実のこと
今は秋。庭の木が紅葉している。鞠のように整えられた菊の花がいくつも咲いていた。
彼岸花が乱立し、この世のものではないような光景を庭に作り出している。庭師の腕に感心しつつ、本館の縁側から降りて庭へ。
「……すっかり元通りだね」
一昨日かその前のことだというのに、ここで演武と称して手合わせをしたのがずっと昔のことのようだ。派手にやり合ったはずだが、庭はすっかり元通りで、割れたはずの庭石も交換されていた。
えぇと手合わせの相手は誰だったっけ、と、曖昧な日付意識と一緒に思い出そうとする。そんなことどうでもよくないか、という考えが脳裏に走って、それきり思い出すのをやめた。
もうすでに踏み越えた相手のことなんて覚えておく必要はない。
自分に必要なのはラカへの想いを表すことで、ライバルたちを叩きのめすこと。いつ、誰を下したかなんてもうどうでもいいことじゃないか。
晴れやかな気持ちで吹っ切ることを決め、思い出しかけていた記憶を放り出す。目を向けるべきは現在であり、過去じゃない。
「あ、鯉」
ばしゃんと池の鯉が跳ねて水面を揺らす。
そうそう、あの時、鯉が茹だってしまわないか心配だったのだ。
「……ん?」
あの時って、いつ?
ふとよぎった考えに立ち止まる。鯉の心配をしたのはいつの話だったか。
まぁいいか。さっきの思考と同じように放り投げた。今はこの庭の美しさを愛でよう。
彼岸花は綺麗だけど毒があるからあまり好かないな、とかぼんやり考えていたら、背後から声をかけられた。
「ミズキ」
「あ、シダ姉」
シダリだ。いつになく深刻な顔をしている。普段、姉役として気丈に振る舞い、余裕のない顔は見せまいとしているシダリが今ばかりは切羽詰まった表情をしていた。
これはただごとではない。つられてミズキの表情も引き締まる。さっきまであった万能感と高揚感は消え、緊張感で塗り潰される。
「話があるの。部屋に来て」
「話って……昨日だか一昨日だかの?」
ラカについて調べると言っていたあれだ。どうやら、シダリは『何か』を掴んだらしい。
それは尋常じゃない内容だったのだろうということはその表情からわかる。いったいどんな情報を掴んだのやら。
シダリの後についていく。一歩歩くごとに重苦しい空気が満ちていく気がした。
***
「それで……何を掴んだの、シダ姉?」
シダリの部屋に着き、座布団に座って向かい合う。茶のひとつも用意せず、シダリは硬い表情で膝の上で拳を握る。
やがて決心がついたのか、重々しくゆっくりと口を開き始めた。
「……あの実について」
「へぇ。聞かせて」
実といえば我らが一族を傷病から遠ざけ、時には異能の力を与える尊いもの。長寿の効果もあり、一般的に80から100歳前後で迎えるはずの寿命は120年ほどに伸びる。元気なら140歳に届く者までいる。
そんな素晴らしい力を与える実だというのに、それなのにシダリは嫌悪の表情を浮かべている。
「……あれは、呪いよ。食べると、ひとじゃなくなる」
「え?」
「実を食べるごとに……私たちは鹿神に近付いていくのよ」
食物を食べてその栄養を取り込むように、実を食べることで鹿神の力を取り込む。その結果もたらされるのが鹿神の眷属化だ。傷病から遠ざけ長寿をもたらし、時には異能の力を与えることはその副作用。
少しずつじわじわと、鹿神の力は体を侵食し、人間でなくしていく。次第に自我が薄まり、鹿神の意のままに動くようになる。そうして完全に自我が消去されて個をなくしたものたちが世話人の正体だ。
「それが実の正体……私たちは、人間でなくなっていくの」
自覚せず、少しずつ化け物に近付いていく。
でも、だからといって実を食べずにいると、やがて『劣化』を起こして死ぬ。これまで浸された鹿神の力に人間の部分が耐えきれなくなってしまう。
食べれば鹿神の眷属という名の化け物に、食べなければ死。それが我らが一族の末路なのだ、と。語るうちに血の気が引いていくシダリは青い顔で告げた。
「……待って。じゃぁ……」
食べなければ死。それが本当なら。
思い至った可能性にミズキが呟く。こくりとシダリが頷いた。
「そう。……モミジは『劣化』して死んだの」
彼女は願掛けと称して実を食べることを断った。つまりそれは自ら劣化の道に進んだということ。
だから彼女は死んだのだ。毒殺などではない。世話人が病死と告げたのはこの真実を隠すためだ。
加えるなら、皆の体調不良もそうだ。発熱や怠さといった体調不良は心労ゆえではない。
それらの症状は実によるもの。数日に一度の感覚で摂取していた実を三食毎度に加えて薬湯としても常飲している。その結果、急速に眷属化が進み、その反動として熱などの症状として発露した。
「……そんな……」
今まで不思議だったことに答えが与えられていく。
シダリが告げた内容がでっち上げではないということは、その切迫した表情が物語っている。こんな話を悪い冗談として語り、嘘をつけられはしないだろう。
だとするなら。シダリの話を飲み込んで、はっと思い至る。
ハギネとの戦いの中で、急に何かのスイッチが入ったように殺害に至れたのは、まさか。
――鹿神の眷属となり、思い通りに動くようになる。
あの時、もっとよく見せてとラカは言った。それが命令となって体が動いたのでは。
もうこの体でさえ自分の自由ではなくなっていたのだ。そのことに思い至り、ぞくりと背筋が震えた。
「……嘘でしょ」




