エピローグ
「おそらくラグラン兄上は、生きて帰れないと覚悟されていたんだろう」
まだ包帯はしているものの、傷の具合は良いからとイルドはソファに座っていた。
白っぽい部屋の壁は、新しく板を張り直して造られている。同じ色の木の扉の彫刻も、装飾過剰ではないかと思うほど繊細なのは、新婚夫婦の居室として設える際、王妃が特に念を入れて彫刻師に注文をつけたからだとか。
麻織りの覆い布を透かして入る陽の光は明るく、外が快晴であることを教えてくれていた。
「自分の死後のことを想定して、お前に王族に伝えられる歌を教えたんだ。自分が直接守れなくても、必ず王家に連絡が行く。そうすれば、予め話をしていた父王や母上がお前を保護してくれる」
イルドの隣に座ったリセラはうなずく。
「ラグランが、陛下と王妃様に私のことを話してたとは思わなかったわ」
そもそもこの結婚については、アルン側から花嫁としてリセラを指名したらしい。
ラグランが生前にアルン国王や王妃に手紙でリセラのことを書き、彼女を妻に迎えたいと願っていたからだ。その後ラグランは亡くなったが、国王と王妃はそのことを覚えていた。
あのラグランが望んだ娘であれば、和睦を存続させることに協力してくれるだろう。なにより、アルンの文化を受け入れてくれるだろうと。
「だがまさか神鳥になるなど、ラグラン兄上も予想していなかっただろうな」
あの事件から、既に三日が過ぎている。
リセラの前に現れたラグランの姿。
そして彼の言葉と、白い鳥に変化して飛び去った姿は多くの人が見聞きしていた。そのせいで、今や神に寵愛される者は死して神鳥になるという新説がまことしやかに囁かれているらしい。
そして危機を救われたリセラは、真実神の寵愛を受ける神翼の花嫁と呼ばれはじめていた。
「出てきてくれて嬉しかったけど。正直崇めるのだけは、遠慮してほしい……」
リセラはため息をつく。
あれ以来、リセラはレパスのように道行く人から律儀に一礼されるようになったのだ。
非常に居心地が悪い。平然と受け流しているレパス達が、とてつもなく偉大に思えてくるほどだ。
「それは俺も同じだ」
イルドが不機嫌そうに言う。
あの白い鳥の姿が消えた後、すぐにイルドの治療を行った。だがおどろくことに、あれほど大量に出血していた傷が、あの短時間にうっすらとふさがりかけていたのだ。
神の奇跡だと大騒ぎされ、精霊司からは質問攻めに遭い、休養しているような気分ではなかったらしい。
「で、でもおかげで私を狙うのは諦めてくれたみたいだから。良かったよね?」
はっきりと神意を見せつけられて、襲撃者達は皆引き下がるしかなかった。中には神に反したと怯える者までいるという。
そして成婚の儀は中止されたものの、明日もう一度やり直すことになった。
「そういえば、だな」
イルドが視線をそらしながら言い難そうに切り出した。
「神の鳥に祝福されるぐらいだ。もし望めば結婚をしなくとも、お前はこの国で生きていけるだろう。この国にいさえすれば、和睦の阻害をすることにもならない。だから……」
「結婚、するのが嫌になった?」
まさかアルン人らしく、神の寵愛を受けてるリセラを妻にするのは恐れ多いとか、そんなことを言い出すのではないか。リセラは真っ青になった。
「違う。だからもしラグラン兄上を忘れられなくて、他の人間と結婚したくないなら……と」
一息ついて、ラグランは言った。
「お前は、ラグラン兄上が好きなんだろう?」
リセラは目を見開いた。
確かにラグランのことは好きだった。死んだと聞いてショックだったし、彼がいないことを寂しく思って泣いた。
でもラグランは願ってくれた――リセラが幸せでいられるようにと。
多分それは、死んだラグランを思ってこれからの人生を生きろと言う事ではない。
だからそう言おうと思った時、イルドが言葉を続けた。
「でも、だな。もしお前がこのまま結婚してもいいのなら……寂しい思いはさせない。ずっと傍にいて守り続けると誓う」
いつの間にか、そらされていたイルドの視線が、リセラに向けられていた。
まっすぐに見つめる彼の視線の強さに、リセラはそれが告白なのだとわかった。
それがとても嬉しかったから、リセラは自然と笑みを浮かべていた。
「ラグランのいない国でも寂しくなかったのは、貴方のおかげよイルド。それにね、わたしラグランが現れる前ずっと祈ってたのは貴方のことだった」
死なないで。置いていかないで。そしてラグランが現れた時に思ったのは、イルドを助けに来てくれたのだという安堵だ。
自分を守るために命までかけてくれた彼に、リセラは惹かれたのだ。
「ずっと、傍にいてくれる?」
尋ねると、イルドは驚いたように目をしばたたかせ、そして嬉しそうに笑った。
そして強くリセラの体を抱きしめたのだった。