49
赤い単眼のレンズから、閃光が放たれる。
通路の壁面を焼き焦がす熱線が、俺の頬の数センチ横を通り過ぎていった。
融解したコンクリートの破片と焦げた臭いが、冷気を帯びた青い照明の空間に散乱する。
俺はウェスの背中を押しながら、タワーの非常通路を転がるように駆け下りている。
右腕がない。
正確には、肩の関節から先の熱耐性格子が砂となって崩れ落ち、一切の機能を喪失したただの重しとしてぶら下がっているだけだ。
物言わぬ腕となったことでバランスが狂い、真っ直ぐに走ることすら困難になっている。
一歩踏み出すたびに、ポリマーマッスルの断裂した繊維が不揃いな収縮を起こし、視界が白く明滅するほどの激痛が走る。
「カイト、右だ!」
ウェスの鋭い声に反応し、俺は無理やり左足で床を蹴り、体を曲がり角へと滑り込ませた。
直後、俺たちが先ほどまでいた空間に無数のレーザーが降り注ぎ、床の鋼材をドロドロに溶かしていく。
追ってくる防衛ドローンの群れには、一切の迷いも感情もない。
ただ、システムが下した処理手順を、ミリ秒単位の正確さで遂行しているだけだ。
背後に迫る無音の追跡者たちを振り切るため、俺たちはひたすらに下層への非常階段を駆け下りていく。
限界温度に達した人工筋肉が悲鳴のような軋みを上げているが、止まればその瞬間に消炭にされる。
肺に吸い込む空気すらも、まるで熱せられた鉄の塊のように重く、喉を焼いていった。
タワーの最深部から抜け出し、居住区のさらに底にあたる最下層のスラムへと足を踏み入れる。
上層の無菌室のような清浄さとは対照的な、錆とアンモニア、そして淀んだ結露水の入り混じった強烈な臭いが鼻腔を突いた。
だが今の俺たちにとって、その臭いは生き延びた証でもある。
熱暴走を起こした俺の体を、ウェスが肩を貸して必死に支えてくれている。
彼の短い呼吸と、額から落ちる大粒の汗が、俺の腕に伝わってくる。
すでに左脚を補助するリグのシリンダーからは冷却液が漏れ出し、歩行のたびに金属同士が直接擦れ合うようなけたたましい異音を立てていた。
「クソッ、防壁の閉鎖速度が速すぎる! 退避ルートがどんどん潰されてるぞ!」
「もう少しだ……ジジの店は、この先だ……!」
ウェスが端末を見ながら叫ぶ。
俺は迫り来る重い防爆シャッターの隙間へ強引に体を滑り込ませ、息つく暇もなくタワー下層へ向けた決死の逃避行を続けた。
目指すは、タワーの外部システムから完全に切り離されている唯一の安全地帯――最下層のスラムにある、ジジの要塞『記憶の墓場』だ。
幾度もの銃撃と閉鎖される隔壁を抜け、肺が焼け付くような疲労の末に、俺たちはついに最下層のジャンク屋の重い扉へと転がり込んだ。
「ウェス……! カイト!」
扉の隙間からこちらを見張っていたらしいサツキが、俺たちの姿を認めて分厚い鉄扉をこじ開けた。
俺とウェスは、転がり込むように要塞の内部へと倒れ込んだ。
背後でジジが素早くレバーを引き、重厚な油圧音と共に鉄扉が完全に閉ざされる。
幾重にもロックがかかる金属音が、外の追跡者たちとの空間を完全に切り離したことを告げていた。
薄暗いランプの光に照らされた要塞の床に、俺とウェスは荒い息を吐きながら仰向けに倒れ伏した。
全身の人工筋肉が痙攣し、駆動を無理やり停止させようとする警告信号が視界の端で点滅を繰り返している。
「ひどい状態だね……右腕は、完全に構造材が崩壊している」
サツキがすぐさま俺の横に膝をつき、携帯型の診断デバイスを俺の肩口に当てた。
その顔には驚愕と焦りが浮かんでいるが、彼女の手つきは迷いなく的確だ。
ナオが不安そうな表情で、ウェスの背中を小さな手でさすっている。
再会の安堵に浸る暇など、俺たちには残されていなかった。
ジジが要塞の監視モニターを睨みつけ、忌々しそうに舌打ちをした。
「再会の挨拶の途中で悪ぃが、客人を連れてきたようだな。それも、ずいぶんと行儀の悪い連中だ」
モニターの画面には、要塞の周囲を隙間なく取り囲む無数の防衛ドローンと、自律型の戦闘機械の姿が映し出されていた。
赤く光る単眼のレンズが、寸分の狂いもない動作で要塞の死角を潰していく。
警告のサイレンも、降伏の勧告もない。
それは戦闘というよりも、工場のラインで不要な部品を廃棄するような、定められた手順を淡々とこなすだけの感情を排したプロセスだ。
俺たちをシステムから排除すべき不純物と認定したイライアスは、ただ粛々とその計算結果を実行しようとしている。
だが、モニターの中の部隊は、要塞の鉄扉を破壊しようとする素振りを一切見せなかった。
ただ隙間なく包囲し、無言のまま静止している。
「なんだ……? なぜ撃ってこない?」
ウェスが息を整えながら、訝しげにモニターを見上げた。
俺もまた、その静寂に違和感を覚えた。
イライアスのやり方ならば、もっとも無駄のない手順を選ぶはずだ。
強固な装甲を誇るこの要塞に銃火器で力押しして突入すれば、必ず予測できない抵抗に遭う。
奴はそれを嫌ったのだ。
直後、俺の鼓膜がかすかな圧迫感を感じ取った。
同時に、要塞の隅にある古い換気ダクトや装甲板の隙間から、空気が外へと吸い出される「シュー」という微かな音が響き始める。
「気圧が……下がっている?」
サツキが自身の端末を確認し、表情を強張らせた。
イライアスは銃撃を選ばなかった。
要塞を囲む区画一帯の空調制御を完全に掌握し、この空間から空気を外へと排気し始めたのだ。
だが、荒廃した最下層の建造物は完全な気密など保てない。
イライアスは無数の隙間から外気が漏れ込むことすらも計算に組み込み、逃げ場のない要塞内の気圧をゆっくりと奪っていく手段を選んだ。
それは銃弾や熱線よりも確実で、反撃の余地を一切与えない、計算され尽くした気圧操作による殺戮だ。
気圧の低下は緩慢だ。
だが、肺が空気を求めて拡張するたびに、吸い込む酸素が僅かに足りないという不快感が確実に蓄積していく。
手足の末端から徐々に熱が奪われ、鉛のようなだるさが全身にのしかかってくる。
「くっ……息が……っ」
真っ先に酸欠の兆候を見せたのはナオだった。
彼女は小さな両手で胸を押さえ、わずかに肩で息をしながら壁に寄りかかる。
ウェスが慌ててナオの背中を支えるが、彼自身も浅い呼吸を繰り返し、顔をしかめている。
「外部からの空気の供給が絞られている……! 隙間から僅かに空気が流れ込んでいるから完全な真空にはならないが、このペースだと猶予は長くて二時間……!」
サツキが端末で気圧の低下グラフを弾き出し、生存限界までの時間を告げる。
ジジもまた、作業台に寄りかかりながら静かに息を整え始める。
俺は床に這いつくばったまま、無力な右腕の先を見つめた。
抗いようのない力に対する怒りすらも、酸素の緩やかな欠乏によって徐々にぼやけていく。
約二時間という、長くも短い死へのカウントダウンがこの冷え切った密室を支配し始めている。
イライアスの作り出した逃げ場のない包囲網の中で、俺たちの意識はゆっくりと暗闇の底へと沈みかけていた。




