救出:共生者
バキンッ
寝息しか聞こえなかった静かな倉庫内に、突然、シャッターから金属が折れ曲がるような音が響き渡った。
「―――っ?!」
シャッターを見張っていた男は驚いたが、咄嗟に下唇を噛んで声を抑えると、近くで眠っている男たちを足で小突いて起こして回った。
バキバキバキ…
そうしている間にも、シャッターは何故か破壊音を立てながら、少しずつ上がっていく。
男たちは誘拐犯たちが来たにしては変だと思ったが、これが待ち望んだ脱出のチャンスであることに変わりは無い。
彼らは息を潜め、口を開かず、身体を起こして身構えた。
少しずつ上がるシャッターの隙間から、六本の棒状の陰が見えたが、倉庫内は外よりも明るいため、そのシルエットはハッキリとしない。
入り口を大型車で塞がれると思っていた男たちは訝しんだ。
(まさか殺される?)
彼らの脳裏に不吉な予感が過ぎる。
大塚は【共生者】も人身売買をすると言っていたが、保身に長けた彼らなら状況次第で処分する可能性も否めない。
バキバキバキ…
最初は棒か何かだと思われた陰が、シャッターが開くに連れてその朧気な輪郭をハッキリさせていく。
やがてそれが人の足であると分かると、彼らの覚悟は決まった。
(突破できる)
彼らは作戦の成功を確信した。
たった三人で十人を抑えられる道理は無く、全員で飛び掛かれば、一人二人は抜け出して助けを呼びに行ける。
大半は殺されるかも知れないが、老婆や幼い少女、彼らの大切な【リアライザー】は助かるのだ。
このまま何処かに売られて人生を終えるよりは遥かにマシだと、誰もがそう思った。
バキバキバキ…
更にシャッターが上がり、人影の上半身が見え始めたあたりで一人飛び出した。
楽人だ。
誰よりも【リアライザー】を愛する彼は、自ら率先して、雄叫びを上げながら中央の人影に向かって突進した。
練習した成果が現れ、足に手錠を付けたままでも小刻みに走ることに問題は無い。
「うおおおぉぉぉぉぉっ!!」
本当なら雄叫びを上げるべきではない。
相手に気付かれれば、それだけで成功率は落ちるからだ。
しかし人間は弱い。
本質的に怠け者である。
他の誰かがやってくれると思えば腰が重くなる。
命が掛かっているとなれば尚更だ。
その機を逃せば絶望しか無いと知っていても、動ける者は少ない。
だから雄叫びは必要だった。
尻込みしていたら確実に地獄が待っていることを、皆に思い出させるために…。
「――やああああぁぁぁぁぁぁぁあああぁぁぁつ!」
直ぐ後に、彼以上に長く、力強く、甲高い雄叫びが上がった。
“イケてる女”である。
女でありながら、男に……他人に任せることを良しとせず、突撃への参加を名乗り出た彼女とて普通の人間だ。
男たちですら躊躇う中、臆したとしても誰も責められまい。
――しかし彼女は違った。
雄叫びを上げながら自分の横を駆け抜けて行く楽人を見て、気付いたら走り出していた。
気付いたら雄叫びを上げていた。
年下の男に遅れを取った自分に不甲斐なさを感じながらも、彼を独り死なせたくないと思ってしまった。
「――――っ!!」
“顎鬚の中年”も走り出した。
“イケてる女”がそうであったように、彼にもプライドがあった。
女子供が誘拐犯に立ち向かって死んだ後で、どの面を下げて生きていけると言うのか。
僅かに遅れて走り出したサラリーマンも、考えは同じだった。
「くそっ!」
「ってやるぜっ!!」
「…オレならできる…っ!」
「………」
それは若者たちも同じこと。
フリーターが、陽キャな高校生が、中二病の中学生が、クールな大学生が、我先にと入り口を塞ぐ人影に向かって走り出した。
後に、ニュースは拉致被害者を憐れな被害者だと取り上げるだろう。
それを見て、多くの人たちが同情して見せるだろう。
…しかしその陰では、無数の顔無き声が、女子供を見捨てた情けない男として彼らを叩くのだ。
ネットで、学校で、職場で、日本中で名前も顔も知らない相手に、永遠に蔑まれ続けるのだ。
生まれた時からネットがあった世代であるが故に、彼らは“イケてる女”を見た瞬間、その悪夢が現実になると直感してしまった。
ならば身体が勝手に走り出していたとしても、何の不思議があろうか。
「うわあああぁぁつ!」
中年太りで鈍った身体故に出遅れた中年男性もドスドスと走り、
「ま、待ってくれぇっ!」
太った眼鏡高校生も、老婆と少女の元に一人取り残されることに怯えて、更に重い足音を立てて後を追った。
決死の覚悟をして突撃する十人。
対するは、入り口を塞ぐにも足りない、立ち尽くす人影が三つ。
手足に手錠を掛けられているとしても、これ以上無い状況。
誰もが成功を疑わなかった。
誰かしら抜け出して、助けを呼びに行き、老婆と少女を救った英雄として持て囃される未来を――しかし、現実は非情である。
ドスッ
最初に、楽人が入口に到達した。
彼は倒れるように左肩から真ん中の人影にぶつかった。
倉庫内なので助走距離は不十分、手錠で走る速度も不十分。
それでも人一人の体重を受けたと言うのに、その人影は微動だにしなかった。
ガスッ
“イケてる女”がその右足にスライディングの姿勢で体当たりした。
元々速度が出ないならと、転ばせることに重点を置いて咄嗟に身体を沈めた最善の一手。
しかし、人影は足の一点に彼女の全体重をぶつけられて尚、微塵も揺るがなかった。
ドンッ、ダンッ、ゴスッ
次々に、男たちが三つの人影に体当たりをしたが、誰一人として三つの人影を倒せず、すり抜けることもできず、全員が受け止められてしまった。
最後に、転倒した“中年太りの男性”と“太った眼鏡高校生”が、走る以上の速度で転がっていってぶつかった。
しかし、左右の人影はまだシャッターで視界が狭く、直前まで彼らが見えなかったにも関わらず、それを容易く受け流し、彼らは壁に衝突して止まった。
ガラガラガラ…
もう引っ掛かる物が無いのか、シャッターが綺麗な音を立てて上がっていく。
(…終わった)
最初に受け止められた楽人は、それでも体重を掛けて肩で目の前の人影を押しながら、視界の片隅に転がっていく二人を見て作戦の失敗を悟った。
彼の脳裏に浮かんだのは、走馬灯のような多くの記憶では無く、愛する人の笑顔唯一つ。
「――ガクト君」
――しかし、返って来たのは思い出の中の彼女の声ではなく、頭上から聞こえる、聞き覚えのある良く通る爽やかな男の声。
楽人が厚い胸板から顔を離すように上を見上げると、そこには見知った顔があった。
「アルクス!」
そう、彼が体当たりしたのは、御影アキラの【リアライザー】のアル・ラクスだった。
2メートル近い長身に鉄板のように堅く分厚い胸板、下手な女性の腰より太い上腕二頭筋、精悍な、けれど爽やかな顔立ちの、超人的な身体能力を持つ本物のヒーロー。
彼らの会った回数はまだ数えるほどだったが、一度会えば見間違いようの無い美丈夫だった。
「怪我は無いか?」
楽人の両肩を掴んで優しく声を掛けるアル・ラクスの目尻は、彼の無事に安堵して少し垂れ下がっていた。
「…肩が痛い」
「おっと、済まない」
アル・ラクスは手を離し、爽やかに笑って謝った。
「――【心眼】さま!」
その足元では、身を起こした“イケてる女”が、シャッターが開いて明らかになったアル・ラクスの同行者の片方を見て叫んだ。
彼女は後ろ手や足の手錠でもたつきながらも急いで立ち上がり、倒れるように【心眼】の方に歩み寄る。
「彼らは?」
「高町刑事と彼の【リアライザー】の【心眼】だ。渡良瀬警部が寄越してくれた」
「あの渡良瀬警部が…」
敏腕警部が手配した年配の刑事と【リアライザー】。
それだけで頼りになることは疑う余地が無かった。
空腹の一般人とは言え、数人係りで不意打ちされても、軽く遇って見せたことにも合点が行く。
しかし、楽人には別の疑問が浮かんだ。
(警察が【リアライザー】を使う?)
【リアライザー】は設定と物理現象の板挟みの存在である。
設定が怪力でも物理的に細ければ非力で、逆もまた真なり。
当初、【フィクション・リアライザー】と呼ばれていた――人権的な問題から呼ばれなくなった――名前に反して、フィクションのような荒唐無稽さは無い。
楽人はアル・ラクスの全力を見たことは無かったが、長身で良く言えばスタイリッシュ、悪く言えば細身の【心眼】は、アル・ラクスほど身体能力が高いようには見えなかった。
(【リアライザー】に人権問題が付き纏う以上、危険に晒すのは何かあった時のデメリットが大きいはず…)
「――私、【心眼】さまのファンです! 関連作品は全て目を通していますしグッズも当然全て持っております! 二次創作も中々良いものがありまして…」
楽人が考え込みそうになると、横からイケてる女が、【心眼】に狂喜乱舞する声が聞こえて来た。
さっきまでの凛々しい姿が嘘のようで、その姿は憧れのアイドルに道端で偶然出会った、熱心なファンのようであった。
(綺麗で恰好良い人だと思ってたけど、あの人もやっぱりこっち側か。誰かを思い出すなぁ……って、あれ? と言うことは…)
楽人は高町を見て目を眇めた。
(…彼女以上ってことだよなあ)
楽人は“【心眼】に狂喜乱舞する中年のオッサン”を想像してゲンナリした。
他人の趣味をとやかく言わない彼でも、想像してしまって辛くなることもあるのだ。
それは他の人たちも同じで、楽人がアル・ラクスと親しげに話す姿や、“イケてる女”が【心眼】に熱を上げる姿を見て、一気に緊張が解けて腰を落としていた。
高町はそんな視線を気にせず、彼らの手錠の鍵を外して回った。
犯罪者が大量に入手できるような手錠は、世界中に数多く流通している物であり、それ故に鍵も同一規格。
彼はそれを当然のように持ち歩いていた。
奥から心配そうに見ていた老婆や少女も、安心して彼らの元に歩いて来る。
楽人はその姿を見て我に返り、問い詰めるようにアル・ラクスに尋ねた。
「サーニャは!? 捕まっている【リアライザー】は無事なんですか!?」
拉致被害者の手錠を外して回っていた高町は、持ち前の仕事意識で楽人の言葉を聞き逃さず、彼に関心した。
(…周りが見えている。それに度胸もある。警部がご執心な訳だ)
女子供に限らず、人間は感情の生き物である。
動揺して慌てている状況で、自己完結しない言葉に訂正できる者は少ない。
「…【リアライザー】の救出はこれからだ」
高町は楽人の後ろに回り、彼の手錠を外しながらアル・ラクスに代わって答えた。
「サーニャたちをお願いします! 【リアライザー】は同じような倉庫です。誘拐の実行犯は推定四人。その他に他所へ運び出す連中も居ると思われます。今日拉致された【共生者】の内、四人の女性が連れていかれました」
高町は楽人の両足の手錠も外すと、立ち上がって【心眼】を見た。
【心眼】は無言で頷く。
「…ふむ」
高町は最後に【心眼】の下へ行き、彼に絡んでいる“イケてる女”の鍵を外した。
興奮している彼女が自由になった手で憧れの【心眼】に抱き付き、【心眼】は高町をアイマスク越しに睨んだが、彼はそれを無視して全員に向かって言った。
「…これから【リアライザー】の救出に向かう。諸君らをここに残して行く訳にはいかない。歩けない者は居るか?」
高町が視線を巡らせて全員と目を合わせると、ある者は頷き、ある者は声に出して平気だと返事をした。
彼の視線が老婆で止まる。
「御老体は私が背負おう」
“顎鬚の中年”が名乗りを上げた。
「…頼む」
高町は小さく頭を下げた。
警察官は弱者を蔑ろに出来ない。
唯一の警察官である彼や、貴重な戦力である二人の【リアライザー】の手が塞がることは、全体にとってのデメリットでしかない。
無論、老婆を背負うのが“髭面の中年”である必要は無かったが、下手な言い争いが時間と体力の無駄でしかないことを知る彼は、些末な感情より全体の利益を優先した。
ざわ、ざわ…
被害者たちは倉庫の外に出ると、解放感から「助かった」「腹減った」「空気が旨い」などと口にする。
それらは決して大きな声では無かったが、静まり返った夜の倉庫街では、思いの外大きく響き渡った。
高町は諦めたような表情で【心眼】を見ると、彼は神妙に頷いた。
「…突入して【リアライザー】を救助する。民間人は後から無理をせず付いて来い」
高町はそう告げると、確認もせずに走り出した。
続いて走り出した【心眼】が直ぐに彼を追い越して、【リアライザー】が捕らえられている倉庫へ先導する。
アル・ラクスが後ろを振り返って少し躊躇っている間に、横に居た楽人が高町刑事たちを追って走り出した。
アル・ラクスはそれを見て、【心眼】を信じて走り出した。
彼なら……彼を良く知る高町刑事なら、後ろから拉致被害者が襲われる可能性があれば無視するはずが無いと信じて。
逆に信じられなくて走り出す者たちも居た。
他の【共生者】たちである。
折角助かったのに置いて行かれる、そんな疑心暗鬼に囚われて彼らは走った。
後に残された老婆を背負った“顎鬚の中年”と彼女の袖を掴んだ“小学生アイドル”、走る体力の無い“中年太りの男性”と“太った眼鏡高校生”は、高町の指示通り無理をせず後を追った…。




