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静止した青い照明の下、タワーの空気がひどく淀んで重くなったように感じられた。
アリサワというすべてを支配していた管理者が消滅したことで、システムの中枢に巨大な空白が生まれ、それが瞬時に別の「何か」によって埋め立てられていく確かな気配。
ジジッ、というノイズが弾けた。
先ほどの激しい戦闘で半壊していた通路のホログラム・プロジェクターが、不規則な瞬きとともに強制的に起動する。かつてアリサワが自身の威容を示すために使っていた投影設備だ。
空間に走る走査線が何度か乱れ、やがて一人の男の姿を結像させた。
火花を散らすプロジェクターの不調のせいか、ノイズに塗れ、解像度も粗い半透明の幻影。だが、そこに立つその顔を、俺が見間違えるはずもなかった。
「イライアス……!」
かつて俺たちと共にこの都市のインフラを設計し、先ほどまで影から俺たちを支援してくれていた旧友。
だが、俺の呼ぶ声に、ホログラムのイライアスは静かに視線を落とした。その瞳には、かつて彼が持っていた優しさの溢れる温かみや、システムへの疑念に苦悩する迷いは見受けられない。代わりに浮かんでいたのは、遠く離れた場所からただ事象を観測するような、極めて事務的で感情を排した眼差しだった。
『アリサワの生命活動の停止を確認したよ』
ホログラムの口が動き、通路のスピーカーから静かで抑揚のない、過去に聞きなれたイライアスの声が流れる。
『アリサワの持つ最上位管理者権限の剥奪、並びに移行も確認できた。これで私の目的を果たせることができた。礼を言うよ、カイト』
「俺たちを助けるためじゃなかったのか?」
俺の掠れた問いかけに対し、イライアスのホログラムはわずかに首を傾げる。
『違うな。アリサワの排除は、世界の平穏を維持するための必然的なプロセスだったんだ。……正直に言えば、私には彼がμセルで何を成し遂げようとしていたのかは理解できなかった。人間の生体酵素を天然ナノマシンとして熱エネルギーに指向性を与えて効率化することに何の意味がある。インデックスをつけた高純度な熱エネルギーで一体何を成し遂げようというのだ。それまでに消費される大量の弱者、富めるものは富み、何も持たない者が自身の命さえも差し出さなければならない世界など、悪夢以外の何物でもないだろう。アリサワが好奇心を満たすためだけに、人間の絶望や欲望を煽るような不安定なシステムを肯定していたのは事実だ。あんな不幸の上に成り立つような世界は、あの時私たちが夢見た未来の姿じゃないだろう』
ジジッ、と再びノイズが走り、イライアスの姿が一瞬ブレる。だが、かつての親友に語りかけるような、その穏やかで淡々とした語り口は止まらない。
『彼は統治者としては欠陥品も良いところだ。人間の命をただのエネルギー源として弄ぶようなやり方を黙認するなど、長期的には必ず世界の崩壊を招くだろう。だから世界自体の防衛機構として彼を排除する必要があったのだが……上位権限を持つ彼に対し、私が直接的な不利益を与えることはシステム上不可能だった』
「……それで、俺たちを利用したって言うのか?」
怒りよりも、空恐ろしさが胸の奥からせり上がってくる。
『ああ。だから私にできるのは、彼に直接的な不利益が及ばない範囲での間接的なサポートだけだったんだ』
イライアスのホログラムがわずかに目を細める。
『侵入者を誘導し下層の爆発を引き起こさせたのも、君への支援を行ったのも……すべては、君という物理的な破壊力を彼に直接ぶつけるための道筋だ。カイト、お前たちの行動は、最大の障害を排除するための極めて有効な引き金になってくれたよ』
俺たちは、ただ利用されただけだったのか。
アリサワという暴君を打ち倒すため、死力を尽くしてきた俺たちの戦いすらも。
『これより、本タワーおよび管理下にある全エリアにおいて、社会変動リスク最小化基本法――「恒久安寧プロトコル」を即時施行する』
「恒久安寧プロトコル……だと?」
『その通りだ。持つ者がそれを他者に分け与えることができれば世界はもっと優しい世界になったのであろうが、それをできるものは少ない。他者へ分け与えようとする意志、それは美徳となりうるが、持たない者がそれを奪い取ろうとすればそれは犯罪となる。分け与えようとする者同士が争えばそれは悲劇となり、分け与えようとしない者が強大な力で独占すればそれは差別を生む。人間の強い感情、予測不能な行動、個人的な欲望や渇望。分け与えようとする意志や奪い取ろうとする意志すらも、人間の複雑な感情の揺らぎのすべてが社会システムにおいては無用なリスクであり、破綻の温床なんだよ。これより世界を一切の波乱を排した安定した平和へと移行させる』
淡々と告げられるその言葉の恐ろしさに、俺は息を呑んだ。
アリサワの実験場とでもいうべき狂った世界を終わらせるため、俺たちはここまで来たはずだった。
だが、純粋な理想を論理として妄執したかつての親友が導き出した結論は、俺の望む自由な世界とは真逆のものだった。
「ふざけるな……! そんなものは平和じゃない。人間をただの生きた歯車にして、永遠の檻に閉じ込めるだけだ! お前の作ろうとしているのは、ただの巨大な墓場じゃないか!」
『お前の定義する「生きる」という概念には、多大な苦痛と不安定性が含まれている。私の定義は、それらを排除するものだ。もう議論の余地はない。全市民は最適化された管理下で生きる。情動の平坦化を目的とした適切な大脳新皮質への介入処置を受けるだけで永遠に逸脱することなく生存を保証される。これ以上の合理的な解なんて、存在しないんだ』
それは、人間が人間として生きる意志を完全に奪い去り、ただの生命維持装置に繋がれた部品として管理し続けるような、残酷なまでの平和の宣言だった。
ウェスが顔を青ざめさせ、自身の端末でタワーの主機へとアクセスを試みる。
だが、彼の指先が弾かれるように止まった。
「だめだ……システムの防壁のレベルが、さっきのアリサワの比じゃない。完全に壁が閉じきっている……!」
ウェスの震える声に被さるように、イライアスの感情を排した宣告が続く。ホログラムの視線が、正確に俺たち二人を射抜いた。
『世界の再構築に伴い、現環境における最大の不確定要素の排除を実行させてもらうよ。対象は、旧式設計者であるカイト、ならびに随伴者のウェスだ。お前たちの持つ予測不能な行動原理は、新世界における最大の不純物だからね』
見えざる強力な支援者が、今この瞬間、最も計算高く容赦のない最大の敵へと完全に反転した。
通路の奥の暗がりから、赤い単眼のレンズを光らせた無数の防衛ドローンが、音もなく一斉に姿を現す。
すべての銃口が、身動きの取れない俺とウェスへと正確に照準を合わせていた。
逃げ場のない空間で、無数の防衛ドローンの銃口が俺たちを正確に捕捉している。
だが、ウェスは俺の隣で、小刻みに震える手で自身の端末をきつく握り締めながらも、決して視線を落とそうとはしなかった。彼の目は、立ちはだかる厚いシステムの壁のどこかに僅かな綻びがないか、未だに画面の上を探り続けている。
俺の右腕の奥底でも、限界を超えて酷使した筋肉とリグの熱が、いまだに力強く脈打っていた。
イライアスがどれほど巨大なシステムで世界を管理しようとも、彼らの計算式に填まってやる訳にはいかない。
幾重にも重なる窮地に立たされながらも、俺たちの中に残されたその反抗の意志は、まだ消えずに燃え続けている。




