夢の淵へ来たれ獏、情の上澄みを喰らえ鹿
昨日と同じように部屋に連れ込まれ、薬湯を渡される。正直言って飲食する気分ではまったくないのだが、飲めと言われたので無理矢理喉に流し込む。
昨日はある程度心を落ち着かせるのに役立った湯の温かさも、今は湯気が顔に張り付くようで鬱陶しいだけだ。
ほんのちょっとしたことでも気に障り、何も楽しむことができない。それもそうだろう。だって、今さっきこの手で人を殺したばかりなのだから。
「あれを私が……」
ぼんやりと反芻する。あれを自分がやったなんて信じられない。だがはっきりと記憶にある。
あの時ラカの声がして、その瞬間、やらなければと思ったのだ。やらなければという使命感が湧き上がり、それは殺害という形で発露された。
あの声に応えねばならないと思ったし、応えるということはエンゲージの決着をつけるということだし、決着をつけるということはこういうことだと自然と手が動いた。
操られていたような、自分の意志のような。何とも言えない不思議な感覚だった。自分はおかしくなったのだろうか。
黙々と考える。まだ中天に登ってすらいなかった日が登りきり、地平線へ向けて傾いても何も答えも結論も出なかった。
日が傾き、薄暗くなった部屋に明かりをつける気力もない。日没を迎えて夕餉の時間になった頃、膳を運んできた世話人が明かりをつけてようやくだ。その夕餉の膳もそこそこに、ミズキは思考に沈む。
本当に、自分はどうしてしまったのだろう。ラカのため、愛を証明するためのエンゲージとはいえ、あんなことをするなんて。
「ラカ様……」
「呼んだ?」
「ふぁっ!?」
ぽつりと呟いたらまさかの返事があった。肩を跳ねさせ、文字通り飛び上がるように顔を上げる。
ラカだ。見た目相応の青年のように人懐っこい笑顔でミズキの真横にいた。
「い、いつの間に……」
「心配で様子を見にね」
ひどく動揺しているだろうから、それを落ち着かせるために。
自分の声掛けひとつで気が楽になるならいくらでも声をかけよう。慈愛の色をたたえた目がミズキを見る。
「つらい思いをしないで。大丈夫だよ」
あの日、両親をなくしたミズキへかけた言葉と同じことをもう一度。あやすように背中を撫でた。
まるで子供扱いだ。だがミズキに反発する気はなく、大人しく撫でる手を受け入れる。
「もう一つ、食べるかい?」
演武の前にも渡したばかりだが。すっとラカが実を差し出してきた。
口付けの選別に耐えたのだ、多少食べすぎたところでミズキの体に影響は出ない。
ほら、と勧めれば柔らかな手が実を受け取った。
「……ありがとう」
差し出された実を受け取り、口へ。大口で頑張れば一口で飲み込める程度の大きさの実を丁寧に少しずつかじっていく。
咀嚼し、飲み込むごとに心が凪いでいく気がした。さっきまで鬱陶しいだけだった湯呑みの湯気も温かく良いものに感じられる。
「本当はもっと気の利いたものがいいのだろうけど、わたしにはこれくらいしかないからね」
まるで贈り物選びに失敗したかのようにラカが苦笑する。実しか能が無い鹿神ですまないね、と冗談めかして付け足した。
「そんな。私にとってはこんな良いものなのに……」
異能の力に目覚めたのはこの実を食べていたからからだ。そして異能の力があるからこそ、未嫁としてここにいられる。
実は自分とラカをつなげる象徴だ。食べれば食べるほど縁が深く繋がっていく気がする。
そんなものを冗談でも卑下されたら黙ってはいられない。そんなことないと前のめりになって反論したくなる。
「ラカ様は素敵なんです! 誰がなんて言おうと、私はラカ様が大好きなんだから!」
「ふふ……うん、そうかい。嬉しいね」
はにかむようにラカが笑う。ふわりと梅の香りが漂った。
「その調子だと、もう大丈夫かな。きみの『味』も甘やかになったようだし」
「え」
「ずいぶん苦かったから心配していたけど、これだけ甘くなったなら大丈夫そうだ」
なにせこちらは情動を喰らう鹿神なので。
何をしたかは想像に任せよう。実際何をどうしているかと聞かれると説明しづらいのだが、悪夢を喰らう獏と大して変わらないことをしている。あれと違って喰うことで感情を消し去るわけではないのだが。苦しみも喜びも当人たちだけのもので、神もどきが横から奪い去っていいものではないのだから。
悪戯っぽく笑ったラカは軽やかに立ち上がる。まるで食後に口を拭くように唇を舐めながら。
「それじゃぁ、おやすみ。もし眠れなかったら世話人に言って薬湯をもらうといい。あれにはわたしの力が込められているからね」
一族の者を思う庇護の力だ。飲むと心が安らぐのはそのためである。
まぁ、情緒も何もないネタばらしをさせてもらうと、あの薬湯は実を潰して煮詰めて作られている。つまり庇護の力と比喩しているが、直接的に言うと実の力である。実しか能が無い鹿神なので。
「うん、ありがとう、ラカ様」
わざとおちゃらけた口調で言うラカにこくりと頷く。
薬湯のせいか実のせいか、この部屋に着いた時には荒れ狂っていた心は今や静かに落ち着いている。もう何も怖いとは思わなかった。
「おやすみなさい。……夢は食べないでね?」
「もちろん食べないとも。わたしは鹿であって獏ではないからね。それでは良い夢を」
はは、と冗談を交わし、それから布団に入った。




