脱出作戦
“卑屈そうな男”が去っても、残された者たちは誰一人として口を開かなかった。
先に拉致された四人は、あの男が態と猿ぐつわをしなかったことを知っている。
後から拉致された八人の近くには、あの男の危険性の象徴――パンチパーマの男の死体――が転がっている。
し~ん…
沈黙に支配された倉庫内で、如何にも“軽そうなフリーター”が最初に動いた。
後ろ手に手錠をされ、足にも手錠をされた不自由な手足で、ヒョイと膝のバネを活かして身軽に立ち上がる。
彼は目の前の死体を一瞥すると、小股でスタスタとその場から離れ、壁際に背中を預けて座り込んだ。
それを見た一緒に拉致された人たちも、一人、また一人と同様に立ち上がり、死体の近くから散り散りに離れて行った。
し~ん…
歩く音が消えると、倉庫内は再び静まり返る。
老婆がのそのそと立ち上がって歩き出した。
後ろ手に手錠をしていても、曲がった腰のせいで、普通に腰に手を当てて歩いているように見える。
老婆は“小学生アイドル”の隣に腰を下ろすと、優しく声を掛けた。
「大変だったねえ」
“小学生アイドル”の目元に涙が溢れた。
幼い頃から厳しく躾けられたとは言え、まだ年端もいかない少女。
感極まった彼女は、我慢していたものが堰を切って次々と溢れ出し、終いには声を出して泣き出してしまった。
「うああああぁぁぁぁん!」
母親の名前が出ないのは厳しく躾けられたからか、或いは甘えられた記憶が少ないからか。
少女は、老婆の膝の上に顔を埋めて泣き崩れた。
年端もいかない少女の泣き声を聞いて、周りの人たちは皆しんみりとした。
しかし、そうで無い者も居る。
「っせえなっ! あいつが戻って来たらどうすんだよ!?」
先程、真っ先に死体の傍を離れた、“軽そうなフリーター”が怒鳴った。
周りの視線は冷たい。
彼の言葉は正しかったが、怒鳴って黙らせるには少女との距離が遠く、死体や“卑屈そうな男”に比べると迫力も足りていなかった。
彼が近くに座る人たちを次々と睨み返す中、“顎髭の精悍な顔立ちの中年”が立ち上がり、彼の前まで歩いて行って言った。
「お前の方が煩い」
ドカッ
彼は一言文句を言うと、“軽そうなフリーター”の横に、見た目以上に重い音を立てて腰を下ろした。
並んでみると、フリーターの七分袖のビッグTシャツから覗く腕に比べて、“顎髭”の半袖Tシャツから覗く腕の太さが際立った。
「ちっ」
“軽そうなフリーター”は態々離れるのもプライドが許さず、舌打ちだけしてその場で黙り込む。
それを見た周りの人たちも、内心ホッと胸を撫で下ろし、思い思いに集まり始めた。
* * *
男性の中では最年少である制服を着た中学生が、クールに見える大学生の元に歩いて行った。
「隣、いいですか?」
「…ああ」
中学生は大学生の素っ気ない返事を受けて隣に座った。
「どう思いますか?」
彼は度胸があるのでは無く、不謹慎にもこの状況を楽しんでいるだけだった。
大好きなキャラクターが現実に現れてパートナーとなり、誘拐事件に巻き込まれ、目の前に死体があり、女たちが連れ去られた。
中二病を拗らせた彼にとって、自分が特別だと――この世界の主人公だと――錯覚するには十分過ぎる状況。
だから自分だけがこの状況を打破できると信じて疑わず、一番冷静そうな大学生に声を掛けたのだ。
――しかし現実は非情である。
「…知らん」
大学生は実は只の口下手。
「ボロが出るから余り喋らない方が良い」と友人に指摘され、そうしている内にクールなキャラと思われるようになったに過ぎない。
お陰で女性にはモテるようになったし、面倒な相手からも、暖簾に腕押しと無視されるようになって、良い事尽くめだった。
無論、そんな彼に状況を打開できるような気の利いた言葉なんてものは無い。
「ええええぇっ? な、何かあるでしょ?」
中学生は気取った態度が崩れて、思わず素で返してしまった。
「………」
大学生は何も語らない。
彼は想定したことも無い状況で口を開いて、折角作り上げたクールなキャラが壊れることを恐れた。
中学生は最初の選択をミスったと思い、次のNPCを求めて辺りを見渡すと、既に皆、動き出したり二人以上になっていた。
彼は直ぐに割り込むのは主人公っぽくないと思い、一先ず大学生の横で周りの様子を窺うことにした。
* * *
ベアトップにアンクルパンツのスタイリッシュな女は、片膝を立てて力を入れ、スッと立ち上がり、もう片方の足を後ろから横に揃える。
足に手錠が嵌っているとは思えないほど、惚れ惚れするような華麗な立ち方だった。
スタスタスタ
彼女は男たちには脇目も振らず、少女と老婆の方に颯爽と歩いて行くと、確認も取らず、少女とは反対側の老婆の横に腰を下ろした。
男ばかりで女が3人しか居ないこの倉庫内において、自立した女である彼女に他の選択肢は思い浮かばなかった。
「ごめんなさいね」
それでも心から謝罪できるから、彼女は男女両方からモテる“イケてる女”なのだ。
「構わないわ」
老婆の声は穏やかだった。
年齢相応に達観している彼女からすれば、口に出されなかった理由を察するなど造作も無いこと。
「それよりも、私の腰のポケットから、中の物を取り出して貰えないかしら?」
老婆のお願いに、“イケてる女”は疑問を感じたが確認はしなかった。
黙って老婆に背を向け、後ろ手に手錠の掛けられた両手で、ゴソゴソと老婆のポケットを漁って中の物を取り出す。
「これは…?」
「この子と一緒にお食べなさい。男の人たちには内緒ですよ」
老婆のポケットに入っていたのは二個の飴だった。
“イケてる女”は頷き、男たちからは陰になるように、老婆の背後で後ろ手に飴の包装を縦に割いて中身を取り出した。
「お嬢ちゃん、お婆さんの後ろに回って」
老婆に寄り添っていた“小学生アイドル”は、老婆の背後を見て、“イケてる女”の手の上の飴に気付いた。
少女は老婆の背後で上半身を倒して、“イケてる女”の手の上から飴を口に含んだ。
「ひゃ――っ!」
刹那。
“イケてる女”が擽ったさに顔を真っ赤にして変な声を出し、直ぐに声を噛み殺した。
お腹の空いていた“小学生アイドル”は、貪るように飴を舐めた。
何時間ぶりか口にした食べ物は、疲れ切っていた身体に染み渡り、口の中には涎が後から後へと出て来る。
数分して、舐め尽くされた飴が口の中から無くなると、今度は口内に残る、飴が溶け混じった涎も綺麗に舐めとった。
甘い涎も無くなって漸く我に返った少女は、自分が涎塗れなことに気付いて恥ずかしさに顔を赤くした。
それから後ろ向きになり、“イケてる女”の手に残る飴を受け取って、その包装から中身を取り出した。
今度は“イケてる女”が、“小学生アイドル”の手に口を付けて飴を咥えた。
二人は老婆に感謝をし、老婆の分もと、老婆の反対側のポケットも漁ったが、そこには財布しか入っていなかった。
申し訳無さそうな顔で老婆の顔を見る“小学生アイドル”に、老婆は笑って首を振る。
少女はまた、老婆の膝の上で泣いた。
今度は文句を言う者は居なかった…。
***
(ままま、まずいでござる。このままでは拙者だけぼっちでござるぅ!)
“太った眼鏡高校生”は、“お洒落な高校生”がサラリーマンたちの方へ歩いて行くのを見て焦り、慌てて“中年太りの男性”の方に芋虫のように這って行った。
彼を選んだのは、同じく一人だったからと言うよりも、眼鏡男以外では唯一太っていたからだ。
例え年上であっても、自分に似ていると思い込んだ相手の方が話しかけやすいのは、男も女も、陽キャも陰キャも、パンピーもオタクも変わらない。
「デュフフフ。御同輩、よろしいかな」
「ひっ!」
いきなり転がって来た寝汗ベッタリの太った眼鏡男に独特な話し方で声を掛けられ、“中年太りの男性”は思わずドン引きした。
前後にも左右にも常人の倍はありそうな目の前の男に比べれば、中年太り程度の彼は只のモヤシ。
「拙者、怪しい者ではござらん」
(怪しさが服を着て人間の言葉を喋っている!)
“中年太りの男性”が内心で失礼なことを思ったが、それも仕方が無い。
目の前の相手は、Tシャツに印刷された美少女キャラクターが、横に伸びきって睨めっこのような顔になり、本人は寝汗ベッタリの顔で「ハアハア」と息を切らせているのだ。
先程の“卑屈そうな男”とどちらが怪しいかと尋ねられれば、十人中九人が目の前の“太めオタク眼鏡高校生”だと答えるだろう。
「お主の好きなアニメは何でござるか? 拙者は魔法少女ハピキラシリーズでござる。やっぱり初代ハピキラは……ラノベなら角扉次郎の……」
“太めオタク眼鏡高校生”は挨拶を終えると、矢継ぎ早にオタク趣味を語り始めた。
…他に話題が無いのである。
太っていることで目の前の中年男性を同類と認識し、同類だから趣味も近いと思い込んで、それならそれを取っ掛かりにしようと話し始めたら、止まらなくなっていた。
しかし、彼を責めるのも酷と言うものだろう。
彼も拉致と孤独、死体と暴力で、気が参っていたのだから。
一つが同じなら他も同じだと錯覚してしまうのは、人間の性である。
「えっ? んっ? あっ?」
彼にとっては不幸なことに、“中年太りの男性”はオタク文化に疎かった。
猫耳少女の【リアライザー】が現れたからと言って、オタク文化に詳しいとは限らない。
その後、“太めオタク眼鏡高校生”が息を切らせて話せなくなるまで、ずっと一方的なオタク会話が垂れ流されるのだった…。
* * *
(さて、どうしたものか…)
楽人は先程の遣り取りを見て、状況が想像していた以上に厳しいと考えた。
誘拐犯の数は少なくとも四人。
昼間、二人が写真屋を営業している間も、倉庫街には二人以上が残っていると思われた。
【リアライザー】と【共生者】が相互に人質である以上、裏を掻くことは難しい。
また、彼らは仕事へのプロ意識が強い。
危険だと判断すれば商品でも躊躇なく殺すし、警察に目を付けられないよう私生活にも気を配っている。
偶然情報が洩れて助けが来るような奇跡には期待できない。
それに何より、脱出の機会が限られていた。
今日拉致されてきた【共生者】十七人の内、減ったのは女性四人と殺された一人だけ。
一人ずつ呼び出される様子も無い。
彼らの物ではない脱糞の跡が残されていたことから、明日拉致された人たちが運ばれてくる前に、纏めて運び出されると予想される。
(次にシャッターが開いた時が、唯一無二のチャンスか…)
誘拐犯たちもそれを警戒していることは、想像に難くない。
(できるか? …いや、やるしかないのか…)
この場には大の男が九人も居るが、誰もが空腹な上に、手足に手錠を填められている。
もしシャッターを壊そうとしても、壊れる前に誘拐犯たちに気付かれて、鉛の弾丸を食らうことは目に見えていた。
だから無理でも何でも、彼らに取れる選択肢は一つしか無かった。
誘拐犯たちが、彼らを運び出すためにシャッターを開けたところへ、無理を承知で全員で襲い掛かり、入口に横付けされるだろう大型車を奪って逃げる。
…拳銃を持つ体力万全の相手に、空腹で後ろ手と足に手錠をされたまま。
無論、素直に他所へ運ばれるという選択肢もあるにはあるが、その先は推して知るべし。
男なら労働奴隷、健康的ならば臓器売買、稀に愛玩奴隷…。
楽人は売られた先の寵愛を期待するほど、頭ハッピーセットでは無かった。
女なら寵愛を受けることも少なくないが、どんなに見目麗しくても替えの利く高級玩具。
ボロくなった服を一生着続ける女性などいない…。
「うああああぁぁぁぁん!」
倉庫内に少女の泣き声が響き渡った。
フリーターが怒鳴り、顎髭の中年が諫めて一悶着が片付く。
(濃いキャラが多いな。…俺も他人のことは言えないか)
楽人は少女の泣き声で思考を中断され、改めて倉庫内の人々を見渡して思った。
今泣き叫んだ、服装も、容姿も、声も愛らしい小学生。
その少女を怒鳴り散らした、センスのイイ服装のフリーター。
彼を諫めた、顎髭で精悍な顔立ちの中年。
我関せずと、クールな雰囲気を漂わせている大学生。
見るからに陽キャな、お洒落な高校生。
アニメのTシャツを着た、見るからにオタクの高校生。
男では最年少の、制服の中学生。
男から見ても女から見ても格好良い雰囲気の女。
それに加えて昼から居るサラリーマン、中年太り、老婆、それと楽人自身。
比較的濃い人間が多いことは、単なる偶然では無い。
審査が三日目と言うのが、丁度そういう人間が予約するタイミングだっただけ。
「ちょっと、いっすか?」
“お洒落な高校生”が、何となく気になった楽人に声を掛けた。
彼が目を覚ました時には既に、楽人はサラリーマンと一緒に居た。
親子ほどには歳の離れていない妙な組み合わせと落ち着いた様子から、何か知っていると当たりを付けての行動だった。
それに唯一の同年代なので、話し易かったと言うのもある。
太った眼鏡男も高校生だが、当然、そちらには親近感の欠片も感じていない。
「なんだ?」
楽人は仏頂面で返事をした。
逆に彼からすれば、見ず知らずの相手にも物怖じしない典型的な陽キャは、面倒臭い相手でしかない。
「あんた何か知ってないか? オレたちより先に来てたみたいだし」
楽人は彼に最低限の洞察力を認めてサラリーマンを見ると、彼は鷹揚に――今回も何も考えずに――頷いた。
…踊り子に振り回されているような彼に決断力を求めるのが、そもそもの間違いである。
楽人は溜め息を噛み殺して頷くと、“お洒落な高校生”に状況を簡単に説明して協力を仰いだ。
「単純すぎん?」
“お洒落な高校生”が訝しむが、そこに他意は無い。
「はははは。…でも他に何か方法があるか?」
楽人は彼に合わせて強気な姿勢を見せる。
「ふっ、無いな」
相手も吹き出して笑って答えた。
「じゃあ早速、他の連中にも声を掛けてみようぜ」
陽キャは決断すれば行動が早い。
彼は楽人たちの返事も待たず、他の人たちに話を持ちかけて周った。
男たちは全員が協力を約束した。
彼一人なら説得は難しかったが、最初から落ち着いて見える楽人とサラリーマンの存在が、彼の言葉に説得力を与えた。
楽人たちは最初、女性陣には流れ弾が当たらないよう、倉庫の奥に隠れていてもらうつもりだったが、“イケてる女”は自分から突撃に志願した。
プライドの高い彼女にとって、危険だからと言って男の陰に隠れることは己の無能を認めるに等しい。
“お洒落な高校生”やフリーターは、口笛を吹いて彼女を褒め囃し、彼女は照れて後ろを向いた。
それから、彼らはその時に備えて体力を温存するため、交代で見張りを立て、シャッターの近くで休息を取ることにした。
――しかし彼らの覚悟は無駄となる。
彼らの想像もしなかった者たちの登場によって…。




