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一秒。
ハンスの思考がフリーズしたその取り返しのつかない隙。
その間に、俺は一歩を深く踏み込む。
右腕を顔の高さまで上げると、リグの強靭なフレームが肩から一直線に伸びる。
ガシャンッ!
肘の関節が完全にロックされ、固定された砲身が、ハンスの重装甲の腹部を真っ直ぐに向く。
腰のメインフレームが凄まじいトルクで回転し、反対側の足が床を強く踏みしめる。俺の身体のすべての質量と運動エネルギーが、右足の裏から床面へと強烈に押しつけられた。
ミシッ……バキィッ!
踏み抜いたコンクリートの床に、クモの巣状の細かい亀裂が走る音が鳴る。
キネティック・チェーン。全身のバネを、右腕の一点に集約する。
ドンッ!!
砲身の後部、チャンバー内で装薬が起爆する。
狭い建物の内部において、その爆発音は激しく波形鋼板の壁面に乱反射した。鼓膜を突く衝撃音に、部屋の奥でパイプ椅子に縛られたナオが身をすくませ、ウェスが咄嗟に両手で耳を塞いでしゃがみ込む。
右腕から放たれたのは、直径四十ミリ、全長三百ミリの質量兵器。
全元素中最高の密度を誇るオスミウムを基材とし、タングステンとレニウムで強化された超高密度合金製のパイルコアだ。拳の先にから突き出た鈍角の杭の先端が、ハンスの身体を覆う強固な演算防壁の層に直撃した。
パキィィィィンッ!
不可視の防壁が異常な荷重に耐えかね、ガラスが砕け散るような音を立てて次々と崩壊していく。
メギャァァッ!という不快な電子音が鳴り響く。
ハンスを守る最後の演算防壁、そのたった一層を残して。
「……ッ、馬鹿め、威力が足りなかったな!」
ハンスが醜悪な笑みを浮かべて叫ぶ。
だが、俺はそのままパイルコアを引き戻すことなく、右腕全体にゆっくりと体重を乗せる。
ギュゥゥゥ……ッ。
リグの駆動モーターが唸りを上げ、機構から伸びきったパイルコアを、極めて低速でハンスの腰部へと押し込んでいく。
高速の衝撃には強固に反発する演算防壁も、この低速で持続する圧力に対しては「攻撃」として正しく検知できない。シールドの防御アルゴリズムの盲点だ。
刃をジワジワと押し当てるような動きで、パイルの先端が最後のシールド層を抵抗なくヌルリと透過する。
「な……、なんだ、これは……!?」
ハンスの笑みが完全に凍りついた。
シールドをすり抜けたパイルコアが、分厚い装甲の隙間から潜り込み、その奥に配置された電磁障壁の発生器と精密な制御モジュールへと到達する。
ミシッ、メキメキメキッ……!
ゆっくりと、だが圧倒的な質量で。
パイルコアがモジュールの筐体を静かに押しつぶし、内部の基板と回路を確実に圧壊していく音が、部屋の中に不気味に響き渡った。
バチィィィィンッ!
断線した回路から凄まじいショートの閃光が放たれる。
次の瞬間、けたたましい警告音とともにハンスの腰部全体のシステムが完全に沈黙し、俺の皮膚をチリチリと焼いていた不快な電磁障壁が、嘘のように空間からフッと消失した。
ハンスの巨体が、グラリと前のめりになる。
腰部の強力なサーボモーターが完全に死んだため、上半身に取り付けた分厚い追加装甲の異常な重量を、自身の生身の肉体では到底支えきれなくなったのだ。
彼は必死に膝を立てて踏ん張ろうとしたようだが、腰の関節が完全にロックされ、そのまま操り糸を切られた巨大な人形のように、ズシンと重い音を立てて冷たいコンクリートの床に崩れ落ちた。
静寂が戻った空間で、パイルコアが、シュゥゥという排気音と共に自動で右腕の砲身内へと巻き戻されていく。
下ろした俺の右腕の奥深くで、ギィッ……という不吉な異音が鳴っていた。
駆動繊維の張力が限界を超え、可動部の遊びが大きくなってしまった音だ。出力を抑えたとはいえ、分厚い装甲を強引に圧壊させた反動で、リグの右肘関節に深刻な摩擦音が出ている。
後方で立ち上がったウェスが、すぐさまナオの元へ駆け寄り、手首の拘束をナイフで強引に切断する。
自由になったナオがよろよろと立ち上がろうとしたが、体力が限界で一度膝が折れた。そこへウェスが素早く肩を貸して支え上げる。
その混乱の隙を突いて、残っていた構成員の一人が、恐慌状態のまま後方の非常口から外の暗闇へと転がるように逃げていった。床に倒れ伏したハンスは、屈辱に顔を歪めて必死に這いずろうとしていたが、腰部の制御を完全に失った重装甲のリグでは、もはや自力で立ち上がることすらできない。
「……出よう」
俺は右腕の痛みを無視し、短く言った。
ウェスが俺の顔を見て、それからダラリと下がった俺の右腕の兵器を、まるまる一秒間、食い入るように見つめた。
「……その右腕の音、さっきから」
「後で確認する」
「後でじゃなくて、今すぐ――」
「後で確認する」
俺の感情を完全に排した低い声に、ウェスは反論を諦めてピタリと口を閉じた。
彼はナオの細い肩をしっかりと支えなおし、黙って出口のドアの方へと向かって歩き出す。
俺は最後に一度だけ、這いずっているハンスを見下ろした。
床に這いつくばったまま、奴は俺の方向を憎悪と恐怖の混じった目で見返していた。何か呪いの言葉を吐き捨てようと口を開きかけたが、俺の感情を排した視線と交差した瞬間、言葉を飲み込んで黙った。
俺もまた、奴に向けてかける言葉など何も持っていなかった。




