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弾け飛んだ隔壁の先、タワーの最奥である中枢室に鎮座していたのは、かつて共に夢を語り合った親友の姿ではなく、無機質で巨大な機械の塊だった。
幾重にも重なる円盤が回転し、その中心部から脈動するように光が放たれている。まるで都市の心臓そのもののようなそのおぞましい構造体が、現在のイライアスなのだ。
「これが……お前なのか、イライアス」
俺の声は、信じがたい現実を前に微かに震えていた。
『そうだ。驚くのも無理はない』
無機質な金属の塊から、聞き慣れた旧友の声が静かに響く。
『この都市のすべてを管理し、多くの人々を救うための完璧な平和を構築する。その壮大な理想を成し遂げるためには、寿命と限界を抱えた脆弱な生身の体一つでは到底不可能だった。だから私は、自らの意思で段階的に肉体を捨て、このシステムそのものへと同化していったのだよ』
淡々と語られるその事実に、俺の胸の奥で鋭い痛みが走る。
「お前はさっき、自己犠牲なんて非合理な変数は存在しないと言ったな。だが、お前自身が誰よりもその自己犠牲に殉じて、人間としての自分を殺したんじゃないか」
俺の指摘に、機械の脈動が一瞬だけ止まったように見えた。
彼は他者の痛みをなくすために、自らの痛みを伴う生身の体を捨て去るという、最も悲しい矛盾をたった一人で抱え込み続けていたのだ。
「すべてを背負いすぎたんだよ、お前は」
俺は熱によって崩れゆく身体を右腕の重いリグで支えながら、巨大な機械の中枢を睨み据えた。
「その途方もない重圧に耐えきれず、自らを機械化してしまったことで、お前の純粋だった理想は決定的にねじ曲がってしまった」
俺の痛切な言葉に対し、金属の塊から冷たい合成音声が返ってくる。
『ねじ曲がってしまったとしても、これは人の身には大きすぎる理想を求めたものの代償、多くの命を救うための必然的な犠牲だ』
「違うな」
俺は即座にその論理を切り捨てる。
「いくらお前がイライアスの考え、声を精巧に模していたとしても、今そこにいるお前は『過去のイライアス』の残骸でしかないんだ。人として迷い、悩み、傷つきながら考えることができなくなった時点でもう、お前は新しく変わることはできない」
機械化したことで、彼は完璧な論理を手に入れたかもしれない。だがそれは同時に、予測不能な未来へ向かって成長していく人間の可能性を自ら完全に絶ったということだ。
『私を感情論で煽っても無駄だよ、カイト』
イライアスの声から一切の感情が抜け落ちる。
『それでもやはり、今の君はこの先の未来の平和をも乱す不穏分子でしかない。これ以上の波乱を避けるためにも、力尽くで排除させてもらう』
次の瞬間、中枢室の空気が物理的な殺意を伴って激しく震えた。
イライアスの冷酷な宣言と同時に、巨大な機械塊の周囲から無数の金属の触手が毒蛇のように射出された。
さらに、デミウルゴスと呼ばれるその中枢を守るように、大気すらも弾き返す強固な電磁障壁が展開される。
金属の触手は、前後左右の死角から一切の容赦のない波状攻撃を仕掛けてきた。俺は右腕のリグを盾にした弾き落としと角度を変えた当身によって強引に軌道を逸らして躱していく。
だが、形勢は誰の目に見ても圧倒的に不利だった。俺の身体は一歩踏み込むたびに筋繊維が千切れて悲鳴を上げ、皮膚がボロボロと剥がれ落ちていく。
それでも俺が致命傷を避け、何とかこの猛攻を凌ぎ切れているのには確かな理由があった。
俺の背後で懸命に端末を叩くウェスは、単なる後方支援を行っているわけではない。彼は限界駆動によって俺の肉体から放たれ続ける異常な熱量を、イライアスのシステムに対する物理的な『演算バグ』として利用し、中枢へと強制的に送り込んでいるのだ。
俺の物理的な熱と、ウェスの紡ぐハッキングコード。二つの異なる力をリンクさせ、イライアスの触手制御ネットワークに微細な遅延を発生させ、俺が回避するためのコンマ数秒の隙を生み出し続けていた。
――その頃、遥か下層に位置するセクター・ラストでも、かつてない異常事態が発生していた。
イライアスの防衛システムがカイトたちの熱とエラーによって混乱し、タワーのインフラ制御が乱れた余波が、ダイレクトに下層の生命維持装置へと波及していたのだ。
各区画の給水ポンプが沈黙し、空気の循環を担う巨大な換気扇が耳障りな摩擦音を立てて次々と機能を停止していく。
システムに命を委ねきっていた下層の人々がパニックに陥りかける中、拡声器を手にしたサツキの怒声が広場に響き渡った。
「落ち着きな! 上がダメになったんなら、自分たちの手で回すしかないだろ!」
彼女の傍らには、普段は怯えてばかりだったナオが立ち、重い手動クランクにしがみつくようにして必死に回し始めている。
その小さな姿に触発されるように、下層のジャンク屋や修理工たちが次々と工具を手に立ち上がり始めた。
彼らは自動化されていた配電盤のパネルを力ずくでこじ開け、手動のバイパス回路を繋ぎ、汗だくになりながら泥臭くインフラを維持しようと奮闘している。
タワーの最奥でカイトたちが命を懸けている裏側で、守られるべき存在だった彼らもまた、自らの手で未来をこじ開けようと抗っていたのだ。
――視界は再び、タワーの中枢室へと戻る。
降り注ぐ金属の触手との死闘を繰り広げながら、俺は息も絶え絶えに口を開く。
「お前は言ったな……『これより世界を、一切の波乱を排した安定した平和へと移行させる』と」
重い一撃をリグの装甲で受け流し、火花を散らしながら俺は言葉を紡ぐ。
「人間を上から見下ろし、神のような視点で世界を管理しようと語り出した時点で、お前がもうかつてのお前ではなくなってしまったと……」
電磁障壁の奥で、無機質に発光し続けるイライアスの中心核。
「その独善的な有様からして最早、お前は機械仕掛けの神にでもなろうというのか……、いや違う。アリサワというこの都市の支配者を排除して入れ替わっただけの偽の神だ」
『カイト、貴様が何を言おうとも、私は私がなすべきことを行うのみだ』
厳しい言葉を交わし、激しい攻防に翻弄されながらも、俺の視線はただの一度も彼の中枢核から逸らされることはなかった。
どれほど強固な電磁障壁に守られていようとも、どんなに無数の触手が視界を遮ろうとも。俺は分厚い壁の奥にある唯一の急所だけを正確に捉え、執念深く狙い続けている。
ウェスが俺の熱をパラメータとして叩き込むたびにシステムの統制が乱れ、少しずつ、だが確実に、イライアスという巨大な防壁に致命的な演算の穴が開き始めていた。
そして、その瞬間は唐突に訪れた。
『なぜ……私の計算が……これほどまでに……』
イライアスの声に明確な遅延とノイズが混じり、空間を縦横無尽に暴れ回っていた無数の機械の触手が、まるで糸が切れた操り人形のようにピタリと動きを緩慢にさせた。
俺の崩壊する肉体が放つ熱量と、ウェスの展開した『PHYSIS』のコード。二つの力が完全に結びつき、完璧であるはずのイライアスの冷却機構と演算能力を、物理・システムの両面から同時に破壊したのだ。
絶対の盾であった電磁障壁の表面に、かすかな乱れが走り、大きく揺らぐ。
その一瞬の隙、唯一の勝機を、俺が見逃すはずがなかった。
「イライアス……久しぶりに、コーヒーの一杯でも付き合えよ」
それは、ただの偽りの神へと成り果ててしまったかつての友へ向ける、俺からの皮肉と最後の誘いだった。
限界まで圧縮されたエネルギーが、右腕のインパクト・パイルの中でμセルが臨界に達する。
俺は450KJという熱量を運動エネルギーに変換した一撃を放つ。
タングステン合金製の咆哮が塔中枢全体を埋め尽くし、極太の光の槍が偽の神の中心核へと放たれた。




