第五話 出会いとは
何事もなかったかのように村への帰路につく。
組合を出てから程なくしてフィリンも馬車へ戻ってきた。
だが、何を話したのかは教えてくれない。
そのまま何事もなかったかのように手綱を握り、馬車を走らせ始めた。
私も何も聞かなかった。
聞けなかった、という方が正しいかもしれない。
少し挙動不審になっている自覚はある。
追跡されていないか確認したい。
あの通信を送ってきた相手が近くにいるのか知りたい。
だがインプラントを使えばラフ側にも余計な情報を与えてしまう。
かといって周囲を不自然に警戒すれば、フィリンならすぐに気付くだろう。
どちらも悪手だった。
馬車へ乗ってからほとんど会話はない。
何を話せばいいのか分からなかった。
こんな状況など訓練では教わっていない。
心が真っ二つに割れているようだった。
ラフに従うべきなのか。
それとも、このまま自由を追うべきなのか。
もしかすると。
最初から自由など幻想だったのかもしれない。
フィリンにはこれ以上迷惑を掛けたくない。
だがラフにも、自分が反旗を翻したなどと思われたくない。
そんな答えのない考えが頭の中を回り続けていた。
「さっきから少し様子が変だが、大丈夫か?」
不意にフィリンがそう言った。
身体が一瞬だけ固まる。
まるで心の中を覗かれたような気分だった。
本当に魔法で読心でもしているのではないか。
そんな馬鹿げた考えすら浮かぶ。
「い、いえ……今日は情報量がいつもより多かったので、少し頭の中で整理をしていて……」
なんとか答える。
嘘ではない。
真実を少し曲げただけだ。
実際、今日は様々なものを見た。
本でしか知らなかったもの。
授業でしか学ばなかったもの。
それらを自分の目で見て、自分の手で触れた。
初めて知ることばかりだった。
ふと教官の言葉を思い出す。
――未知の中を進め。
訓練の最後に聞いた言葉だ。
もしかするとラフは、まだ私を訓練中の兵士だと思っているのだろうか。
「確かに今日はいつもと違ったな」
フィリンは静かに答える。
それ以上追及はしてこなかった。
私の言葉を受け入れてくれたらしい。
私は何気ないふりをして周囲へ視線を向ける。
だが目に映るのは森ばかりだ。
追跡者らしき姿など見当たらない。
当たり前だ。
素人の私が見つけられるような尾行なら意味がない。
そう思いながら空を見上げる。
夕日は既に傾いていた。
最後の寄り道をしたせいだろう。
今日中に帰るのは難しそうだ。
野宿になる。
野宿訓練は受けたことがある。
テントの設営。
簡単な火起こし。
最低限のサバイバル技術。
だがそれらは軍の装備を前提としたものだ。
今の私は丸腰に近い。
少しでも役に立ちたい。
だがフィリンの足を引っ張りたくもなかった。
そんなことを考えていると、フィリンがこちらを見ていることに気付いた。
視線が合う。
また心が少し跳ねた。
魔法で心を読んでいるのか。
それとも単に観察しているだけなのか。
相変わらず分からない。
「今日中には帰れないな」
フィリンが言う。
「野宿だ。一応テントも持ってきたから無防備に寝ることはない」
そう言って小さく笑った。
やはり分からない人だ。
優しいのか。
警戒しているのか。
腫れ物を扱っているのか。
それとも元々こういう性格なのか。
異種族は考え方が違うと聞く。
もしかすると会話の感覚そのものが違うのかもしれない。
◇
やがて日が沈む。
周囲は変わらず深い森だった。
フィリンは街道脇へ馬車を止め、野営の準備を始める。
私も手伝おうとしたが止められた。
理由は聞かなかった。
追及するほどのことでもない。
代わりに周囲から枯れ枝を集め始める。
そこでふと思い出した。
ライターがない。
軍服もない。
装備一式もない。
今まであまり考えないようにしていたが、自分の荷物はどうなったのだろう。
フィリンが処分したのだろうか。
そんなことを考えながら枝を積み上げる。
するとふと思いついた。
魔法で火をつけられるのではないか。
だが勝手に試す気にはなれなかった。
前回魔法を使った時のフィリンの表情を覚えている。
あれは決して穏やかな顔ではなかった。
少し落ち込みながら焚き火の準備を眺めていると、
「魔法を使ってみたらどうだ?」
突然フィリンが言った。
思考を読まれた気分になる。
彼は私の横へ腰を下ろす。
そして掌を上へ向けた。
小さな火が生まれる。
揺らめく橙色の炎。
「前回何を想像したかは知らないが、こんな感じの小さな火を想像するんだ」
私は同じように掌を差し出した。
小さな火。
火種。
ライター。
マッチ。
そんなものを思い浮かべる。
すると。
ぼっ、と。
小さな炎が生まれた。
掌の上で揺れる火。
確かな熱。
確かな光。
本物だ。
私でも魔法が使える。
その事実に胸が高鳴る。
すると炎も少しだけ大きくなる。
慌てて気持ちを落ち着けた。
「いい出来だ」
フィリンが頷く。
「じゃあ、その火を貰うぞ」
そう言うと、彼は私の炎へ手を伸ばした。
まるで紐を引くような動作だった。
すると炎が私の掌から離れ、焚き火へ移る。
次の瞬間、薪へ火が移った。
ぱちり、と音を立てる。
私は呆然と見つめるしかなかった。
魔法がどういう理屈で動いているのか全く分からない。
だが。
成功した。
それだけは分かった。
「君の魔法は敏感だな」
燃え上がる炎を見ながらフィリンが言う。
「ど、どういう意味ですか?」
「そのままの意味だ」
彼は焚き火へ薪を一本放る。
「君の感情や気分に反応して動いている」
炎が揺れる。
「ラフ族だからなのか、それとも君個人の資質なのかは分からない。だが君のような魔法使いは何人か見たことがある」
感情と連動する魔法。
私にはまだ実感が湧かなかった。
「それって……良いことなんですか?」
恐る恐る尋ねる。
フィリンは少し考えた。
「どうだろうな」
苦笑する。
「君みたいなタイプは剣術に魔法を組み込む者が多い。純粋な魔法使いというより、魔法剣士に近い」
彼は焚き火を見つめ続ける。
「だが、この様子なら普通の魔法使いとしての素質もあるかもしれない」
少し間が空く。
「俺は魔法弓使いだ」
そう言った。
「だが普通の魔法も使える。君も訓練を続ければ似たような形になるだろう」
言葉の最後が少し弱かった。
迷っている。
そんな印象を受けた。
訓練を続けさせるべきか。
それとも止めるべきか。
そんな葛藤が見える気がした。
だから私は言った。
「私はもっと魔法を使えるようになりたいです」
少しだけ強い口調になっていた。
フィリンは何も言わない。
ただ焚き火を見つめる。
揺れる炎が彼の顔を照らす。
「魔法が使えるラフ族か……」
小さな呟き。
彼の頭の中ではどんな未来が見えているのだろう。
怪物か。
災厄か。
それとも別の何かか。
しばらく沈黙が続く。
フィリンの表情は何度も変わる。
険しくなり。
緩み。
また険しくなる。
まるで心の中で議論をしているようだった。
そして。
「分かった」
ついに彼は口を開く。
「教えよう」
思わず顔が明るくなる。
自分でも隠せなかった。
だがフィリンは続ける。
「ただ」
その視線が真っ直ぐ私へ向けられる。
「魔法で無実の人を傷つけるな」
静かな声だった。
だが重い。
約束というより誓いに近い。
私は迷わなかった。
「約束します」
フィリンはしばらく私を見つめる。
そして静かに頷いた。
まだラフを警戒しているのだろう。
私自身も理解している。
だが、それでも。
これは確かな前進だった。
焚き火の炎を見つめながら、私はそう思った。
翌朝。
私たちは帰路を進んでいた。
私はまだラフの目がないか少し警戒していたが、フィリンが頻繁に魔法の話を振ってくるため、自然と意識はそちらへ向いていた。
彼の話す内容は、以前読んだ本に書かれていたものと大差ない。
魔力の扱い方。
武器への魔力の組み込み方。
魔法の維持と制御。
そういった基礎的な知識だ。
私は馬車の上で小さな水球を作ったり、土の形を変えたりと簡単な訓練を続けていた。
不思議なことに、今では魔力を扱っても身体は反応しない。
痛みもない。
あの最初の激痛が嘘のようだった。
やはり慣れなのだろうか。
だとしたら、本当はラフ族も魔法を使えるのではないか。
そんな考えすら浮かんでしまう。
そうして話が盛り上がっていた時だった。
ふと、視界の端で誰かに見られているような感覚が走る。
私は反射的に顔を向けた。
だが誰もいない。
森が広がっているだけだった。
気のせいだろうか。
結局そのまま会話は続いた。
どうやら私の魔力量はあまり多くないらしい。
ただ、まだ若い。
魔法を使い続ければ増える可能性はあるとフィリンは言った。
筋肉のようなものかもしれない。
使えば成長する。
そう考えると少し納得できた。
◇
家へ帰ると、早々に魔法の訓練が始まった。
前庭でフィリンが簡単な魔法を見せる。
私はそれを真似する。
ただそれだけだ。
だが思った以上に楽しかった。
フィリンは思い立ったらすぐ行動する。
その上、教えている時の彼はいつもより表情が柔らかい。
やはり教師にでもなりたかったのだろうか。
そんなことまで考えてしまう。
もっとも、今教わっているのは基礎だけだ。
水球を飛ばす。
土を盛り上げる。
小さな風を起こす。
どれも危険とは程遠い魔法ばかりだった。
「基礎は魔力管理だ」
フィリンは何度もそう言う。
朝から昼まで実技訓練。
その後は彼が買ってくれた魔法書を読む。
天気の良い日は前庭に出て日暮れまで本を開いていた。
士官学校でも教わった。
人間には日光が必要だ。
そんな日々が続いていた。
まるで自分の中に新しい可能性が芽吹いているようだった。
幻想の中にいるような気分だった。
◇
そんなある日。
またあの水色の少女が現れた。
ルーナだ。
私は村や周辺を知るため散歩をしていた。
フィリンも、あの買い物の日以降はある程度自由に行動させてくれるようになっていた。
いつ信用を得たのかは分からない。
だが以前ほど監視されている感覚はない。
「また会ったね、ルミナス君」
木陰で休んでいると、彼女が声を掛けてきた。
「あ、あぁ。ルーナ」
私の反応に彼女は笑顔を返す。
「今日も散歩?」
「え、えぇ。運動しないと身体は鈍るから」
無難な返答。
だが彼女は小さく笑うだけだった。
ラフの外へ出てから思う。
どうも意思疎通が上手くいかない。
それとも私が軍人以外とまともに話した経験が少なすぎるだけだろうか。
私は会話を始める側ではなかった。
言われたことをこなす。
それが当たり前の生活だったのだから。
「ルミナスって魔法使えるの?」
突然そう聞かれる。
ここは正直に答えることにした。
魔法が使える方が、この世界では自然だ。
「少しなら。あまり上手くないし、魔力量も多くないけど」
「へぇ。じゃあ見せてくれる?」
いきなりだった。
だが彼女も魔法使いなのだろう。
魔法が使える人間は思ったより多いのかもしれない。
文化の違いを感じる。
私は言われた通り、水球を作る。
今ではこれくらいなら無意識にできるようになっていた。
飛ばしたり形を変えたりするなら集中が必要だが、作るだけなら簡単だ。
ルーナは一歩近付く。
少し近すぎる距離だった。
彼女は私の水球をじっと見つめる。
「やっぱり簡単なのはすぐ出来るよね」
そう言いながら、彼女も掌の上へ水球を作り出した。
その時だった。
彼女の手の甲に魔法陣が浮かび上がる。
私は思わず目を細めた。
本で読んだ知識では、魔法陣は紙や地面へ描くものだった。
だが彼女は違う。
王都の人間だからだろうか。
魔法の流派が違うのかもしれない。
国によって使い方も変わるのだろう。
ルーナは作った水球を軽く消してしまう。
私は消し方など知らないので、近くの木の根へ飛ばした。
彼女はその様子を見ていたが何も言わなかった。
「他には何か出来るの?」
「これ以外は大したことないよ。魔法なんてあまり使わなかったし。最近フィリンさんが教えてくれてるだけさ」
言った後で気付く。
少し話し過ぎたかもしれない。
思わず緊張する。
「ふぅーん」
返事はそれだけだった。
興味がないのか。
それとも既に知っているのか。
理由は分からない。
だが何となく本音ではない気がした。
「今日は散歩だけ?」
「まぁ、今日の予定は散歩くらいかな」
一緒に来る気だろうか。
彼女のことは嫌いではない。
だが違和感は消えない。
「じゃあ一緒に歩いても?」
「ルーナは暇なの?」
「ほとんど毎日暇だよ。ここらの子供なんて大した遊びもしないし。親の手伝いか、森で植物集めたりとか」
そこで気付く。
いつも籠を持っていた理由だ。
だが植物集めとは妙な趣味だった。
薬師でも目指しているのだろうか。
そんなことを考えながら、私たちは歩き始めた。
◇
「せっかくだから薬草探しでもする?」
ルーナが言う。
悪くない提案だ。
だが森へ入るというのは少し引っ掛かった。
何となく。
罠のような感覚がある。
「日没までに帰れるなら」
そう答えた。
警戒心より好奇心が勝った。
ルーナは嬉しそうに笑った。
森は思ったより開けていた。
木々の密度は高くない。
そのおかげか地面には苔が広がり、まるで緑の絨毯のようだった。
ルーナは迷うことなく薬草や食用キノコを見つけていく。
経験があるのだろう。
私は後ろから眺めるだけだった。
「ルミナスはこれから何したい?」
薬草を摘みながら彼女が聞いてくる。
「わ、分からないけど……世界を旅したいかな」
出来ることなら。
ラフの外をもっと見たい。
もっと知りたい。
彼女はちらりとこちらを見る。
「それ、悪くないと思うよ」
そして笑う。
「なんなら私も一緒に行こうか?」
「そんな、一緒に来る必要なんて」
「私も大した夢ないし」
彼女は肩をすくめた。
「ルミナスが面白そうな未来を見てるなら、便乗した方が早いかも」
思った以上に気軽だった。
「そんな簡単に決めていいの?」
「うん」
迷いなく答える。
「昔からあんまり欲深くないんだよね。これが欲しいとか、あれがしたいとかも特になくて」
そう言って立ち上がる。
そして私を見る。
「でも、ルミナスを見てると、世界って広いんだなって思う」
私の何を見てそう思うのだろう。
演技が見抜かれているとは思えない。
ルーナは別の方向を指差した。
「あっちにもっと食べられるキノコがあるの。全部採るのは嫌だったから少し残しておいたんだ」
そう言って歩き出す。
私も後を追った。
森は静かだった。
風が葉を揺らす音だけが響いている。
灰色の都市より、ずっと落ち着く。
そう油断していた時だった。
背後から足音が聞こえる。
私は即座に振り向いた。
ついにラフの人間か。
そう思った。
だが違った。
そこに立っていたのは見たことのない男だった。
灰色と黒を基調とした服装。
ラフの戦闘服に似ているが違う。
左肩には見覚えのない紋章。
黒髪。
整った顔立ち。
年齢は二十代ほどに見える。
腰には大型の銃。
私の知らない型だった。
男を見ていると、ふとルーナが気になった。
彼女がいた方向を見る。
いない。
姿が消えている。
「初めてだな。ルミナス・スカイウィーバー」
男の声は低く、よく通った。
「へっ。こんな星に落ちたからって、そんな変な名前まで付けるのか」
鼻で笑う。
「やっぱり戦争中に雇った契約会社なんてこんなもんだな」
話の意味が分からない。
だが彼は構わず続ける。
「ルミナス、お前は俺達銀河人と少し違う」
その言葉で察した。
魔法。
そのことを言っているのだろう。
「いやぁ、見つけるのに時間が掛かった」
男は肩を回す。
「こんな航路も無い星にいるとは思わなかったからな」
そう言いながら煙草を取り出す。
ラフ以外では見たことがない仕草だった。
「最初は救難信号を拾って来たんだが、何億光年も離れてると最新のエミッターでも数百年掛かる」
男は笑う。
「だが会えて光栄だ」
そして私を指差した。
「これから俺達はお前を監視する」
その言葉に背筋が冷える。
「安心しろ。干渉する気はない」
男は続ける。
「お前にはまだ芽吹いていない才能が山ほどある」
そして肩をすくめる。
「今こうして話してる理由か?」
少し考える。
「特にないな。俺個人の理由だ」
男は煙草を一口吸う。
紫煙がゆっくりと森へ溶けていった。
「だが、この言語は面白いな」
男は独り言のように呟く。
「昔訪れた星の言語に少し似ている。銀河標準語が制定される前の言葉だったか……名前は忘れた」
少し考え込む。
「まぁ、自動翻訳は問題なく動いているようだな」
そして再び私を見る。
「じゃあな、ルミナス」
男は軽く手を振った。
「次に会った時、お前は俺のことを覚えていないだろうが」
口元だけで笑う。
「アクシアに見つかると面倒なんでね」
そう言って片手をこちらへ向ける。
指先が僅かに動く。
「ふん、やっぱりインプラントも劣化しているか」
その言葉と同時に。
私は瞬きをした。
◇
目を開く。
誰もいない。
男の姿は消えていた。
森には風の音しかない。
「どうしたの?」
後ろからルーナの声が聞こえる。
振り返ると、彼女は先程と変わらない場所に立っていた。
私は少しだけ眉をひそめる。
何かが引っ掛かる。
だが、その正体が分からない。
「なんでもない」
そう答えた。
多分、さっきの音は木の枝でも落ちたのだろう。
何か考えていた気もする。
誰かを見た気もする。
けれど、それ以上は思い出せなかった。
思い出そうと考えるとどんどん詳細を忘れてしまう。
私はそのままルーナの後を追った。
少し書き方を変えてみました、まだまだ初心者ですが、宜しくお願いします




