音無先生の家庭の事情
――時間は二日前に遡る。
音無静香は怯えていた。
【リアライザー】の戸籍登録のための審査日。
数時間並んで迎えた自分の番。
部屋には審査を執り行う女性市役所職員が三人と、女性警察官、女性自衛隊員が1人ずつ。
目の前の椅子に座る、彼女より一回り年配の市役所職員に、原作のユントロへの思いの丈を尋ねられたが、教師としての常識が邪魔をして、何度も詰まったり、躊躇ったりしてしまい、上手く言葉にできなかった。
ユントロは設定上の衣類や装飾品が無いので、【リアライズ】時の持ち物検査は省略された。
「審査は終わりです」
そう言われて焦った。
現状では、ユントロの【共生者】だと信じて貰えるとは、到底思えなかったからだ。
彼女は自分を客観的に見て、何の証拠も無く【共生者】を主張しているようにしか見えなかった。
これなら、ユントロを奪おうとしたあの女性の方が、余程【共生者】に見える。
そう思って慌てた彼女に、市役所職員は無慈悲な宣告を下した。
「合格です」
「…え?」
静香は自分の耳を疑った。
(彼女は今、何て言ったの? 合格と言ったように聞こえたけれど……一体何が? まさか審査のことじゃないわよね。私の何処に合格になる要素が…)
彼女の気持ちを察した市役所職員が、もう一度言った。
「音無静香さん。あなたがユントロの【共生者】であることが承認されました」
「…どう…して?」
素直に受け取れば良いのに、反故にされる可能性を気にも留めず尋ねてしまうのは、彼女の正直さ故だった。
「あなたは以前、警察のお世話になったでしょう?」
「…はい…」
彼女は真っ先に、教え子の須磨楽人の姿を思い浮かべてしまう。
そのせいで、余計に言葉の意味が分からなかったけれど、彼女は素直に答えた。
「その時に警察があなたとユントロについて調査済みだからです。その情報を元に政府の審査は終わっていますので、後はこの場の審査だけでした」
筋の通った話である。
当初から【リアライザー】について慎重だった政府は、戸籍登録の審査を発表する前から、各機関から挙げられる報告を精査していたのだ。
「でも、私、今…」
理解が追い付かない彼女に、市役所職員は最後のヒントを伝えた。
「わたくしたちの審査は言葉だけではありませんよ」
「ウユーン…」
市役所職員が音無静香の手元を見ると、ユントロが彼女の手に両前足を置いて、円らな瞳で心配そうに見上げていた。
「警察の調査結果と政府の決定。何より、その姿を見て否と言える人はいませんよ」
市役所職員が優しい目でユントロを見つめる。
静香は漸く審査の理由を理解した。
「…あ、ありがと…うございます…!」
彼女は泣きじゃくりながら、職員たちにお礼を言った。
* * *
審査後、その場でユントロの戸籍登録が行われた。
非人型ではあっても、家族には変わりが無い。
人間のように働くことは出来ないので、扱いとしてはペットに近いだろう。
登録が終わった彼女は、市役所のトイレの個室に入り、便器に座ってユントロを膝の上に乗せた。
「須磨君のお陰だね。また助られちゃった♪」
音無静香は誰も聞いていないのを良いことに、年甲斐も無く少女みたいな口調でユントロに話し掛けた。
「ウユーン♪」
ユントロも楽人を思い出して嬉しそうに鳴く。
彼女の胸は、早く楽人に審査結果を教えたい、感謝の気持ちを伝えたいという気持ちでいっぱいになった。
でも、真面目な自分がそれを否定する。
≪教師が生徒に私用の電話をする気?≫
頭の中で小さな静香ちゃんが疑問を投げかけた。
これが普通の人なら、ここで悪い心が悪魔の姿で現れて唆すところだが、彼女にそんなものは…、
≪でも須磨君、気にしてたよね?≫
…居た。
彼女のイメージなので可愛らしい――サーニャよりも小さい――悪魔の羽と尻尾が生えている。
≪心配してくれる人を無視するのって、人間としてどうなのかしら?≫
≪それはそれ、これはこれよ≫
悪魔静香ちゃんの正論を、融通を利かせてあっさり躱す真面目静香ちゃんに、これまた可愛らしい白い翼と、何故か白い猫耳がピョコンと生えた。
≪なんで駄目なのよ?≫
≪須磨君が退学になったら可哀想じゃない。将来に響くわよ≫
≪じゃあ養えばいいじゃん。彼、主夫とか似合いそう≫
≪う~ん…≫
天使と悪魔のミニ静香ちゃんが、頭の上でグルグル追い駆けっこを始めた。
≪やっぱり駄目。私も懲戒解雇されて養えない≫
≪ちっ、気付いた……既成事実作って責任取らせる予定だったのに…≫
≪え?≫
悪魔静香ちゃんが急に止まり、天使静香ちゃんが止まれずぶつかってしまう。
悪魔静香ちゃんがお腹を抱えて笑い、天使静香ちゃんが怒ってポコポコと殴り掛かる。
悪魔静香ちゃんも殴り返し、白と黒の煙が巻き起こり、煙が収まった時には両者ノックダウンとなっていた。
決着が付かないと言う形で勝利した、天使の音無静香は、倒れたままサムズアップした。
「…それより、今度は私の番だね」
静香は楽人に伝えることを棚上げして、別の問題を先に解決することにした。
――家族のことである。
彼女は厳しい家に生まれた。
然る華族の分家で、代々諜報に携わって来た家系であり、昔は忍者だったという。
そのせいか、彼女は幼い頃に忍者に憧れて、それが切っ掛けで漫画やアニメに嵌った。
しかし、諜報に携わると言うことは、知識、技術、身体能力、人誑しの能力が要求されるということである。
英才教育は幼い頃から始まった。
しかし、同じくらい幼い頃から漫画好きだった彼女は、少女漫画もよく読んで純愛に憧れ、それ故に人誑しの意味を理解した時に反発した。
幸運にも、彼女には兄も姉も居たので、両親も無理に稼業を継がせようとはしなかった。
その代わりに小遣いを減らされ、女子校に通うことになり、公務員にならなければ政略結婚させられることになった。
バイトも禁止された彼女は、より多くの漫画を読むために友達とシェアしたり、親が通話料を払ってくれるのを良いことにネットサーフィンを繰り返したりした。
気付いた時には重度のオタクになっていたが、金銭的な問題でゲームにはあまり嵌らず、オタク生活のために必死に勉強して、女子大卒業後に高校教師になった。
収入を得た彼女は一人暮らしを始め、今まで買えなかったグッズを買い漁るようになった。
ユントロは学生時代に好きになった漫画原作のキャラクターである。
金銭的な問題から人一倍同じ漫画を繰り返し読み、辛い時も悲しい時も心の支えにし、一緒に居てくれたらと就職後もずっと思い続けた結果、【リアライザー】として現れたのだ。
もしアニメが原作だったなら、【リアライザー】の条件の関係で彼女の元には現れなかっただろう。
実家が【リアライザー】にどこまで関わっているか、稼業に関わっていない彼女には分からない。
もしかしたら、彼女がユントロの【共生者】であることに、ずっと気付かないかもしれない。
けれど、彼女はどうせ知られるなら自分から伝えたいと思った。
――心の何処かで、親に自分が好きな物を……自分を認めて欲しかったのかもしれない。
「…でも、本当にお父様お母様に認めてもらえるかしら…」
「ウユーン…」
親に認められず、愛されていないと思っている彼女には、親に話す覚悟が出来なかった。
人の悪意に疎い彼女は、その結果がどのような結果を招くことになるのかを、その時はまだ知る由も無かった…。
今日のフラグメーカー




