意外な訪問者
翌日。
静かで穏やかな朝。
夏休み中の日曜日と言うこともあり、旦那の仕事も息子の学校も無いので、須磨真理は普段より遅く起きて来て、居間の惨状――立ち込める臭い、飛び散った体液、その中でソファーで絡み合って眠る息子とその恋人――を見て呆れた。
楽人とサーニャは母親に起こされて、居間から追い出され、珍しく朝からシャワーを浴びた。
「ふわぁ~あ~」
楽人が大きな欠伸を漏らす。
昨晩は拉致誘拐事件に巻き込まれて夜遅く帰宅し、そこから愛する【リアライザー】と愛を確かめ合ったので、寝るのが遅かったのだ。
熱いシャワーを浴びながら、「どうせ外出する予定も無いから、サーニャの匂いを落とさなくても良いのでは?」と、寝ぼけた頭で頭の悪いことを考えていた。
「うぅ~…腰がいたいですぅ…」
サーニャが腰を擦る。
ソファーで寝たのが悪かったのか、夜遅くまで愛を確かめ合ったのが悪かったのか。
割合で言えば後者である。
何せ、楽人が激しく突いただけでは無く、彼女自身も調子に乗って彼の上で跳ねていたのだから。
二人がシャワーを終えて、何時の間にか母親が用意しておいてくれた服に着替えて食堂へと向かうと、既に朝食の準備ができていた。
「朝から豪勢だなぁ」
楽人は驚きながら自分の席に座った。
食卓に並ぶのは御飯に味噌汁、お漬物、納豆、海苔、鮭の塩焼き、味の染み込んだ肉じゃが、出来立て感の感じられないカニクリームコロッケ……朝食とは思えない量である。
それもそのはず。
昨日、楽人たちが誘拐されていて食べられなかった分も、普段の朝食と一緒に出て来たからだ。
「ふにゅぅ…」
普段早寝早起きのサーニャは、シャワーを浴びてもまだ眠そうにしながら、いつもの場所に座った。
「はいはい。寝坊助さんたち、ちゃんと食べるのよ」
「いただきます」
「ひたらきふぁ~ふ」
楽人とサーニャは手を合わせて、声も二人合わせて食事を始めた。
「むぐっ!」
まだ寝ぼけているサーニャは、黄金色の輝きに誘われてコロッケを箸で摘まんで一口咥えると、目を見開いて驚いた。
「あまいですぅ! おいしいです! 何ですかこれ?!」
母親が帰りの遅い二人を心配しながら、疲れて帰って来るだろう二人のために作った、手作りカニクリームコロッケだ。
「ふふふ、それはねえ…」
母親が嬉しそうに説明する。
今日も須磨家の賑やかな一日が始まった…。
* * *
「食べ過ぎた」
朝食後、楽人は居間のソファーで、お腹を抱えて呟いた。
昨日ほとんど食べていなかったこともあって、一度食べ始めると手が止まらず、気付いた時には出された料理を完食していた。
居間は彼らがシャワーを浴びている間に母親が綺麗に片付けた。
生々しい臭いは換気され、朝の清涼な空気が部屋を満たし、飛び散っていた体液の跡形も無い。
「おいしかったですね~♪」
隣に座るサーニャは満足そうにお腹を擦る。
(女の子の甘い物は別腹って、おかずにも適用されるんだっけ?)
サーニャは楽人より食べていたはずだが、その痕跡は顔にもお腹にも出ていない。
《――次のニュースです。昨日未明、誘拐されていた【リアライザー】と【共生者】が保護され、犯行グループは全員逮捕されました》
「え?」
楽人はニュースを聞いて、先程まで浮かんでいた、サーニャの胃袋への疑問が一気に吹き飛んだ。
テレビには楽人たちが捕らわれていた倉庫街が映っている。
しかし、映像は遠くから映すばかりで、【共生者】や【リアライザー】たちが捕らわれていた倉庫も、犯人たちが居た倉庫も、近付いて撮影したり紹介されたりしない。
それどころか、【共生者】や【リアライザー】は元より、誘拐犯たちの写真や名前も公表されなかった。
(いつの間に…?)
楽人は訝しんだ。
倉庫には【リアライザー】の居ない【共生者】の女性たちも囚われていた。
しかも、誘拐犯たちはクルーザーごと海に沈み、倉庫には証拠になりそうな物は何も無かった。
(半日足らずで残りの被害者と犯人を…? …そんな馬鹿な…)
しかし、どんなに納得が出来なくても、民間人である楽人に詳細を知る術は無いし、警察が話すはずも無い。
現実は探偵小説とは違い、守秘義務が厳しいのだ。
例えば、全ての証拠が押収されて、人身売買用に撮影された写真が見つかったとしても、それが当事者以外に公開されることは無い…。
* * *
「――と思ってたんだけどなあ」
楽人は居間のソファーでぼやいた。
隣には当然サーニャが座っている。
「何を言っているのかね?」
目の前のソファーにどっかりと座った中年の男――渡良瀬警部――は、怪訝そうな顔をした。
今日はいつもの警察官の制服では無く、アロハシャツに半ズボンと言う、流行からズレた中年のバカンスのような服装。
――事の始まりは一時間ほど前。
楽人たちが昼食に、昨日彼らの帰りを待ち侘びた母親が作り過ぎた料理の数々を食べ終えて、一休みしていた頃に遡る。
楽人のスマホに、渡良瀬警部から電話が入った。
『おう、坊主。今時間あるか?』
彼は親しい友人に話し掛けるような感じで確認した。
楽人が何か予定があったか思い出そうとサーニャの顔を見ると、彼女は小首を傾げて不思議そうな顔をする。
「大丈夫ですよ、渡良瀬警部」
『じゃあ、一時間後にそっち行くわ』
「え? 待っ…」
ガチャンッ
ツーツー…
そしてキッチリ一時間後。
アロハシャツに半ズボンの中年が家に来て、昨日の件で話に来たと警察手帳を見せたのである。
母親は当然驚いたが、息子から渡良瀬の名を聞いていたので、直ぐに立ち直って彼を居間に案内して今に至る。
「こちらの話です。それで、いきなり家まで来て今日はどういった用件ですか?」
目上の人相手だと急に丁寧な口調になる楽人に、まだ見慣れていないサーニャは目を白黒させる。
渡良瀬警部は拉致被害者の個人情報を含む話と言って、両親には席を外して貰った。
父親は素直に自室へ向かったが、母親は息子が何かやらかしたのかと心配で仕方が無く、居間のドアにコップ越しに耳を当てて聞き耳を立てていた。
「釣れないなあ。儂とお前の仲だろう?」
「どんな仲ですか」
高校生と親子ほども年齢の離れた渡良瀬警部の気心の知れた会話には、隣で聞いていたサーニャだけではなく、聞き耳を立てていた母親も目を白黒させた。
「真面目な話、被害者に一軒一軒当たってるんだ」
「その格好でですか?」
楽人は当然の疑問を口にした。
「周りの目もあるからな。警察官が出入りしたとなると色々と勘繰る輩も多い」
事件のあった前後で警察が立ち寄れば、関連性を疑う者は少なくない。
【リアライザー】絡みともなると、マスコミがどこまで騒ぐか予想も付かず、近隣住民にしても近所付き合いへの影響が予想される。
今回の事件は誘拐だ。
若い女性が誘拐されたとなれば、奇異の目は避けられない。
特に、あのキャバ嬢が“世界三大マスコット”の一角、“仕事を選ばない猫”の【共生者】だと知られれば、まともな日常生活を送れなくなるのは目に見えている。
それら全てを考慮しての私服なのである。
…別の方向で目立っているが。
「お勤めご苦労様です」
――目上の人に『ご苦労様』が失礼だというのは、厳密には正しく無い。
歴史を紐解けば、江戸時代の記述で家老が主君に使ったり、上下関係に厳しい陸軍ですら使われていた。
何なら、戦後の日本を代表する某首相ですら、天皇陛下に使って批難されていない。
『ご苦労様』が失礼だという風潮は、声の大きい一部の人間によって歪められたものに過ぎないのだ。
そもそも、警察官は公僕であるため、市民が労う時に『ご苦労様』と使うのは、どう転んでも正しいのである。
…尤も、そこまで理解して使う高校生というのも、かなり珍しいのだが…。
「息子のような年齢のガキに労われるとは、儂も歳かねぇ…」
渡良瀬警部が肩を落として苦笑した。
「…まずはこれだ」
渡良瀬警部がテーブルの上に、表に『須磨楽人』と書かれた小さな封筒を置いた。
楽人がそれを手に取って封を開けると、中から写真数枚分のフィルムと印刷された写真が一枚出て来た。
「あっ、これってあの時の!」
サーニャが写真を見て目を輝かせた。
それは昨日、写真屋で撮った写真だった。
“ミレニアム戦記”のワンシーンを彷彿とさせる、青い月明りに照らされた夜の森に小さな光が舞う背景に、そっと寄り添うサーニャと楽人の姿。
素人目にも美しい写真。
写真屋ウロボロスの武田は犯罪者に身を窶しても、最後まで写真屋でもあり続けたのだ。
「捨てるのもどうかと思ったのでな」
渡良瀬警部は片方の口角を上げてニヤリと笑った。
「ありがとうございますぅ♪」
「どういたしまして」
サーニャが満面の笑顔で頭を下げてお礼を言うと、渡良瀬警部は軽く手を上げてそれに応えた。
「それと事件について教えておこうと思ってな」
「良いのですか?」
渡良瀬警部は楽人の質問には答えず、一方的に話した。
海底に沈んだ誘拐犯は、全て死体で回収された。
拉致した【リアライザー】や【共生者】の移送先にも手入れが入り、そこに居た拉致被害者は全員保護され、彼らを管理していた誘拐犯の仲間も全員逮捕された。
昨日の夜、【心眼】に両腕を折られた犯人も、警察病院で檻の中だと言う。
「押収した証拠品の中からヤバい顧客データも出て来たんだが…。まあそれは国が外交で解決する問題だから、儂たちにはもう手の届かない話だな」
さらっと途方も無い話がを口にする。
「何故、そこまで教えてくれるのですか?」
「誰にでも言ってる訳じゃねえぞ。高町の奴に頼まれたんだ」
「あの堅物そうな人が?」
楽人から見た高町刑事の印象は、必要なことしか話さないが被害者の安全を優先する、仕事に実直な人物だった。
「あいつは真面目なだけさ、本当にな…」
一瞬、渡良瀬警部の目元が緩み、意味ありげに遠くを見た。
「それにしても、警察が【リアライザー】を使っているとは思いませんでした。以前はそんな様子は無かったのに…」
楽人はそれ以上追及しない方が良いと思い、昨日から思っていた疑問を投げかけて話題を変えた。
「ふっ。御上だって、いつまでも黙って後手に回っているだけじゃないのさ」
渡良瀬警部もそれに乗って気障に笑う。
普段の警察官の制服ならまだしも、アロハシャツでは様になっていない。
「ぷっ」
楽人は思わず吹き出してしまった。
サーニャは突然噴出した楽人に驚いて目を丸くした。
この手のギャップに対する笑いは人生経験に左右されるので、原作が現代日本風の社会観ではない【リアライザー】には、まだ分かり辛い状況だった。
そんな様子を見て、渡良瀬警部も頬を綻ばせる。
「…さて、と。まあこんなとこか」
楽人の笑いが落ち着くと、渡良瀬警部は話を切り上げに入った。
「普通はこんな話じゃなくて、ガイシャのメンタルケアみたいなことをするんだが…」
渡良瀬警部は視線を楽人からサーニャ、そしてまた楽人に戻して、ニヤニヤと笑って言った。
「…お前さんたちには不要みたいだからな」
「キャーッ♪」
こういう事には敏感なサーニャは、両手を頬に当てて、満面の笑みを浮かべて喜び、腰をくねらせて照れまくる。
「ガハハハッ。まあ頑張れ、若人!」
渡良瀬警部はソファーから「よっこいしょ」と立ち上がると、見送ろうと立ち上がった楽人の肩をガシガシと叩いて盛大に笑った。
「痛い、痛い」
楽人が本気で痛がって顔を歪めるのを見て、渡良瀬警部は真顔になって言った。
「しっかり護れよ」
「! はいっ!」
楽人は渡良瀬警部が濁した言葉に気付いて、力強く答える。
楽人もまだ話したいことや尋ねたいことはあったが、忙しい渡良瀬警部を引き止めるのは気が咎め、サーニャと一緒に玄関まで彼を見送った。
質問1「他の人たちは?」「個人情報だから駄目」
質問2「音無先生の審査は?」「直接聞け、ニヤニヤ」
質問3「俺の審査は?」「儂が知った時には既に政府行きだからなあ……まあ素直に待ってろ」




