アンリ、シャルルの生活を見守る
シャルル嬢が目覚めて数日が経った。散歩や軽めの運動をして彼女を凝り切った身体を柔らかくする。いくら腰はもう痛くないと言っても、ギックリ腰は再発するのだ。それを忠告しつつ、運動に連れ出している。
それ以外はやっぱり写本をしている。一日、一ページは書かないと落ち着かないようだ。刑務作業の写本をすべて書き上げた後、また別の魔導書を書いていった。
僕は肉体労働なんて嫌いだが、ずっと座りっぱなしで写本をするのもごめんだね。よくこんな大変な作業を毎日こなせるのだろう。
前に彼女から聞いたが、監獄に入る前からずっと写本をしてきたと言う。家族仲は最悪で、彼女を生んだ直後、母親が死んだから冷遇されてきたらしい。
「写本と言うのはね、写した文字の数だけ罪が許される」
「何ですか? それ?」
「私に写本を教えてくれた人が言っていたの。多分、たくさん写本をしなさいと言う理由で生まれた理由だろうけど」
つまり彼女は殺した母親のために写本を書いて償っているのだろう。写本に対してプライドは高いが、自分に対してはぞんざいに扱う理由が分かった。
だが僕的には写本以外にも彼女には知ってほしいものがあった。
その日、教会の図書室に行くと僕が昔の新聞で、彼女の事件について調べていた。写本をしていた彼女は気が付いて新聞を見る。
「へえ、随分と読みやすい新聞ね」
「……どういう事?」
「え? 今までの新聞ってインクが汚く写って文字が潰れている事があるじゃない……」
「いつの話しをしているんですか?」
印刷技術は十年以上に比べて、随分と発達している。だけどすでに彼女が監獄に入れられる前には僕が持っていた新聞並みの印刷技術はあったはずだ。
「えー、新聞を読んだことが無いんですか?」
「あるわよ……、たまにだったけど。それに私が住んでいた場所ってものすごく田舎だったし」
しどろもどろに言う彼女に、僕は「それでも、ねえ……」とあきれてしまった。
そう、彼女はあまりにも世間や文明の利器を知らないのだ。それは僕が頭を抱えて、彼女が気まずくなるくらい。
シャルル嬢は写本から手を止めて、僕が持ってきた新聞を読む。さすが写本をしていたから、読むスピードはかなり速い。時折「へえ」と感心する声が聞こえる。僕はすぐさま他の新聞を持ってくる。
だけど領地管理とかは女がやる仕事じゃ無いから知らなくても別にいいけど、それでもお茶会とか社交界とか無いのか? そう言う所に行くと教養とかマナーとか必要じゃ無いのか?
「私はほとんど出ませんでしたね。そう言ったお茶会とか」
「貴族って煌びやかなイメージだけど」
「うちは本当に小さな領地を守っていて、その領地もほとんど国に返したようです」
「名ばかり貴族か」
「名ばかり貴族、とは?」
「国が貴族税を上げたことによって、鉱山や領地などをほとんど返して、名前だけ貴族と言う形になってしまったんだよ。だから名ばかり貴族さ」
そう言った瞬間、しまった! という気持ちになった。名ばかり貴族なんて言葉、良い気持ちにならないから。
だが俺の言葉にシャルル嬢は「へえ」と面白い言葉を聞いたって感じの顔になった。少なくても嫌そうな顔ではない。
「まあ、僕の父親……。あ、俺の父親って貴族なんです。母親は愛人の立場だったけど、親父も名ばかり貴族なんで」
「結構、多いのかしら。その名ばかり貴族って」
「そうですね。だけど名ばかり貴族でも一般の人間よりいい暮らしはしていますね」
「確かにそうね」
シャルル嬢は【貴族から起業家へ華麗なる転身】という記事を見ながら返事をした。
貴族と言っても市民より遥かに高水準の教育を受けている。増税で領地を取られても、頭を切り替えて知恵とコネなどを使えば、貴族並みの生活に戻れる。それでなくても一生安泰と言われる国政に関わる人間は貴族の身分の人間がほとんどだ。
一般市民とは違って持っているカードの種類が豊富なのだ。
新聞にもいろんな種類がある。貴族向けや一般市民向け、教会の信徒向け、思想がかなり強めな新聞など、立場や思想によって新聞の種類が変わってくる。
ここの教会では、教会が出している新聞と貴族と一般市民向けの新聞がある。
「それにしても、この新聞……」
「あ、読みやすいですか?」
「誤字脱字が多いわ」
一般市民向けの新聞を見ながら眉をひそめて言うシャルル嬢。
貴族向けの新聞はいい紙を使って、文章も精錬されて、お値段も高い。だが一般市民向けは汚い紙だし文章もおかしい所があるがお値段は安いのだ。
だが一般市民が買える新聞がある事を知り、彼女はちょっと感動していた。
「大昔だとこういう情報は羊皮紙で書いて、教会で閲覧したり、貴族の人や牧師さんが読んだりしてくれたらしいですね。今の都市部では一般市民の識字率と印刷技術が上がっていますからね。ほら、こういった本とかも印刷で作られている物も多いです」
「じゃあ、写本をしている人って少なくなっているのかしら?」
「そうですね。でも写本をしていた人が本の校閲をしているらしいですよ。それから魔導書の写本は現役です。魔法は写本された書じゃないと発動できませんので」
ちょっと難しい顔になったシャルル嬢。確かに【法の書】が認められて無罪になったら、彼女は無職だ。もしかしたら聖女になれるかもしれないけど、彼女は特にそう思っていないようだ。
聖女になれなかったとして結婚という選択もあるけど、家庭に入る想像が出来ないので多分、こういった仕事に就くだろうなと思う。
よくよく考えると彼女って写本以外は何にも出来ないようだ。話しを聞くと彼女は一般市民並みの勉強くらいしかしてこなかったみたい。
「マナーとかの勉強はしてこなかったですね。兄や妹は家庭教師を付けていましたけど、私にはありませんでした」
「ふうん、なるほどね」
「あと、女は知識を持たなくてもいいと言われていましたし」
「それを貴族が言ったらまずいでしょう。というか、妹は家庭教師を付けていたのに」
「私は学ぶのが遅すぎたって父は話していました」
本当に彼女は冷遇されてきたんだな。ここまで兄妹間で格差があると、劣等感があるだろう。ああ、だから母へ償いのために写本をしているのだろうな。
ふと、ある記事を見てシャルル嬢は「あ、テロ未遂事件」と呟いた。
国王暗殺及び都市部への爆破などをたくらむテロリストが十年前に現れた。国王の暗殺は阻止されたが、都市部の爆破は未然に防ぐことは出来ず、何十人の犠牲者が出た。
それから事件の取り扱いに対して問題が出てきた。どうしてこうもテロリストが好き勝手に出来たのかと言うと都市部と田舎の警察の連絡不足だ。どちらもテロリストを捕まえたいという気持ちがあるため、自然と都市部と田舎で派閥が生まれてしまうのだ。
結局、犯人は普通の農民や商人の息子たち数人だった。だが黒幕はいると言われ、それに本当にテロリストが数人だけだったのか? という疑問もある。
今は警備も厳重だし、テロもなく穏やかな日常に戻っているが、都市部の爆破された場所には慰霊碑がある。
「この事件のせいで他の事件の捜査がおろそかになったって話しがあるらしいですね」
「……なるほどね」
シャルル嬢はそう言って、別の新聞を読み始めた。




