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INDEX  作者: クネロ
2/29

01

 網膜を焼き切るような、過剰な放射熱。

 それが、かつて我が家だった空間を容赦なく舐め尽くしている。


 大きなガラス窓が、内部の惨劇を克明に映し出すスクリーンになっている。

 内外の極端な温度差によって、分厚いガラスが悲鳴を上げて歪んでいく。

 表面には無数の亀裂が走り、かつて外の景色を優雅に切り取っていた透明な障壁が、不透明な絶望の壁へと変質していく。


 そのひび割れたスクリーン越しに見えるものすべてが、まるでひどく粘度の高い液体の中に沈んだように、ゆっくりと流れる。


 ……黒く焼け焦げた木の柱。そこから噴き出した高温のガスが空気に触れ、突発的な爆発を繰り返す。

 空気を叩き割るような衝撃波が、強靭な鋼鉄のフレームを飴細工のようにぐにゃりと歪ませていく。


 ……玄関の真鍮製ドアノブ。それが異常な熱によって不格好に肥大化し、手で触れれば一瞬で皮膚が炭化するほどの温度に達している。

 鋼鉄のフレームとの間にあったわずかな隙間は熱膨張によって塞がり、扉そのものが周囲の壁と一体化するように固着していく。もはやどんな力をもってしても、あの扉が開くことはない。


 『……、開けぇぇぇええ!……ッ!』


 呼吸をするたびに、気道が焼け焦げるような激痛が走る。肺の中で酸素が燃焼しているのではないかと錯覚するほどの高熱。


 激しく燃え上がり揺らめく室内(リビング)。その地獄の業火のごときオレンジ色の奥にいる、妻子。


 吹き抜けの空間が炎の勢いを一気に加速させている。

 2階の寝室へ至る唯一の階段が、猛烈な炎を上に運ぶ煙突と化し、脱出経路はすでに遮断されていた。


 その直上、天井部。

 建物を支えていた太い梁が、耐えきれないほどの重みと熱に晒されている。

 ミシミシという不吉な軋み音が轟音を切り裂き、木材が限界を超えてひどくひび割れていく。構造体としての強度が、今まさにゼロになろうとしていた。


 『あなた!!!』『パパ!助けてぇ!!!』


 ……焼け落ちた梁が、重力に引かれて落下を開始する。ゆっくりと、あまりにもゆっくりと。

 巨大な炎の塊が、悲鳴を押し潰しながら視界を下向きに横切っていく。すべてを押し潰す質量の暴力が、家族の姿を容赦なく覆い隠した。


 『エレナあああッ!シエナーーッ!!』

 熱された金属フレームに掌を叩きつけた瞬間、皮膚の奥の組織までを一瞬で灼き切る凄まじい熱量――



 「熱っ!」


 反射的に手を引っ込めた。

 右手に持っていたのは、沸騰した湯が入った銅製のドリップケトルだった。

 取っ手から伝わった熱伝導が、強制的に意識を現実へと引き戻す。


 ケトルの注ぎ口から立ち上る白い蒸気。

 その揺らめきの中で、かつての地獄(フラッシュ・バック)は冷たく淀んだ廃駅の工房へと溶けて消えていく。


 西暦二一六〇年。

 下層都市セクター・ラスト。ここは、かつての巨大ターミナル駅の駅員待機室跡を強引に改造した、俺の工房だ。

 肺の奥にまで入り込んでくる、湿った錆と古いオイルの匂い。それが、生温かい幻影を冷たく撫で切りにしていく。


 気を取り直して、作業台の上に置かれた器具に視線を落とす。

 鋳鉄製のハンドルと、長年の使用で黒ずんだ木製ケース。百数十年前の骨董品――手動のコーヒーミルだ。


 ゆっくりと、儀式を行うかのように右手を伸ばす。


「……、……ッ」

 腕を動かした瞬間、肩の奥底で人工筋繊維がわずかな異音を立てた。

 古びた革手袋を力任せに握りしめたような、鈍く摩擦の強い音。複数の弦を引き絞る様な嫌なきしみだ。


 現代の洗練された換装パーツであれば、磁場制御によって完全に無音で駆動する。だが、俺のような旧式のロートルは違う。

 関節を駆動させるたびに、ポリマー・マッスルの硬化による粘りのある抵抗が生まれ、それが明確な疲労となって全身に蓄積していくのだ。


 ハンドルの金属部の冷たさを掌で確かめ、時計回りにゆっくりと回し始める。


「ガリッ……、コリッ、コリッ……」


 手元からダイレクトに伝わってくるのは、窒素置換で厳重に守られてきた貴重なコーヒー豆の繊維を砕く、確かな抵抗。

 これは、身体の半分近くを人工物に換装した俺自身の出力誤差を測るための、毎朝の校正作業(ルーティン)だ。


 豆の硬さ、金属刃が受ける応力、粉砕に要するトルクの微細な変化。

 それらを、掌のフィードバックだけで読み取っていく。


 なんにせよ、今どき自分で豆を挽く人間など絶滅危惧種であろう。

 上層の連中は精製されたフレーバーカプセルをセットするだけでいい。下層の人間たちに至っては、コーヒーという嗜好品を口にする余裕すらない。

 今日という一日をどう生き延びるか。手首のμセル(ミュー・セル)に刻まれたエネルギー残量をどう稼ぎ、どう使うか。かつて旧時代の人類が、熱力学第二法則を打ち破り「マクスウェルの悪魔」を閉じ込めることに成功したエネルギーデバイス。だがこの光の届かない下層では、それは単なる己の寿命をカウントダウンするタイマーでしかない。それだけを考えて這いずり回っているのが、この世界の大多数だ。


 ミルのハンドルから掌に伝わる重い抵抗。

 それが、俺がまだ完全に機械の部品になり果ててはおらず、生き永らえている生物なのだということを実感させてくれる。


「……今日は少し、湿気が強いか……」 


 挽き終えた豆の粉をフィルターに移し、ドリップケトルから慎重に熱湯を注ぐ。

 漆黒の粉の層がガスを含んでドーム状に膨らむ。濃厚で焦げたような香りが、廃駅特有の冷たいアンモニア臭とカビの匂いを一時的に抑え込み、脳裏にこびりついた焼失の記憶を上書きしていく。


 湯気と共に立ち昇る一筋の陽炎を見つめながら、黒い液体を口に含む。

 強烈な苦味と、舌を焼くような熱。それが食道を通って胃へと落ちていく感覚だけが、この鈍色に塗り潰された無機質な世界の中で、ひと時の人間らしい安らぎを与えてくれている気がする。

 

 朝の儀式を一通り終え、分厚い防塵スカーフを首元にしっかりと巻き直す。

 重い足取りで工房の分厚い鉄扉を押し開け、湿った錆の匂いが一段と濃く立ち込める廃駅の深部へと踏み出した。


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