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私の一戦目が始まる前に

世話人に案内されて部屋から本館へ。座敷にはすでにラカがいた。昨日と同じように座布団に腰を下ろし庭を眺めている。ラカの視線の先、庭は昨日の痕跡などまったくなく、元通りに美しく整えられていた。


「おはよう。よく眠れた?」

「眠れた、けど……」


そんな呑気な挨拶をする気になれず、硬い声で返してしまう。緊張した様子のミズキを見、ラカがふっと微笑む。


「そんなふうに緊張していては普段の実力の1割も発揮できないよ」


ほら。ラカがミズキに右手を差し出す。その手には実が乗っていた。

まるで孫に菓子をやるような仕草で渡してくる実を受け取り、そっと一口かじる。梅の実に似た見た目なのにひどく甘い。柔らかい果肉を噛んでいるようなのに、みずみずしい果汁は一滴も垂れ落ちない。まったく不思議な実だ。どの果物にも似ていない。強いて言うなら、見た目は梅、食感は桃で味は蜂蜜だ。


本当に不思議な実だなぁ、と思いつつ、ごくんと飲み込む。不思議がる心の余裕が生まれたことを自覚して、自然とミズキの口端に笑みが乗った。

ミズキの表情が明るくなったのを見て、ラカが相好を崩す。


「うん、やっぱり女の子は笑ってこそだね」

「ぴゃ」

「あー! ミズキが抜け駆けしてる!」


割り込んできた大声。クズノだ。

クズノたちも朝の支度を終えて本館に移動してきたようだ。その中にカエデの姿はなかった。


「おはよう、みんな」


慈愛の顔でラカが声を掛ける。おはようございます、とそれぞれが応じた。

カエデは。気が塞いでいるそうです。ラカと世話人がそう言葉を交わし、そう、とラカが軽く目を伏せる。


「あの子の感情がここからでも伝わってくるよ。なんと苦い味だろうね」


情動を喰らう鹿神の特性だ。本館と寝室棟はこんなに離れているのにカエデの感情が流れ込んでくる。

人の死を初めて目の当たりにしたこと、それを自分がもたらしてしまったこと、その衝撃と動揺はカエデの心に深く深く巣食ったようだ。

特に注意して世話するようにと世話人に言いつけ、それからラカは一同を見回す。


「きみたちも、どうか無理はしないように。わたしは他のものと違って、苦痛は好まないのだよ」


他の『おおきなもの』と違い、崇める者たちの苦痛を餌としない。日頃からそう言っている言葉を再度繰り返した。

世には他にも『おおきなもの』がいて、それらは鹿神と同じく、自身を崇める者たちの情動を喰らう。奴らが特に好むのは苦痛に身悶えるその心だ。

しかし、わたしはそんなもの好まない。だからどうか、一族の者たちよ苦しむことなかれ。脅かされることなく安穏と生きてくれ。そのためならいかなる庇護も惜しまない。切実に望むラカはそう微笑んだ。


「きみたちの美しく生き生きとした心こそ、わたしの好む『食事』なのだから」

「はい、ありがとうございます。ラカ様」


シダリが頷く。情動を食うとは実際に何をどうしているのか、小さい頃から同じひとつ屋根の下に住んでいてもまったくわからないが、とにかく自分が喜怒哀楽を感じることでラカの活力になるのは何となくわかる。自分が大きく喜んだり悲しんだりした日はラカが活動的なので。

だから気が塞いで喜怒哀楽どころでなくなると死活問題なのだろう。人間で例えるなら、畑の作物が枯れたとかそういう事態に等しいはずだ。


「モミジ。顔色が悪いよ。大丈夫かい? 具合が悪いなら、実でも食べるかい?」

「大丈夫です。……その、願掛けをやめるわけにはいかないので…………ごめんなさい」

「あぁ、そうだったね」


朝餉の食後に食べるようにと、未嫁たちの膳に実を添えてあったのだが、どうやらモミジだけは食べていないらしい。確か願掛けとして実断ちをしているとか。思い出して、あぁ、と声を上げた。

選別の時に直接言われたはずなのに忘れるなんていけないね、と冗談めかして笑い、ラカは差し出しかけていた右手を引っ込めた。


「……さて、今日の演武(エンゲージ)は……ミズキとハギネだね」


やれるかい、とラカが問う。ミズキが頷き、遅れてハギネも小さく頷いた。

じゃぁどうぞ、と促されるままにふたりとも庭へ。昨日カエデとサクラがそうしたように向かい合って立つ。


「先に言っとくけど。私は殺し合いなんてしないからね」


だから手合わせこそするものの、決着は絶対に相手を降参させる形で。

ミズキが念押しすると、ハギネも同じく頷く。


「わたしだって……そんなことしたくないもん……」


ぎゅっと胸の前で手を握り、まるで祈るように。よく見れば、首から小さな水晶のペンダントが下がっている。そのペンダントを握り締めているようだ。

何かのお守りなのか。ハギネのことを知らないミズキには知りようがない。だが大事な心の支えなのはわかる。


それと同じものを自分も持っている。それは形ではない。ラカとの思い出である。幼少期に両親を喪い、天涯孤独となった自分に寄り添ってくれたラカの姿、その言葉。時には父のように、兄のように、絶対的な庇護者であり、上位者らしからぬ見た目相応の柔らかさ。

ラカへの好意なら誰にも負けない自信がある。絶対に負けてられない。エンゲージが心の戦いというのなら必ず勝ってみせよう。この愛は誰にも凌ぐことはできない。


「負けてられないんだから!」


やってやる。覚悟を決めてミズキは戦いに臨む。

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