塾生最後の日
「須磨っち~!」
ドゴンッ
「うぼぁーっ!」
塾の教室のドアを開けた楽人は、金色の弾頭のミサイル――範子のフライング・ヘッドバット――が腹に直撃して仰向けに倒れた。
「きょ、今日は何だ範子? 講師の淫行ネタなら、もう賞味期限切れだぞ」
先日【リアライザー】の違法取引で逮捕された講師について、警察から事情聴取を受けた塾は慌てて会議を開き、昨日、保護者全員に通知を送っていた。
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当塾の講師である二楷堂が先日、知り合いから【リアライザー】の少女を購入して淫行に及んでいたことが発覚し、警察に逮捕されました。
当塾としましては、彼を懲戒解雇すると共に、塾内を徹底調査致しまして、他の講師に違法行為が無いことを確認致しました。
彼のような不心得者が二度と現れないようにする所存。
この度は父兄の皆々様には、ご不安な思いをお掛けしましたこと、深くお詫び申し上げます。
塾関係者一同、誠心誠意努めて参りますので、今後とも何卒宜しくお願い致します。
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いじめなどの不祥事が発覚しても居直る学校が少なくない中、下手な誤魔化しや擁護をせず、素直に認めて改善を表明する姿勢は企業的だと言えよう。
「違うって。今日はあーしの塾、最・終・日♪」
楽人を下敷きにして無事着地した範子は、上体を起こして馬乗りになりながら訂正した。
「なるほど。姐御、お勤めご苦労様っす」
楽人は態とらしく下っ端風に揉み手をしながら、先日、渡良瀬警部に使った時とは違う意味で、同じ言葉を贈った。
「あーしはヤクザの親びんじゃないよ~!」
範子は楽人の腹の辺りに、ポコポコと駄々っ子パンチを繰り出す。
「知ってたか」
「須磨っち~、祝って~~」
「安心しろ。俺は来週も再来週も、そのまた来週もずっと塾だ」
ピタッ
「須磨っちかわいそう」
何を安心しろと言うのか本人も分かっていなかったが、範子の手が止まったので本懐は遂げたと言えよう……真顔で憐れまれてしまったが。
「それで、範子は明日からどうするんだ?」
「彼ピとデート!」
範子の顔がパッと明るくなり、手を合わせて満面の笑顔になって悶えた。
「ん? デートなら塾があっても週末に出来ただろ」
楽人は範子から週末デートを惚気られていたので首を捻る。
「わかってないなー須磨っちはー。やっと塾から解放されたんだから、祝って欲しいじゃん」
「なるほど?」
楽人は誘拐犯から助け出された夜、サーニャと激しく致したことを思い出して頷いた。
「手料理でめちゃきゅんさせてー…」
ガラララッ
「席に着け。講義を始めるぞ」
教室に入って来た講師は、楽人たちを無視して講義の開始を宣言した。
教室で仰向けの男子の上に女子が馬乗りになって悶えていたら、普通なら事案以外の何物でも無い。
先日の事件があったので、片方が講師なら彼も止めたのだろうが、彼らは塾生同士。
しかもそれは今日に始まったことではない。
彼ら……と言うか彼女がジャレているだけなのは、既に塾内では周知の事実であり、講義は真面目に受けるので、講師からも公認になっていた。
「「は~い」」
楽人と範子の返事が綺麗にハモる。
疑うなと言う方が無理である。
* * *
「じゃあ帰るか」
「じゃあね」
塾が終わって楽人が範子に声を掛けると、範子が手を振った。
「え? 帰らないのか」
「ん。今日最後だから……あ、ママ!」
楽人が範子の声に反応して、教室の入り口を振り返ると、そこには着物を着た妙齢の女性が立っていた。
範子の母親なら三十路は下らないはずだが、一見では20代半ばの音無先生と同年代に見えるくらいに若々しい。
範子と違ってきつめの印象を与える化粧こそしているが、眉毛を抜いたり描いたりしておらず、着物の裾から垣間見える脹脛は自然なラインを保っており、ダイエットで痩せ過ぎたり筋肉になったりはしていない。
素材を活かした美貌からは、素人目にも整形手術を全くしていないことが伺い知れた。
(母親を見るに、範子の化粧って無駄なのでは?)
楽人の疑問も尤もだが、化粧をする理由は見た目の向上だけでは無いので、彼にはまだ早い問題かもしれない。
「範子さん、そちらの男性はどなたかしら?」
冷たい視線が楽人に向けられる。
「須磨っちだよ」
範子の母親の細い目が更に細められた。
(おい! もう少し考えて説明しろ! 色々疑われているぞ!)
危機感を覚えた楽人は、範子に任せるのは危険と判断して自己紹介を始めた。
「須磨楽人です。範子とは単なるクラスメイトです」
「ひっど! あーしと須磨っちはマブっしょ!?」
範子が思いっきりショックを受けた顔になるが、楽人は無視して続けた。
「学校ではあまり話す機会は無かったのですが、この塾で会って他に知り合いが居ないと頼られたので、塾のことを教えている内に友達になりました」
「須磨っち話し方が変~」
「俺はいつも目上の人には丁寧語だ。母さんに小さい頃から躾けられて来たからな」
くすくすっ
楽人が含み笑いに惹かれて範子の母親に視線を戻すと、彼女は口元に手を当てて上品に、そして本当に楽しそうに笑っていた。
「立派なお母上ですね」
「自慢の母です」
範子の母親はすっかり警戒を解いて、それを理解した楽人も肩の力が抜けた。
「範子が世話になっているようで」
「いえ、クラスメイトとして当然のことです」
「むぅ…」
範子は、初対面なのに自分を無視して和気藹々と話す二人に、軽い嫉妬を覚えて、
「行こう、ママ! じゃあね須磨っち」
母親の腕を取って、早く塾長へ挨拶に行こうと引っ張った。
「あらあら珍しい。それでは失礼致しますわね」
「ええ。…範子、また学校で」
楽人が声を掛けると、範子は顔だけ振り返って「い~っ!」と口を横に大きく広げた。
楽人は手を振って二人を見送った後、ふと思い出した。
「…あ、今日のジュース忘れてた。まあ次に会った時でいいか」
しっかり勉強をしたらジュースを奢るという約束は、最終日に延期を余儀なくされた。
これがどんな意味を持つことになるのか、その時の彼は知る由も無く、二週間ぶりに一人で塾を出て家路を辿るのだった…。




