椎の枝
「ニイカ」
いつもは部屋を仕切る板戸を開けるが、今日は部屋の戸を開けての訪問だ。
寝込んでいると聞いたが大丈夫だろうか。見舞いのつもりで部屋を開ける。ちょうど起き上がったところなのか、布団のそばに立っているニイカと目が合った。
「大丈夫?」
「うん。薬湯ももらったし……ラカ様がね、早く治るようにって実をくれたの」
ラカがわざわざ部屋を訪ね、労ってくれたのだ。そして早く治るようにと実までくれた。
それから軽く眠り、目が覚めた今、やたら気分が晴れ晴れして気持ちいい。体の怠さも熱も消え、すっかり元気になった。
ほぼ1日布団にいたから気晴らしに庭でも散歩するつもりで身支度を整えていたところにミズキが来た。
そう言うニイカの顔は非常に晴れやかだった。つい数時間前のミズキと同じように。
そんな晴れ晴れした気分を突き落とすようで申し訳ないのだが、告げなければならないことがある。
「その実なんだけどね……」
そして、カエデにした話と同じことをニイカにも告げた。あれは食べ続ければ鹿神の眷属となり、食べなければ死ぬ、と。
シダリが調べ、そしてラカ自身が認めたことだ。真実は確かにそうだが、決してそんな残酷な運命を背負わせるつもりはなく、鹿神は真摯に誠実に我らが一族を庇護しているのだと。
「……って」
「………………そう……」
沈黙。しん、と空気が静まり返る。
衝撃は大きいが昏倒するほどではない。だが、晴れ晴れとした気持ちに冷水がかけられたのは間違いない。
ニイカの伏し目がちの目がさらに伏せられる。そのまま静寂が室内を満たす。
それから数分。でも、とニイカは結論を口にした。
「でも……私たちを思ってのことでしょう?」
ともに在りたい、だから庇護する。ひとの範疇におさめ、それを逸脱させない。ひとであることの尊厳を守り抜く。
であるなら、恐れることはないんじゃないか。要約するとそのようなことを言った。
「私は、ラカ様の優しさを信じるよ」
その誠実さと真摯さを信じる。決して心無い独善的な神ではないと信じよう。
じゃぁ何も怖がることはないじゃないか。この実は傷病を癒やし心の不安を消し長寿をもたらし、時には異能の力を与える。食べ続けた時に訪れる変異とやらはそれが起きる前に寿命を迎えるようにできている。手元にはメリットしか残らない。だったら何も不安になることはない。
真っ直ぐな信頼を口にし、ニイカは控えめながらも頷いた。
「だって、ラカ様は優しいもの。あんなに優しいラカ様が私たちを騙すなんてあるはずないわ」
ラカの、ひいては鹿神の心は常に我らが一族に寄り添っている。生まれてから死ぬまで、ずっとずっと見守ってくれている。
子が生まれたと聞けば赤子を抱き、出産を労う。子供が異能の力に目覚めればことさらに喜び、祝いの品を寄越してくれる。死ねば葬儀に出てともに悲しみ悼む。そうしてずっとそばにいる。
「ニイカって名前はね、ラカ様につけてもらった名前なの」
椎の木から取ってシイカに。あぁ、シイの音は弑するに通ずるから避けて、新たな生命を寿ぐために『新』にずらそう。
赤子を抱いたラカはそう言って名付け親になってくれたのだ。その名前はニイカの誇りだ。
名は、それが何であるかを定義するための重要な符号だ。言霊という概念があるように、名はそのものを定義付ける。
そんな重大なものである名前というものをラカから賜った。これが誉れでなくて何であろう。
「あなたもそうよね? たぶんだけど……」
ラカが名付け親になるのはニイカに限ったことではない。赤子が生まれ、まだ名前が決まっていないと聞けばラカはそれを授けてくれる。
割合としては、我らが一族の半数ほど。特に特別なことではない。だからミズキもそうして名付けられただろう、と踏んだニイカが尋ねる。
「そうね。私も、ラカ様が名付け親だって」
うん、とミズキも頷く。
そう言っていた両親はとっくに死んだので子供の頃の曖昧な記憶だが。もしかしたらラカに聞けば答えてくれるかもしれないが。
しかし驚いた。カエデに続き、ニイカともまた共通点のある相手とは。ラカが名付け親になったということは珍しいことではないとはいえ。
「……聞きにくいけど、ニイカの親って……?」
「え? お父さん? お母さん? どっちも元気だけど……どうかした?」
「あ、そうなんだ。ううん。こっちの話」
さすがに生い立ちまでは似ていないか。よかった。ほっと胸を撫で下ろす。そんなところまで似ていたらどうしようかと思った。
深く追及される前に、えぇと、とわざとらしいくらい話を変える。
「つ、次の手合わせはニイカとシダ姉だよね? 大丈夫? やれそう?」
思いっきりやった側の人間が言うのもあれだが。最悪、殺し殺されの戦いになる。ニイカが望まなくたって引きずり込まれてしまう。
その覚悟はあるのか。やれるのか。立ち向かえるのか。老婆心で尋ねる。
「わからない……。だけど、負けてられないから……」
引き返せはしないのだ。だったらやるしかない。覚悟できなくとも、するしかないのだ。
胸の前で震える拳を握り、控えめながらも気丈に前を向く。
「そっか。……うん、ごめんね、不安にさせて」
急に覚悟を問うたのもだし、実のことだって。いきなりこんなこと言われてさぞや混乱しただろう。
ごめんねと言うと、ううん、とニイカは首を振った。
「いつかは知らないといけない話だと思うし……」
それで、とニイカはいったん言葉を切った。そして戸惑いがちに次の言葉を紡いだ。
「……あの、教えてもらったお礼じゃないけど……あの……シダ姉に伝えてほしいことがあるの」
「シダ姉に?」
「うん……。あのね……」
それはエンゲージ前の選定の時の話だ。1人ずつ、居間に呼び出されてラカに口付けられたあの時のこと。
ニイカもまた居間に呼び出されてラカと対面した。最初は他愛もない話から。あの時抱き上げて名付けた子がこんなに大きくなって、とかそういう話をしていた。
その時だ。不意に隣から、がたんと大きな音がした。すぐに静かになったのだが、障子越しに何かを叫んでいたのは聞こえた。なんであたくしが不合格なのよとかそんな内容だ。内容からして不合格者の負け惜しみだろうと思っていたのだが、ふと、目にしてしまったのだ。
「世話人さんが……ササナを抱えて本邸の奥の方に行ったのが見えたの」
「ササナを?」
あの親の七光りの先祖の七光りの、威張ってばかりのササナが。おそらく気絶させられたのか、世話人に抱えられて運ばれていくのが見えた。
あれ、と思っていたら、よそ見はだめだよとラカに抱きしめられて以下略されてしまったのだが。
口付けられた衝撃ですっかり忘れていたが、今、ふと思い出した。
「本邸の奥って……禁足地よね?」
「うん、そっちの方角。……だから変だなって思って」
不合格者を叩き出すなら逆側、つまり玄関の方角のはず。表玄関では聞こえが悪いなら裏口だろう。鹿神本体がいるという禁足地の方に連れて行く理由がない。選定には不合格だがせめて鹿神本体と対面する誉れは与えようとか、そんな理由があるのならともかく。
「だからあの……シダ姉の役に立ちそうなら……」
「うん。ありがとう」
ラカのことをよく調べると言っていたし、伝えれば何かの役に立つかもしれない。
ありがとうと言い、そして話を切り上げる。
さて、次はクズノだ。




