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ウェスが足を踏み入れたのは、シオンのホログラムが指し示していた白亜の巨大な施設、教団『エントロピーの揺り籠』の本拠地だった。
その外観は宗教の神殿を思わせるほど荘厳で、大理石のような滑らかな壁面には、一切の汚れや傷がない。救済を求める人々が、まるで灯火に集まる羽虫のように、吸い込まれるようにして次々と施設の中へと入っていく。ウェスもまた、うつろな瞳で彼らの背中を追い、泥にまみれた重い足取りでエントランスのゲートをくぐった。
施設内は、心地よい微睡みを誘うような静かな環境音楽と、淡く柔らかな光に包まれていた。
中層の冷たく鋭い照明とは異なり、そこには母の胎内にいるような暖かさが演出されている。それは人間の体温が生み出す熱気ではなく、システムの空調が作り出した均一な安らぎだった。ウェスはその暖かさに微塵の疑念を抱くこともなく、ただ与えられた安寧に身を委ねていた。彼の意識の奥底では、シオンの説法が心地よく響き渡り、もはや自発的な思考は完全に停止していた。
大広間の奥には、透明なカプセルが無数に並べられた巨大な処置室が広がっていた。
人々は全く争うことも急ぐこともなく、信じられないほど安らかな表情で順番にカプセルの中へと入り、横たわっていく。カプセルが閉じられると、微かな駆動音と共に彼らの首筋にプラグが接続され、意識を一つに統合するための処置が開始される。シオンが説いていた永遠の極楽への移行だ。
誰も苦痛の声を上げず、ただ深い眠りに落ちていくかのように、静かに肉体の活動を停止させていく。
ウェスもまた、その列の最後尾に並び、自分の順番が来るのを静かに待っていた。彼の中には、もはや下層での泥まみれの生活も、ナオの泣き顔も、カイトへの激しい怒りすらも浮かんでこなかった。四十年という短い寿命への恐怖すらも、この柔らかな光の中ではひどく些細なことに思えた。
ただ、早くあのカプセルに入り、すべてを終わらせたい。面倒な計算も、生きるためのあがきも捨ててしまいたい。その欲求だけが彼を完全に支配していた。
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ウェスの行方を追って中層の深部へと足を踏み入れた俺は、華やかな白亜の外観の前に立ち尽くしていた。
教団『エントロピーの揺り籠』。そのエントランスに向かって、大勢の人間が列をなして吸い込まれていく。一切の汚れや傷がない滑らかな大理石の床を、泥にまみれた重いブーツが汚していくのも構わず、俺は建物に入っていく群衆の中に、見覚えのあるよれた背中を見つけた。
下層の泥と油にまみれたコート、力なく垂れ下がった両腕。ウェスだ。
「ウェス……!」
俺が低く声を上げるより早く、その背中は意思を持たない巡礼者の波に飲まれ、施設の中へと消えてしまった。
俺は軋む足を引きずり、ウェスを追ってゲートへと近づく。
エントランスの上空には、教祖シオンの巨大なホログラムが浮かび上がり、柔らかな光と共に教義を説き続けていた。
「肉体を捨て、永遠の極楽へ――」
その声を聞いた瞬間、俺の視界がぐらりと揺れた。
足元の重力が急激に失われたような感覚に陥る。心地よい微睡みが、意識の底へと直接流れ込んでくる。常に俺の身体を苛み続けている人工筋肉の重みも、排熱機構が発する耳障りなノイズも、すべてが遠くへと霞んでいく。泥臭い現実も、不便な肉体もすべて投げ出し、この暖かな光に溶けてしまいたいという欲求が、俺の思考を白く塗り潰しかけた。
だがその時、右腕の奥深くで、硬直したポリマー・マッスルが骨格を削り取るような鋭い痛みが走った。
関節の隙間で人工筋肉が軋み、複数の鋼線が限界まで引き絞られて弾け飛ぶような異音が鳴る。発生した摩擦熱が神経を容赦なく焼く。極楽とは程遠い、俺自身の肉体が発する生々しい苦痛と熱気。その強烈な手応えが、麻痺しかけていた俺の意識を強引に現実へと引き戻した。
俺は浅く息を吐き、首を振って幻惑を追い払う。額から噴き出した汗が、周囲の冷気に触れて急速に冷えていくのを感じた。
ただの映像と音声ではない。環境音楽の低周波と、光の瞬きの中に、神経系に干渉するサブリミナル効果が仕込まれている。体内のμセルが外部からのノイズと共鳴し、強制的に思考を麻痺させようとしてくるのだ。
危ないところだった。この光と音は、目に見える暴力を持たない代わりに、人間の思考そのものを絡め取る精巧な罠だ。吸い込まれていく人々は皆、この催眠によって自意識を明け渡し、ただの従順な操り人形になり果てている。彼らの瞳に宿っていたはずのわずかな光は、完全に消え失せていた。
力ずくで突破すれば、教団の警備システムを刺激することになる。ウェスを確実に引きずり出すためには、今は波風を立てるべきではない。
俺はリグの排熱弁を絞り、駆動音を最小限に抑え込んだ。行き場を失った熱が装甲の内側に篭り、肌をじりじりと焼くが耐えるしかない。俺はフードを深く被り、周囲の信者たちと同じようにうつろな足取りを装う。軋む右腕の痛みを強靭な意志でねじ伏せながら、俺は周囲の目を欺き、静かに教団施設の内部へと侵入した。




