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誰も彼も正気じゃない

「あはっ」


すごく晴れやかな気分だ。清々しい。わけもなく笑えてきて、その感情のままに笑い声を漏らす。


ラカの部屋の縁側から渡り廊下へ、そのまま本館へ。そこには、何もかも壊れた光景が広がっていた。

さっき、皆でシダリの遺したノートを覗き込んでいた時の面影はない。障子は破れ、板戸は切れ、畳には血が広がっていた。遠く遠く、悲鳴が聞こえる。それを見ても何にも感じなかった。


「あ、ニイカ」


座敷の隅にいたニイカを見つける。座敷の角に膝を抱えて座り込み、何かを繰り返している。


「わた、わたしは、わたしはきみたちをだいじにおもっている、あ、あい、あいしているよ、えさ、えさだから、おいし、おいしそうだね……」


ぶつぶつと繰り返しているのは鹿神の言葉だろうか。

ニイカはいったいどうしたのか、誰に教えられずとも理解していた。あれは『悪い方』に成ってしまったのだ。

ここまでたっぷりと実を食べたおかげでその体は一族の者たちよりもずっと鹿神に近しいものになっている。眷属化が進んでいるといってもいい。

そこにシダリの手記を読んだことによる動揺が加わり、精神は悪い方へとねじれてしまった。平たく言えば、実で自我が緩んでいる状態で強いショックを受けたので壊れてしまった。


「うーん、可哀想」


あれはもう、どうしようもない。実による精神の干渉を加えてもさらにねじれるだけで健全には戻らない。もういっそ完全に自我をなくして、世話人に堕とすしかない。

なのでこうしよう。ぴ、と手を払った。引いた線から防御壁が構築される。防御壁は跨いだものを切断するのはハギネの時に言った通り。つまりこう。


「あとで食べてもらいなよ?」


首が胴体から離れたニイカにそう言い添える。死体は世話人が回収してくれるだろう。

一足先に食べてもらえるなんていいなぁ。そう思いながら座敷を通り過ぎる。あと2人。騒がしい声が聞こえる方へと進む。どうせカエデが何か喚いているんだろう。

寝室棟に続く廊下を進む。曲がり角の先にカエデの気配がする。


「カーエーデー?」


ぴょこんと顔を覗かせる。その顔の横を業火が横切った。

おっと、湯呑みじゃなく火の玉か。そんな冗談を言う前に顔面めがけて炎が飛んできたので壁に隠れてやり過ごす。


「なによ! 邪魔はさせない! あたしはラカ様のお嫁さんになるんだから! 邪魔する奴はぶっ殺す!!」


ラカ様へ。カエデも悪い方に成ってます。

いや、冗談じゃない。茶化している場合ではないと表情を引き締め、カエデの様子を窺う。


どうやらニイカと同じく、精神の動揺を引き金にして壊れたようだ。

ラカの嫁になるという、それだけの欲望を剥き出しにして、自分以外はすべて敵だとばかりに叫んでいる。世話人さえ敵とみなしているのか、視界に入るすべてを焼き払っている。建物が焼けないのは鹿神の力だろう。


「あれは私にとってよくないな。よし、やっちゃおう」


ラカにとってはどうか知らないが、少なくとも自分にとってはよくないものだ。邪魔。

じゃぁやってしまおう。まるで遊びに誘うみたいな気軽さで呼びかけた。


「カエデぇ、やろ!」

「あんた……っ!! 上等よ! やってやろうじゃないの!」

「うわ怖っ」


カエデの赤い炎がいきなり顔に向けて飛んでくる。顔に火傷を負わせて女としての価値を落とすなんて、とんでもないことを考えるものだ。

怖い怖いと首を竦めたくなる気持ちで防御壁を展開する。顔面に飛んできた炎を透明な壁で防ぐ。


「はん! あたしの火はあんたを焼き尽くすまで消えない! そんな壁、燃やしちゃうんだから!」

「はぁー。でもさ、カエデって私の壁を越えたことないよね」


カエデとは何回か手合わせをしたことがある。だから知っている。カエデの炎はこの防御壁を破ったことはない。

だから正面から堂々と受け止められる。この通り、熱も何も遮断する。きっと防御壁の向こうは灼熱なのだろうが、生憎こちらに熱すらまったく届いていない。熱に煽られた空気が流れてきてちょっと暑いなと思うくらいだ。


「ほらね?」


防御壁の強度は自身の心の安定度に依存する。そしてとても晴れやかな気分の今、防御壁の強度は過去最高。

対するカエデの炎の温度は感情に比例する。感情が昂ぶれば温度が上がる。だが炎は赤いまま。悪い方にねじれて歪んだ精神は真っ当に感情を昂ぶらせることすらできない。


だがカエデの能力自体が弱まったわけではない。対象を燃やし尽くすまで消えないという特質は鈍っていない。

じゃぁ、こちらはその性質を逆利用させてもらうまでだ。


「ほい、ほい」


自分とカエデの間に構築した防御壁の左右にもう1面ずつ。3面の防御壁でコの字にカエデを囲む。

これで、カエデが放った炎は自身に返ってくることになる。


「熱っ……この……!!」

「それっ」


正面と左右を封じられて不利を悟り、身を翻したところでその後ろを閉じる。四方を綺麗に囲み、ついでに床と天井も。

四角柱の中にカエデを閉じ込める。さて。炎の性質は何だっけ?


「対象を燃やし尽くすまで消えないんだっけ?」


対象は燃やし尽くすまで消えないとかいう炎は残念ながら対象に届かない。ということは、ずっとその防御壁の中で燃え続けるということだ。

それはつまり、この炎は防御壁の中でカエデを熱で炙り、苛み続けるということ。


「ぁ……あああ!!! やだ! やだ! 出して! 出して!!」

「それはできない相談だなぁ」


だって出したら殺しにかかってくるじゃない。

どんどんと壁を叩いて叫ぶカエデにそう告げる。そうしてカエデが何かを言う前に、ふっと炎が消えた。術者が死んだから炎も効力をなくして消えたらしい。


「生食よりは食べやすいかな?」


でも丸焦げだな。あんまりよくないかも。そう呟いた。





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