解熱
「んぁ」
間抜けな寝言とともにミズキは目を覚ました。
「あれ……朝……?」
寝起きはそんなにいいほうではない。なのにものすごく頭がすっきりしている。
なんでこんなに妙に清々しいくらいに晴れ晴れとした気持ちなのだろう、と不思議に思いながら部屋を見回す。床の間の花瓶にさしてある梅の枝は本物じゃなくて造花なのかとぼんやり考えているうちに記憶が追いついた。
「そうだ……私、倒れて……」
ぽつりとミズキが呟く。
そうだ。確か、高熱が出ているとかなんとか。記憶が途切れる直前に聞こえた世話人の声を思い出した。
つまり、整理すると。自分は心労によって熱を出し、卒倒して今起きた、と。
妙に晴れやかな気分なのは熱が引いたせいだろう。思いっきり倒れて思いっきり寝たおかげか、心労とやらもまったく感じない。
「うーん、いい気分!」
「お目覚めになりましたか」
すっと扉が開き、世話人が入ってきた。彼女が持っている盆の上の薬湯を自分から手を伸ばして受け取る。
ふんわりと香る湯気は梅に似た甘さ。煮詰めて抽出した実の味が濃い。薬というと苦いイメージが定番だが、これは甘くて心地いい。
ごくごくと喉を鳴らして薬湯を飲むミズキを世話人が静かに見守っている。
「ん。美味しい」
「さようですか」
世話人はいつも無表情で、それが無機質な存在を思わせて不気味だと感じていたが今はその不気味さも感じない。鹿神に仕えるため厳粛になった結果、自己や感情を表に出さないようにしているのだろう、とミズキは思った。
古い言葉で巫女と呼んでいたそうだし、そうして無機質的に振る舞うことで神に仕える神秘さを醸し出しているのかもしれない。
そんなことを考えつつ、空になった湯呑みを返す。ぐっと背中を伸ばすように伸びをすれば、晴れやかな精神がさらに晴れ晴れとしていくような感覚がした。
今なら何でもできる万能感さえある。現実はそうもいかないので抑えるが、もし『やれ』と命令されたり『やっていい』と許可があればそれを後押しとして何でもできそうだった。
「ちょっと散歩しようかな」
時刻は昼下がり。散歩にはちょうどいい。
散歩する旨を告げれば、世話人が準備を始めた。盆を持った世話人が退出し、別の世話人が着替えを抱えて入室してくる。
彼女から着替えを受け取り、鮮やかな刺繍がされたワンピースに袖を通す。サイズもぴったりだし、色合いもミズキ好みのものだった。
「服のサイズなんていつの間に……」
「初日に、お着替えなさった際に拝見しておりますよ」
どうやら、あの寝落ちした初日にサイズを調べられていたらしい。
寝落ちたミズキを寝間着に着替えさせ、そのついでに服のサイズを見たのだろう。そしてサイズが同じものを揃えた、と。
そうやってさり気なく用意を整えるのが世話人としての技量なのだろうな、とどうでもいいことを考えつつ、ワンピースの腰のリボンを結ぶ。すっと世話人が進み出て背中のリボンを整えてくれた。
「ありがとう」
お礼を言っている間に、するりと部屋の戸が開いて朝餉の膳を持った世話人が入ってくる。
どうやら未嫁の世話の種類で担当が決まっているらしい。膳を持った彼女は未嫁の食事のみを担当し、着替えはリボンを整えてくれた彼女が担当する。全員女性なのは未嫁に配慮してのことだろう。男性の世話人がいないわけではなく、彼らは彼らで庭掃除などの力仕事を行っているようだった。
ミズキの観察の視線を感じてか、世話人がほのかに微笑む。
「我らのことなどお気にせず」
「そんな。だって、今後長く付き合っていくかもしれないのよ?」
鹿嫁になっても引き続き彼女たちが世話をしてくれるだろう。なら、今のうちから彼女たちについて見聞を深めておいてもいいじゃないか。
主張すれば、まぁそうですが、と世話人たちは肩を竦めた。淡々と振る舞ってはいるが、照れは感じているようだ。
「まぁ、とにかく……いただきます」
ともあれ、今は観察より食事だ。いただきます、と朝餉の膳に箸をつける。栗の炊き込みご飯にさつまいもの味噌汁と秋の味覚たっぷりだ。すべて完食し、食後の茶と実を食べる。
全身に栄養が回ったおかげなのか、体中の活力がさらに増した気がした。ミズキ、元気、と韻を踏んで軽妙に呟くと、世話人が愛想笑いをくれた。
「じゃぁ、ちょっとだけ散歩してくるね。行っちゃいけないところとかある?」
「奥の間と禁足地にはお近づきにならないよう。それ以外でしたら、本邸中のどちらでも」
奥の間とはラカの部屋のことだ。本館の西にある離れである。ラカ自身は訪れることを禁じてはいないが、未嫁の礼節として無闇に訪れていい場所ではない。どうしても行くのであれば世話人に取り次いでもらうように。
そして禁足地は文字通りの禁足地だ。本館の裏手にある小さな社とその周辺の竹林である。本館とは渡り廊下で繋がっているが、そこは立ち入り禁止。その社の先には鹿神本体がいる神聖も神聖な地であるため。エンゲージに勝ち残って鹿嫁となって初めて踏み入れることができる。
と、世話人からの注意と説明を神妙に聞く。なら、庭を軽く散策することは問題ないというわけだ。庭ならば本館の表側で、禁足地とやらからは真逆の方向だ。万が一迷い込むことはないだろう。
「わかった、ありがとう。行ってきます」
「行ってらっしゃいませ」
軽く手を振って部屋を出る。寝室棟はどの部屋からも重苦しい空気が漂っていたが、なぜそんな張り詰めているのか、まったくわからなかった。




