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ウェスの手によって展開された『PHYSIS』のコードが、タワーの心臓部である塔中枢の極寒の空間を次々と書き換えていく。
凍りついていた壁面の霜が莫大な熱量によって急速に溶け出し、足元の氷の板は激しい水蒸気を上げて白い霧へと変わっていく。
自由化されたμセルのエネルギーが、イライアスが支配していた静止の論理を根底から破壊し、荒々しい生の連鎖反応を引き起こす。
その連鎖反応の強烈な触媒となっているのは、氷の床に打ち込んだインパクト・パイルを支点にして強引に自らを固定し続けている俺の肉体だ。
生体リミッターを全解除したことによる臨界駆動は、俺の体内に常軌を逸した摩擦熱を生み出し続けている。
本来であれば、これほどの出力に耐えられるようには設計されていない。
タワーの冷気を相殺し、システムを書き換えるための道標として放ち続ける熱量は、ついに俺自身の肉体の維持限界を超えようとしている。
臨界を超えた熱は、容赦なく俺の肉体を内側から貪り食っていく。
バチバチという不気味な音を立てながら、強化されたはずの耐熱服が炭化し、ボロボロと剥がれ落ちていく。
それと同時に、俺の身体の皮膚が、過剰な温度に耐えきれず乾燥した砂漠の土のようにひび割れ始めた。
傷口から血が流れることはない。
極度の熱によって細胞組織そのものが変質し、シリコンの微細な塵となって、真っ白な蒸気の中に舞い上がっていく。
指先から始まり、腕へ、そして肩へと、俺の肉体が端から砂となって崩れ去っていく。
一歩でも動けば、その衝撃だけで全身が粉々に砕け散ってしまいそうなほどの脆さ。
だが、それでも俺は激痛と崩壊の狭間で、右腕のリグで身体を支える。
俺は顔を上げ、正面に立つ男を真っ直ぐに見据えていた。
そこには、俺の放つ猛烈な熱とエラーの渦の中で、ホログラムの輪郭を激しくノイズに歪ませているイライアスの姿がある。
俺の視線には、かつての旧友を打ち倒すための鋭い敵意は確かに存在している。
だがそれと同時に、そこに混じっていたのは、彼に対する憐れみであり、古い友としての感情だった。
イライアスは狂っているわけでも、悪意に染まっているわけでもない。
彼はただ、この世界の人々がこれ以上苦しまないように、永遠に傷つかない平和を作りたかっただけなのだ。
その純粋すぎる理想が、人間の持つ泥臭い生の本質と致命的に噛み合わなかった悲劇。
俺とお前は、ただ進むべき道が違ってしまっただけだ。
だからこそ、かつての友として俺はお前の作り上げた静止した世界を終わらせなければならない。
石化していく視界の中で、俺の瞳だけは鋭い光を失うことなく、狂った理想に囚われたかつての親友の姿を、どこまでも静かに、そして真っ直ぐに捉え続けていた。
『……なぜだ。なぜ、君はそこまでして私に抗う』
激しく明滅するホログラムの中で、イライアスが理解不能なものを見るように顔を歪めた。
彼の理想には、他者のために自らの存在そのものを捨ててまで他者の未来をこじ開けようとする自己犠牲という非合理な選択肢は存在しない。
すべての人々が等しく幸福である世界には自己犠牲という非合理的な選択肢は必要としないのだから。
『君の肉体はすでに崩壊の臨界点を超えている! これ以上は、君自身の存在を完全に消滅させるだけだ!』
イライアスが、かつての研究室で俺を叱責した時のように、声を荒げて警告を発する。
だが、彼の言葉の裏には、完璧に制御されていたはずの世界が、人間の持つ予測不能な熱量によって覆されていくことへの明らかな混乱と恐怖が混じっていた。
彼は焦燥に駆られるようにタワーの冷却プロセスの出力を最大化させ、俺の放つ熱を強引に抑え込もうと足掻く。
塔中枢の巨大な冷却パイプ群が悲鳴を上げ、絶対零度に近い冷気が再び空間を支配しようと襲いかかってくる。
だが、彼の論理に基づいた冷たさは、俺とウェスが命を削って生み出した熱と、解放されたμセルのエネルギーの波を前にもはや無力だった。
計算外の熱量が、彼の築き上げた秩序の檻を容赦なく焼き切っていく。
周囲のシステム基盤が次々と熱で火花を散らし、メルトダウンを引き起こしていく。
天井からはドロドロに溶けた金属が雨のように降り注ぎ、塔中枢はさながら崩壊していく地獄の様相を呈していた。
その業火の中心で、俺は力強く一歩また一歩と前へと進む。
混乱の表情を浮かべるイライアスのホログラムを横目に通り過ぎ、中枢室に繋がる隔壁の前で左脚を前に腰を落とし構える。
全身の捻りと右腕にマウントした巨大な工業用リグの重さを乗せた一撃を、隔壁に叩きつけると、熱で膨張した金属が悲鳴を上げ、隔壁が弾け飛ぶ。
そのまま不格好な入り口を潜った先で、俺は立ち止まった。立ち止まってしまった。
そこに人の姿はなく、これまでのセントラルタワーの静謐さに似つかわしくない、騒々しい脈動が響く巨大な機械――幾重にも重なる円盤が回転し、その中心部から脈動するように光が放たれる構造を持った金属の塊だった。
『君にだけは見られたくはなかったんだがな』
これまでホログラム越しで会話していたイライアスの声が金属塊から響いた。




