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タワーの最下層付近に隠された、旧規格のメンテナンス用搬入路。
かつて俺自身が都市の基本設計に組み込み、現在の記録からは跡形もなく削除されているはずの盲点だ。
分厚い隔壁をウェスのハッキングで強制的に開かせ、俺たちはついに『セントラル・タワー』の内部へと足を踏み入れた。
そこは、下層のスラムに溢れる人々の喧騒や機械の油臭さとは無縁の、極限まで統制された世界だった。
あらゆる音を吸い込む分厚い吸音材で覆われた通路は、自らの呼吸音すら遠く感じさせる不気味な無響の空間を形成している。
俺の重い足音すらも、床材に触れた瞬間に虚無へと飲み込まれて消えた。
100年前の大崩壊、量子ショック。
すべてのデジタル信用が突如として消滅したあの日、セーフティネットは破綻し、暴動によってインフラは跡形もなく徹底して破壊された。
全地球規模で同時に発生した混乱に対し、消防や救急は一斉に機能を停止し、本来ならば助かるはずだった数え切れないほどの命が失われていった。
人々は一夜にして住む場所を、築き上げた預金を、そして生きるための職を奪われたのだ。
誰かが直接手を下すまでもなく、システムへの過剰な依存が生み出した連鎖する悲劇。それはまさに、文明崩壊と呼ぶにふさわしい地獄の始まりだった。
その引き金を引いた裏切り者の真実が、この静寂に沈む空間の最上部に眠っている。
限界まで収縮した人工筋肉の過剰な張力がリグの接合部を軋ませ、引き絞られた弦のような緊張感が静止した空気を震わせる。
「……静かすぎるな」
ウェスが周囲を警戒しながら呟く。
彼の端末にはタワー内部の膨大なデータトラフィックが可視化されているはずだが、現実の空間には一切のゆらぎが生じていない。
無響の通路を進むうち、突如として周囲の空気圧が微かに変動した。
肌に触れる不自然な温度変化を、俺はかすかな違和感として感知する。
次の瞬間、空間の座標が歪むようなノイズと共に、虚空から光の粒子が収束し始めた。
形成されたのは、俺の記憶に深く刻み込まれた男の姿だった。
全盛期の肉体を精緻に再現した、アンソニー・アリサワの立体ホログラム。
仕立ての良いスーツを身に纏い、その表情には一切の焦りも敵意もない。
ただ純粋な好奇心に満ちた、酷薄なほど穏やかな笑みを浮かべている。
「よく来てくれたね、カイト。君がここまで到達するタイミングを計算するのはとても骨が折れたが、ほぼ予定通りだ」
アリサワの声はスピーカーを通しているにも関わらず、まるで耳元で直接囁かれたかのようにクリアに響く。
俺は右腕のインパクト・パイルを無言で構えた。
耐熱服の隙間から赤熱した光が漏れ、重い排気音が無響の空間に反発するように唸りを上げる。
「あの日、バックドアの仕掛けを開放したのはお前か」
俺の低く掠れた問いかけには、百年という月日と、その間に溜め込んだ後悔と苦悩、そして怨嗟が込められていた。
「私が裏切ったかどうか。そんなことを知りたいのかい。あれは全て計画されたとおりに事が運んだ結果の帰結に過ぎないよ」
アリサワのホログラムは核心に触れる回答を避け、まるでそれがさも当然とばかりに悪びれることもなく、優雅に肩をすくめた。
「クライアントの求める機能が提供されるのか、はたまたそうでないのか。そういう点では当初の予定通り、クライアントの求めた通り今の状態になったと言えるのではないかな」
「ふざけるな! 誰がこんな世界を求めたというんだ!」
横で聞いていたウェスが、俺の言葉を待たずに耐えきれず怒声を上げた。
「自ら望んで求めた者はいないだろうな」
アリサワはウェスの怒りなど意に介さず、淡々と続ける。
「君の言うこんな世界というのは『デザイン・ライフ(設計寿命)』のことだろう? 領主連合の連中がより良い世界として求めた結果、そう、彼らの欲望の帰結として今があるだけだ。もっとも、彼らは、デザイン・ライフというルールを自分たちの意志で導入し、決断を下したと思い込んでいる。だが人間社会など単純なものだ。報告書のわずかな遅延、末端の数値の微細な変更……蝶の羽ばたきを積み重ねるだけで、彼らは私が望む通りに決断を下したのだ。ただ、勘違いしてもらっては困るが、この状況も私の望んでいるものではないがね」
「じゃあ、何で「人の話は最後まで聞くものだ」」
アリサワがウェスの言葉を遮る。
「私が直接介入し、すべてを統治すれば、世界は最も安全な最適解に行き着いてしまう。それでは駄目なんだ。完璧に管理された社会からは、私の求めるものは生まれない」
アリサワの言葉には、失われた人々やその日の生存にさえ窮する人々に対する感情や共感は一切含まれていない。
「私はこの世界に美醜など求めていない。この都市は私が欲する唯一の解を育むための、ただの巨大な『揺りかご』だ」
ただ結果のみを求めるその感情の欠落した態度は、奴がこの世界を一つの巨大な実験場としてしか見ていないことを明確に示していた。
ウェスが忌々しげに舌打ちをし、自身の端末でホログラムの発生源を特定しようとコードを走らせる。
しかし、アクセスした瞬間に強烈な抵抗が返り、端末の画面が危険な赤色に明滅した。
「無駄だ、少年。君のハッキング速度より、私の展開する演算速度の方がはるかに早く、すべてを上回っている」
アリサワがホログラムの指を鳴らす。
それを合図に、タワーの内部構造を支える巨大な隔壁が、不気味な地鳴りと共に稼働を始めた。
俺は挑発に乗ることなく、極めて冷静に周囲の変化を観察している。
腕の中のポリマーマッスルが焼き切れる寸前の痛覚が、容赦なく脳を焼く。
アリサワはホログラムの輪郭をぼやけさせながら、タワー内部の通路を再構築していく。
「その点において、カイト。君という異物は実に有益だ」
タワーの空間が歪み、アリサワの姿が虚無へと溶け落ちようとするその瞬間、奴は思い出したように薄く笑った。
「ああ、そういえば先ほどの問いだがね。バックドア? 勘違いしているよ、カイト。あのバックドアは、後から仕掛けられた不正な裏口などではない。最初からこのシステムの『中核』として私が設計し、実装したものだ」
「……何だと?」
「私がシステムの主幹設計者であったことは事実だ。だが同時に、その設計を『発注』したクライアントもまた、私自身だったんだよ」
アリサワの姿が完全に消失する。
「君たちは停滞したこの都市において、新たな結果を生み出すための強烈なエネルギーだ。タワーは君を隔離し、限界値を観測する。私の計算を、私への恨みや自らの強い意志でもって覆してみせてくれ。私の予測を上回る結果を見せてくれることを期待しているよ」
その言葉を最後に空間が閉ざされ、前方の通路を塞ぐように分厚い隔壁が落下してきた。
「くそっ、通路の構造が次々と変化してる。タワー全体が俺たちを異物として認識して、自動で隔離プロセスを実行しやがった!」
ウェスの声には苛立ちが混じる。
しかし、俺の呼吸はどこまでも深く、一定のリズムを保っていた。
硬化した右腕の関節を一度だけ力強く鳴らし、目の前に立ちはだかる分厚い壁の表面強度と、それを支えるアンカーの接合部へと鋭い視線を向ける。
どれほど高度な構造物であっても、それが質量を持った壁として空間に立ち塞がっている以上、必ず力ずくで破壊するための限界点があるのだ。
「ウェス。構造がどう変わろうと、壁の向こうに奴がいる事実は変わらない」
俺はパイルの撃鉄を起こし、リグの駆動系に出力を要求する。
ギリィ、とポリマーマッスルが臨界の悲鳴を上げ、放出される莫大なエネルギーが俺の周囲の空気を歪ませた。
異物を隔離、排除するための隔壁を暴力で抉じ開ける。
それが俺の導き出した、最も単純で確実な解だった。
「道がないなら、作ればいい。それだけのことだ」
その言葉を聞いたウェスは、苛立ちを孕んでいた自身の端末の画面からゆっくりと目を離し、限界駆動で赤熱する俺の背中を見つめた。
アリサワの完璧な論理に対し、同じ土俵の綺麗なコードで勝負しようとしていた己の浅はかさ。どんなに強固なシステムであっても、そこには物理的な摩擦と異常な熱量という計算外のノイズが存在する。このどうしようもなく不器用で真っ直ぐな男の放つ『熱』こそが、世界を覆す唯一の『バグ』になるのだと。
ウェスの中で新たな煌めきが産声を上げたのだった。




