ヒーロー:憂慮
「…流石に遅いわねえ」
須磨真理は食卓のテーブルに肘を突いて呟いた。
息子の楽人から、『審査が終わったので今から帰る』と電話があったのは11時頃なのに、今はもう14時を回っている。
須磨家は駅から歩いても三十分足らず。
寄り道をするにしても、幾らなんでも遅過ぎた。
真理は13時を過ぎた当たりから何度か電話をしたが、楽人のスマホも、恋人のサーニャのスマホも、両方とも圏外で繋がらない。
駅前でスマホに電波が届かない場所など限られている。
「まさかあの子に限って…」
考えるほど不安になってきた真理は、片っ端から知り合いに電話を掛けた。
ママ友の宇津木や御影たち、学校や生徒思いの担任、塾、昔近所に住んでいた愛染…。
しかし、その誰一人として、楽人たちの行方を知らなかった。
「もう子供じゃないんだし…」
真理はそう自分に言い聞かせて、気を紛らわせるために部屋の掃除を始めた…。
* * *
ガチャッ
「ママただいま!」
「マダム、只今戻りました」
夕方。
外ハネショートボブの少年アキラと、爽やか筋肉ヒーローアル・ラクスが、公園から帰宅した。
「お帰りなさい、アキラちゃん、アルクス」
人の良さそうなアキラの母親、御影美樹が出迎える。
アル・ラクスがアキラの両親に認められて以来、彼女が玄関まで出迎えるのは珍しいことだった。
「何かあったのですか?」
察しの良いアル・ラクスが、聞けば男女を問わず誰もが正義の味方を思い浮かべるような、優しく力強い声で尋ねた。
「いえねえ、さっき電話があったんだけど、須磨さんちの楽人君が家に帰ってないんですって」
美樹は頬に手を当てて困った顔をした。
彼女は楽人が高校生だと知っているので、昼間に帰ると言って帰らなかったくらいで、心配のし過ぎだと思っていた。
「ガクト君が?」
「あら、楽人君を知っているの?」
「公園で時々会う、アキラの『きんぎょのにいちゃん』ですよ。今日は見ていませんね」
「あらそうだったの。世間は狭いわねえ…」
あらあらまあまあ、と美樹は驚いた。
須磨真理は最近できたママ友なので、既に高校生の楽人とはまだ顔を合わせる機会が無い。
特に最近はアル・ラクスを信頼して、スマホを持たせて子供の送り迎えまで任せている。
その空いた時間でママ友の輪が広まったのだから、彼女にしてみれば良い事尽くめだった。
「昇子ちゃんからも電話があったんだけど、騒ぎ過ぎよねえ。恋人と一緒らしいし…」
「ええぇ…」
昇子と言う名前を聞いて、アル・ラクスの顔が珍しく引き攣った。
美樹の言う昇子とは愛染昇子……アキラの親戚である。
大学進学を機に近所から引っ越した彼女は、アキラが半ズボンを好む切っ掛けになったと彼は聞いていた。
先日、彼女が家に遊びに来た時、彼は聞いてしまった。
『やっべ、アキラちゃんサイコー。はぁぁぁぁ……これで男の子だったらなあ』
アキラは意味が分からず笑っていたが、アル・ラクスはその後、昇子が舌なめずりする音を聞いてしまった。
常人なら聞こえるはずも無い隠された小さな音が、超人的な身体能力を持つ【リアライザー】たる彼には聞こえてしまった。
声がどんなにアイドル顔負けに可愛くても、アラサー・独身・ショタコンの数え役満である。
そちら方面には疎い彼をして、彼女は危険人物と認識されていた。
「まだ昼間ですからね。あれくらいの若者なら約束を忘れて遊んでいると言うこ…とも……」
アル・ラクスは楽人の姿を思い出しながら言い掛けて、その言葉が途中で止まった。
(…あのガクト君が連絡を忘れる?)
彼の知っている須磨楽人は、思慮深い青年だった。
意図的に連絡をしない可能性はあっても、無思慮でも無鉄砲でも無い。
(また誰かのために動いている?)
アル・ラクスの脳裏に、アキラの誘拐事件で知り合った渡良瀬警部の姿が過った。
彼は楽人が事件に関わったのが二件目だと言っていた。
(杞憂なら良いのだが…)
「失礼します」
アル・ラクスはアキラの両親から信頼の一端として渡されたスマホを、圧倒的な筋肉でギチギチのスーツの胸ポケットから取り出して電話を掛けた。
トゥルルルッ、トゥルルルッ、トゥルルルッ…
ガチャッ
『――渡良瀬だ。…先月のヒーローか? どうしたんだい?』
電話口に出た渡良瀬は、いつも通り市民に愛される警察官らしい穏やかな、しかし、アル・ラクスが知るよりも少し早口で要件を尋ねた。
「ガクト君を知りませんか?」
『んん? 坊主がどうかしたのか?』
渡良瀬の声から穏やかさが鳴りを潜め、真剣なものになる。
「彼が家に帰らないそうです。昼までに帰ると電話があって以来音信不通。ガールフレンドと一緒という話です」
『それで儂と一緒かと思った訳か』
「はい」
『ふーむ…』
渡良瀬は考え込んだので、アル・ラクスは黙って続きを待った。
『実はな、一昨日から捜索依頼が増えている』
「一昨日と言うと…」
『坊主も【共生者】だったということだろうな』
楽人は家族以外には一切、【リアライザー】のことを明かしていない。
…自らが事件に関わったアル・ラクスや渡良瀬警部、学校でも顔を合わせるユントロの【共生者】である音無先生にすら。
「そう考えると、彼が協力的だった理由も分かります」
『だな』
渡良瀬とアル・ラクスは電話越しに頷き合った。
大切な人を守りたい。
同じ様な目に遭わせたくない。
危険を取り除きたい。
そう考える人間は少なくない。
…とは言っても、自らの危険を顧みず事件に首を突っ込む人間は、馬鹿か狂人くらいのものだが。
『となると尚更、誘拐の線が濃厚だわな』
「そうですね」
『分かった。儂はこっちが忙しくて動けないから、代わりに信頼できる奴を送る。坊主の家は知ってるか?』
「いえ、知りません」
『地図を送る。御宅からなら近いはずだ。先に行っててくれ』
「承知した。直ぐに向かいます」
――実はこの場合、『承知した』は正しくない。
アル・ラクスは【超生物保護法】で設定年齢+αが公的に認められているからである。
しかし、彼は物腰の丁寧な無償で人助けをするヒーロー故に、誰かの望みを「承る」のだ。
それは単なる原作の設定では無く、彼の生きて得た矜持でもあった。
ガチャッ
「申し訳ない、マダム。急用が出来ました」
アル・ラクスは電話を切ると、美樹に頭を下げた。
彼はアキラの【リアライザー】である。
アキラが信頼し、アキラを守ることで両親の信頼を得て、共に暮らしている。
それが私用で家を空けるのだ。
例え楽人への恩義に報いるためとは言え、彼にとってそれはまた別の不義理を働くという矛盾を秘めた行動だった。
それでも誰かを助けようとする。
故に彼はヒーローなのだ。
「行ってらっしゃい」
彼がヒーローならば、美樹もまた子を持つ人の親。
そして彼に救われた、彼の理解者。
「その代わり、帰って来たらちゃんと説明して頂戴ね」
「はい!」
アル・ラクスが力強く応える。
そこには助けたヒーローと助けられた市民の確かな絆があった。
アキラが状況を理解できないなりに不安な顔をする。
「にいちゃん、どうしたの?」
「大丈夫だアキラ。私が行く」
アル・ラクスが両肩に手を置くと、アキラは心配そうに、けれど絶対の信頼を持って頼んだ。
「にいちゃんをたすけて! あるくすっ!」
「任された!」
アル・ラクスは相棒の信頼を一身に受け止めると、振り返って玄関を出て、恩人の家へと向かった。
ヒーローですから!




