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言葉を交わす時間は終わった。
静寂を切り裂き、アリサワの姿が視界からフッと消え失せる。
目視より早く、俺の肌が正面から迫る異常な空気の圧縮を感知した。
反射的に右腕を盾のように掲げた瞬間、凄まじい衝撃が俺の体を後方へと大きく吹き飛ばす。
タワーの床をブーツの底で削るように滑りながら、俺はどうにか体勢を立て直した。
すぐさま反撃に転じる。ポリマーマッスルを唸らせて床を蹴り、ゼロ距離まで一気に踏み込んだ。
アリサワの顔面、腹部、死角からのローキック。全身全霊の連撃を叩き込むが、全てが『意志を持った鋼鉄の壁』に阻まれる。
ナノマシンの群れだ。至近距離でのアリサワは、まるで俺の思考すら読み取っているかのように、打撃が到達するよりも早く完璧な防御陣形を構築していた。どれほど手数を増やしても、指一本触れることすらできない。そこは絶望的な無敵の領域だった。
だが、絶え間なく攻防を続ける中、俺は微かな違和感を捉える。
大きく踏み込んで攻撃を仕掛ける瞬間、アリサワの周囲の空間の歪み――ナノマシンの防壁が形成されるプロセスに、瞬きにも満たない、ごく僅かな淀みが生じていたのだ。
(至近距離での反応は完璧だ……だが、遠距離から飛び込んだ時の対応には、ほんの一瞬だけ隙ができる……!)
相手の動きを予測し、ナノマシンの群れを配置するまでのタイムラグ。
その仮説に賭け、俺はあえて大きく後ろへ跳躍し、再び距離を取った。
十メートル以上の空間を空け、今度はタワーの円柱を蹴って立体的に軌道を変えながら急接近する。直線的な動きを捨て、不規則なジグザグのステップでアリサワの視界と予測を徹底的に揺さぶった。
狙い通り、見えない壁の展開が僅かに遅れる。
俺はそのコンマ数秒の隙間を縫うように、右の拳をフェイントにして、左の裏拳をアリサワの側頭部へと走らせた。
完全な防御のタイミングから遅れて硬化した防壁の表面を拳が滑り、ついにアリサワの頬に僅かに触れ――皮膚の表面を浅く裂いた。
だが、その手応えに歓喜する暇すらなかった。
血の一滴すら流れない自身の頬の傷を気にかける様子すらなく、アリサワは静かにため息をついた。
「遅いな、カイト。君のその時代遅れの処置では、私に追従することなどできないよ」
冷たい声が耳元で響いた。
距離を取って戦おうとする俺の意図など、最初から全て見透かしていたかのような響き。
アリサワはただの一歩で、俺が稼いだ十メートルの距離を『消失』させた。何の予備動作もない。空間を跳躍したとしか思えない異常な踏み込み。
そして、回避も防御も間に合わない絶対的な速度で放たれた重い拳が、俺の胸部を深く抉った。
凄まじい衝撃が、俺の体をタワーの壁面へと吹き飛ばしていた。
全身の骨格が悲鳴を上げ、背中の耐熱服が破ける鈍い音が響く。
壁に深々と叩きつけられ、肺から空気が強制的に吐き出される暇すらなく、アリサワの血の通わない手が俺の首を掴み上げ、強引に持ち上げる。
拘束から逃れようと、俺はポリマーマッスルをフル稼働させ、死に物狂いで左腕の拳や両足による蹴りを次々と放つ。
俺の連撃はどれも致命傷になり得る威力を持っていた。だが、アリサワは余裕の表情を全く崩さず、最小限の動きでそれら全てを防ぎ切る。いや、防ぐというよりは、ただそこに『存在しているだけ』だった。
打撃が直撃したはずの感触は、人間の肉を叩くものではなかった。分厚い鋼鉄の塊、あるいはそれ以上の密度を持つ未知の金属に全力で拳を打ち付けたような、絶望的な重さと硬さ。俺の打撃エネルギーは表面で完全に殺され、アリサワの身体はわずかに揺らぐことすらない。
アリサワの周囲を取り巻く不可視のナノマシンの群れが、打撃の瞬間に金属の硬度を持って結集し、俺の動きを完全に封じ込めているのだ。
「ぐっ……!」
俺の肉体が、まるで単なる物のように扱われ、容赦なく粉砕されていく。
打てば打つほど、俺の拳や脚の関節が逆に砕けそうなほどの反発を食らい、人工筋肉の筋繊維が一本、また一本と引きちぎられ、視界の端で火花が散った。
すべてを押し流すような力の差だった。
アリサワの肉体を構成するナノマシンは、外部からの衝撃すら自在に捻じ曲げ、俺の打撃エネルギーを完全に分散させてしまう。
ならばと、俺は右腕に仕込まれたインパクト・パイルに意識を向ける。至近距離からの杭打ち機構による一点突破。この拘束状態からなら外しようがない。
だが、射出のトリガーを引こうとした瞬間、アリサワの目が冷酷に細められた。奴は俺の意図を完全に読み切っていたのだ。
インパクト・パイルを至近距離から撃ち込もうにも、その起動より早く、アリサワは手首の角度をわずかに変えて俺の右腕の射出軸を逸らし、同時にナノマシンの壁が俺の腕に蛇のように纏わりつく。物理的に射出機構そのものを押さえ込まれてしまった。
結果として、過負荷に陥った四肢の負担が大きくなり熱が蓄積していく。トルクのかかり続ける人工筋繊維の廃熱が間に合わなくなり、動きを完全に抑えられてしまう。
「これで終わりか? つまらないな。君なら、もう少し面白い展開を見せてくれると期待していたのだが」
アリサワがため息をつき、俺の首を握る手の力をさらに強めた。
頸椎が嫌な音を立てて軋み、それに抗おうとするが、オーバーヒート寸前の四肢が思うように動かない。
視界の焦点がぼやけ、ブラックアウト寸前、敗北の暗い予感が脳裏をよぎったその時、四肢に力が戻ってくるのを感じる。
(オーバーヒート寸前の赤熱した俺の四肢の表面温度が下がっている?)
タワー内部の照明が一瞬だけ、凍てつくような青色へと明滅し、放熱による空間の歪みが弱まったのだ。
両足でアリサワの胸を押し蹴り、その拘束から逃れ、冷えた室内の床を背中で転がる。
アリサワは少々後ずさっただけでダメージもなっていないのを横目にすぐさま立ち上がり、アリサワに相対する距離を取り直す。
「イライアス君、これ以上余計な手出しは看過できないよ」
アリサワが視線を虚空に向け、語りかけるように低い声で呟くと同時に俺の体表を冷却するかのように稼働していたタワー内の空調制御が停止する。
だが、一撃を与えるだけの余力を得ることができた俺は決意する。
俺の体に残された、最後のわずかな力が全身の激しく駆け巡る。
この一瞬のチャンスを無駄にする余裕はない。
「うおおおおおっ!!」
俺は獣のような咆哮を上げ、全身のポリマーマッスルにかけられていた生体リミッターを完全に解除した。
肉体の限界を強制的に突破した、文字通り自らを壊す限界駆動。
内部のサーマルラティスがドロドロに溶け出し、皮膚の表面から噴き出すような熱量が、周囲の空気を焼き焦がしていく。
アリサワを守るナノマシンの壁に向けて赤熱した俺の右腕を振り抜く。
「今更あがいても遅い!」
「これで終わりだ、トニー!!」
俺の右腕はすでに限界を超え、皮膚の表面はひび割れ、内部のサーマルラティスがドロドロに溶け出している。本来であれば肉体を維持できないほどの熱量だ。それでも俺の体を突き動かすのは、何よりも強い執念だった。タイラントグレードの制御核へと真っ直ぐに伸びる一点の熱の道筋を狙う。
自身の右腕が完全に崩壊する激痛すらも置き去りにして。
俺は残されたすべての力と執念を乗せトリガーを引く、これが俺の全霊のインパクト・パイルだ!




