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入ってきたのは、小柄だが異様に引き締まった体つきの女だった。
着古した革ジャンに、口元を覆う防塵スカーフ。全身から、質の悪いガソリンと濃い機械オイルの匂いを強烈に纏っている。
女――運び屋のマキは、ゴーグルを額に押し上げながら店内の俺たちを素早く見渡すと、俺の作業台の真ん前で足を止めた。
「おっちゃん、その右腕の駆動音、外まで聞こえるくらいえげつないな。油切れか? ウチが上等な潤滑油、安く回したろか」
マキが、人懐っこい笑顔でからかうように言う。
「そういう表面で起きている摩擦レベルの話ではない」
俺は視線を基板から外さずに、短く観測された事実だけを返す。
マキは軽く肩をすくめると、近くの棚に背を預け、腕を組んで俺の手元をじっと見つめ始めた。
ただ珍しいものを見物しているような目ではない。俺がどの工具を使い、どの程度のトルクでボルトを締めているか、その作業工程の構造の意図を正確に読み取ろうとする、熟練のメカニック特有の鋭い目の動きだった。
複雑な換装作業には、まるまる一時間ほどの時間を要した。
正規の規格品ではない部品を強引に組み込んでいるため、ミクロン単位で適合性に微妙なズレが生じる。そのため、各部の固定ボルトの締め付けトルクを段階的に微細に変えながら、リグの人工筋肉の挙動を幾度も確認し、テストを繰り返して進める必要があった。
すべてのボルトを固定し終えたとき、右腕の可動域と制動の感触は、通常時の約八割程度にまでは回復していた。だが、満足のいく修復とは言えない。本来のパフォーマンスを取り戻すには、やはり失われた正規の部品が必要であり、それはこの山のようなガラクタの店にも無かった。
その作業の間、ウェスは焦燥感に駆られた様子で、店の奥の巨大なジャンク棚を荒々しくひっくり返していた。
領主連合の討伐部隊が、いつこの店を嗅ぎつけて踏み込んでくるかわからない。彼は少しでも抵抗するための武器や、目くらましになるようなガラクタを必死に探しているのだ。
「クソッ、ジジ! 何でもいい、何か武器になるようなモンはないのか!」
「落ち着けヒヨッコ。そんなモンがあれば、とっくに儂が売り払っとるわ」
怒鳴るウェスをジジが鼻であしらった直後だった。
ウェスが苛立ち任せに奥の木箱を引きずり出した拍子に、棚の最下段に押し込まれていた古い紙の束が、雪崩のように床へ崩れ落ちた。
「……チッ」
ウェスが舌打ちをして、散らばった紙の束を乱暴に拾い集めようとしゃがみ込む。
その一番上に広げられていたのは、折り目が幾重にもついた、分厚く大判の古い紙だった。表面には緻密な幾何学線図と、びっしりとした注記が書き込まれている。建物の設備配線、あるいは何かのプラントの構造図面のような形をしている。
ウェスはそれを掴み上げようとして、不意にその手をピタリと止めた。
「……ジジ、これはなんだ」
ウェスが床に落ちた図面を指差し、ひどく強張った声で問う。
ジジが足元に近づき、ランタンの光をその黄ばんだ紙面に落とした。
「……さあてな。大昔の古いもんじゃ。どこで拾って見つけたかも、もう思い出せやせん。どこぞの設備の設計図面じゃろ」
ジジが興味なさそうに答える。
ウェスが、紙の右下の隅へと視線を移した。
設計図や青写真の類には、慣例として作図者の名前や承認者の情報がサインとして記入されるブロックがある。ウェスは、その四角い枠の隅に手書きで記された文字の羅列を、吸い込まれるように見つめていた。
俺は作業台から一歩離れ、自分の使った工具を布で拭いて整理し始めた。
スパナをサイズ順に並べ、ドライバーをケースの定位置に戻す。
ウェスの動きが、ピタリと止まった。
拾い上げた青写真。それが、過去を持たない男の素性を静かに暴き出そうとしていた。
彼は紙の隅を見つめたまま、一分近く、瞬きすら忘れたかのようにまったく動かなかった。店の中は不気味なほど静かで、ジジが古い薬缶を棚に戻すときの、カチャリという小さな金属音だけが響いた。
「……カイト」
ウェスが俺の名前を呼んだ。
声の質が、明らかに変わっていた。何か重大な事実を告げようとして、言葉にするのをためらっているような、言葉の手前にあるかすれた息の音が混じっていた。
「何だ」
俺は工具から目を離さずに応じる。
「この図面の右下の隅に……設計者の、手書きのサインがある」
俺は、最後のスパナを元の位置に戻そうとしていた。
「『Kaito』、って書いてある」
カチャン。
俺の中で、張り詰めていた思考の糸が唐突に切れたかのように、工具を戻そうとしていた俺の右腕の動作が、極めて不自然に、そして唐突に空中で停止した。
ジジが、鋭い目で俺の方を見た。
マキが、腕を組んだままジジを見た。
ウェスは、震える目で古い紙の上の文字を見つめていた。
入り口のソファで、ナオが空になった白湯のカップをゆっくりと膝の上に置いた。
空気の流動が止まったかのような、一瞬の静寂。
その空間で、誰も、何一つ言葉を発することはなかった。




