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INDEX  作者: クネロ
31/42

30

 ウェスが走り去った後、診療所には再び重苦しい静寂が戻っていた。

 ナオは部屋の隅で小さな膝を抱え、不安そうに俺の方をちらちらと盗み見ている。サツキは開いたままになった重厚な扉を閉め、再び俺の傍らに戻ってきた。彼女は手元の作業用ライトを切り、深くため息をつきながら、オイルと血にまみれた工具をトレイに投げ入れた。


「あの坊やを追いかけなくていいの?」


「……今の俺が何を言っても、あいつには届かない」


 俺は軋む体を起こそうとしたが、右腕の激しい痙攣がそれを許さなかった。

 サツキは俺の巨体を無理やり床に押し付け、容赦のない口調で感情を交えない事実だけの診断結果を告げた。


「届くとか届かないとか、そういう問題じゃないわ。先ほどの限界を超えた排熱の代償、自分が一番よくわかっているんでしょう?」


 彼女の温度を感じさせない眼差しが、むき出しになった俺の熱耐性格子とその奥にある人工筋肉を鋭く見据えていた。


「あんたの体、内側から確実に石化が進んでいるわ」


 サツキの口から出た言葉は、俺の肉体を蝕む致命的な症状を正確に言い当てていた。

 俺の人工筋肉は、限界を超えた排熱と冷却を繰り返すたびに内部の冷却材が流動性を失い、シリコンとして固形化していく致命的な副作用を抱えている。ケイ素キレート剤で一時的に流体化させることは可能だが、一度石化した筋繊維は多孔質に損壊し、生体組織にまで浸潤した部位は二度と元に戻ることはない。


 サツキはピンセットで、すでに灰色に変色し、カサカサと乾いた音を立てる筋繊維の一部をつまみ上げた。


「……それにしても酷い有様ね。本来ならとっくに機能を停止しているはずの劣化具合よ。限界を超えて戦うたびにこの石化現象が蓄積していく。あんたの体は、すでに修復不可能な死の淵まで来ているのよ」


 彼女の宣告は、医者としての冷静な事実確認だった。

 俺の体は一世紀以上分の過負荷を溜め込み、まさに今、完全な限界を迎えようとしていた。


「これ以上、無理に熱を出して戦えばどうなるか……言わなくてもわかるわよね。あんたの体は完全に砂となって崩れ落ちるわよ」


 サツキは厳しい声で警告する。

 彼女の言葉に、部屋の隅にいたナオがびくっと肩を震わせた。だが、俺の表情は一切動かなかった。そんなことは、何十年も前から痛いほど覚悟している。


「構わない。動けるように応急処置だけ頼む」


 俺が淡々と告げると、サツキは信じられないものを見るような顔をした。


「死ぬと言っているのよ? これ以上の無茶は自殺行為だわ。今までどおり大人しく暮らせば苦しまずに済むのに、今更どうしたっていうのよ」


「俺にはまだ、やらなければならないことがあると気付かされたんだ。ウェスを連れ戻さなければならない」


 俺の言葉には、一片の迷いもなかった。

 サツキは呆れたように首を振ったが、それ以上俺を説得しようとはしなかった。


 俺は自身が壊れていくことを、当然の代償として受け入れていた。

 かつて俺が描いた理想が悪用され、結果として理不尽な状況――下層の子供たちに短命という呪いがかけられるのを、俺はただ漫然と見過ごしてしまった。その罪を贖うためには、俺自身の体を極限まで焼き尽くし、彼らを守る盾として使い潰すしかない。


 それがウェスにとって傲慢な偽善だと吐き捨てられようとも、俺の意志が揺らぐことはない。

 俺の命は、彼らのためにすり減らされるべきものなのだ。


「本当に、救いようのない馬鹿ね。ただ眺めていたという過去の罪に縛られて、自分の命をすり潰すことに何の疑問も持たないなんて」


 サツキは悪態をつきながらも、閉腹処置を終えた俺の腕に手早く冷却剤を塗り込み、剥がしたリグの装甲を仮止めしていく。

 彼女の手つきは乱暴だったが、そこには長年診てきた破滅に向かう男に対する、医者としての微かな同情が混じっていた。


 応急処置を終えた俺は、軋む体を強引に立ち上がらせた。

 足元がおぼつかないが、壁に手をついて姿勢を保つ。


「ナオ、ここで待っていてくれ。必ず戻る」


 俺が短く声をかけると、ナオは涙ぐみながら力強く頷いた。


「……行くなら気をつけな。最近、下層で暴れてる『オーバークロッカーズ』の連中が、中層の巨大な冷却液の備蓄を狙って大規模な略奪を計画してるって噂があるわ。今のあんたの体じゃ、奴らと出くわしたらひとたまりもないわよ」


 サツキが顔をしかめて忠告する。俺は無言のまま背越しに短く手を上げ、重いブーツの足音を響かせて診療所の扉を開けた。冷たい空気が俺の熱を奪っていく。


「四十年の寿命を嘆く暇があるなら、この男が何を積み上げてきたか見ておきなさいっての。本当に世話の焼ける坊やだこと」


 背後で扉が閉まる間際、ナオに向けたサツキの独り言ちが微かに聞こえた。


 俺は一歩一歩、確かな手応えを確かめながら中層の街へと踏み出していく。

 だがその時、華やかなメインストリートでは、シオンの放つ甘美な救済の誘惑が、絶望に沈むウェスの心をすでに完全に飲み込もうとしていた。


7/15 表記ゆれ修正

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