした。

 昨日よりもさらに温風の圧力が一段落ちている。指先の隙間をすり抜ける風に、熱気と呼べるほどの質量はない。

 都市全体のグリッドの崩壊がさらに進行していることは確かだったが、俺個人の力で今日中に対処できるような次元の話ではない。冷え切った鉄格子から静かに手を引き、重い足取りで先へ進んだ。


 ウェスが、俺の背中の少し後ろを歩いている。

 いつもなら、このせっかちな少年は俺より先に工房を出る。建付けの悪い扉をブーツで苛立たしげに蹴り開け、まず外の状況を鋭い目で確認して、確認し終わる前に歩き始めるのが彼のいつものパターンだ。

 だが今日は、俺が先に出るのをじっと待っていた。

 ただそれだけのことだが、彼の焦燥感と、ナオの命が俺の案内に懸かっているというプレッシャーが、その小さな行動の変化から如実に伝わってきた。


 正規のメインルートを三分ほど歩いてから、俺たちは照明の落ちた狭い路地の奥へと足を踏み入れた。

 突き当たりの壁面。外見は塗装が完全に剥げ落ち、灰色のコンクリートの地肌が汚く露出しているだけのただの壁だ。だが、俺はそこにある微かな切れ目に手を伸ばす。

 コンクリートの継ぎ目。それが、わずかに数ミリだけずれている。指先を窪みに掛け、体重を乗せて内側へと押し込む。摩擦で砂が削れるジャリッという音とともに、壁の一部が重々しく内側へと開いた。電子的なロックなどかかっていない。そもそも、ここが設置されてから一度でも鍵が機能したことなど、おそらくないのだ。


 内部の空間は、完全な暗闇だ。

 腰のポーチから、旧式の熱線式ランタンを取り出して点火する。

 チリッという発火音とともに、タングステンの熱線が赤熱する。光は柔らかく、ゆらゆらと揺れながら周囲の壁を照らし出した。ウェスがその時代遅れのランタンの放つ熱を見て、何か言いたそうに眉をひそめたが、結局何も言わずに口を閉じた。


 天井の高さは二メートルあるかどうか。

 頭上には太い給水管、高温の排熱管、そして太さの違う電線の束。それらがまるで巨大な鳥の巣のように複雑に絡み合い、重なり合っている。

 現在の都市規格よりも一回り以上太い、旧式の設計基準で作られた配管群だ。表面の腐食はひどく進行しているが、通路の屋根として機能するだけの構造的強度はまだ辛うじて残っている。奥へ進むほど頭上の配管の密度は増し、天井は圧迫するようにさらに低くなっていく。

 床には、長年の間に堆積したコンクリートの細かい粉塵が雪のように積もっている。

 ブーツを踏み出すたびに細かい塵がふわりと空中に舞い上がり、ランタンの光を乱反射させる。ウェスが一度だけ、埃を嫌うように口元を袖で覆う仕草をしたが、すぐに諦めたように手を下ろした。


 冷たい壁に手を当て、反響音の変化で空間の広がりを測りながら進む。

 曲がり角の少し手前に、壁面に太いボルト穴が等間隔で並んでいる区画が現れた。

 ボルトそのものは湿気で完全に腐食して崩れ落ちた跡であり、人為的に取り外された形跡はない。穴の間隔を指の腹でなぞってみる。きっちり二十センチ刻み。巨大な仕切り板を固定するための、旧世代の産業規格孔だ。

 ここにはかつて、都市の心臓部と直結する巨大な配電盤の列が並んでいたはずなのだ。だが今は何もなく、コンクリートの床面に、かつてそこにあったアンカーボルトの茶色い錆だけが、地縛霊のようにこびりついて残っている。


 通路の奥底から、低い振動音が不規則に響いてくる。

 長い間隔で強くなり、短い間隔で弱くなる波長。それはポンプやモーターのような生きている設備の規則的な駆動音ではない。どこかの劣化した構造物の隙間に、気流が不規則にぶつかって生じている風鳴りの音だ。

 ウェスがその音の異質さに気づき、警戒するように少し足を止めた。


「……管理AIの監視ドローンって、こういう場所までは来ないのか」

 ランタンの薄明かりの中で、少年がひそやかな声で尋ねる。


「来ない、というより来られない」

 俺は周囲に張り巡らされた分厚い配管の束を見上げながら答えた。

「ドローンが使う走査用の電磁波長では、これだけ高密度に密集した旧式配管の金属の壁を貫通できない。信号が途中で乱反射して散乱してしまい、エラー空間として処理されるんだ」


 ウェスは納得したようにうなずき、しばらく歩いてから、また疑問を口にした。


「じゃあ、なんで他のスカベンジャーたちは使わないんだ、このルートを。監視の目が届かないなら、最高の密輸ルートになるはずなのに」


「知らないからだ」


 俺は一言だけ答え、視線を前へと戻した。


-----


 目的の第十四廃区へと繋がる隔壁を抜けたとき、周囲の空気の匂いが劇的に変わった。

 水分が異常に多い環境で繁殖する、白いカビの強烈な匂い。

 ランタンの光を向けると、コンクリートの壁面の半分以上が、分厚い白い菌糸の層にびっしりと覆われている。天井の一部が自重に耐えかねて崩落しており、そのひび割れた隙間から、上層の配管から漏れ出した地下水が細い糸のように絶え間なく滴り落ちていた。

 水が叩きつける床面には、水質に侵食されて剥落したコンクリートの破片が泥のように積み重なっている。


 ふと、視線を足元に落とす。

 泥状になった床面に、複数の足跡がはっきりと残されていた。

 歩幅と靴底のパターンから計算して、人数は三人から四人。足跡の深さと、踏み込み時の重心の偏りから判断して、そのうちの二人は相当に重い何かを抱えて歩いていたことが推測できる。

 だが、泥の表面の乾燥具合と縁の崩れ方からして、数時間前のものではない。少なくとも数日前に付けられたものだ。


 奥に見える重厚な金属製の扉。

 その向こうには、大戦前に廃棄された巨大な変電設備の残骸が眠っているはずだ。

 そして、その扉はわずかに半開きになっていた。

 中に、先客がいる。



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