拉致:残留
大塚たちが去った後、倉庫内は静まり返った。
一度集まったので近くには居るが、誰も何も言おうとしない。
静まり返った倉庫内に、空調の静かな音だけが控えめに鳴り響く。
空調は商品管理の一貫として電源を入れられていた。
鉄板で覆われた夏場の倉庫に生き物を放置すれば、どうなるかは想像に難くない。
電気代は安くなかったが、必要経費だった。
犯人たちにしても、そんな所に出入りしたくない。
照明が消されないのも、似たような理由だった。
昼行性の生き物にとって、過度な暗闇はストレスになる。
犯人たちにしてみれば、暗闇で動き回って怪我をされるのも困るし、柱に縛って無理に暴れて怪我をされるのも困る。
そのための照明であり、限定された自由だった。
(――さて、どうするか)
楽人は現状を再確認した。
彼にとって、ゲームとは自分との戦いだった。
どんなに完璧な知識に理論、精密な操作を身に着けても、感情に流されるようでは砂上の楼閣、土台の腐った建築物と変わらない。
小さな切っ掛けで、積み上げたものがあっさり瓦解してゲームオーバー。
それは日常でも同じこと。
現に昼間、賢しげな彼は、写真屋の怪しさに気付けずに攫われた。
(サーニャの無事を確認できたことだけが救いか…)
サーニャとのテレビ電話でグルリと回って見せたのはそのためだった。
想定して録画しておいた動画や、リアルタイムのCGやAIでは対応しきれない動作に依って、電話先の彼女が本物であることを確認したのである。
大塚の反応は本物だったので、今更、人身売買の前に彼女が危険に晒される可能性は低い。
仲間に未知の病気を指摘されても手を出すような輩では、連続誘拐犯は務まらないのだ。
(やっぱりこの人だな…)
だから、楽人は感傷を最小限に留めて行動に移った。
「少し、良いですか?」
まずは“サラリーマン風の男性”に話し掛けた。
“中年太りの男性”は落ち着きが足りず、老婆の話は長くなりそうだったからだ。
「…何だね?」
“サラリーマン風の男性”が不愛想に答える。
「貴方も【共生者】ですね?」
楽人が尋ねると、男の目が細められた。
「…何故そう思う?」
「並んでいる時に何度も見かけたからです。大塚を蹴った女性は審査会場で、そちらの中年男性は写真屋で【リアライザー】を見ました。偶然とは思えません」
男は溜め息を吐いた。
「…そうか。なら隠しても無駄か。それで何を知りたい?」
「状況について」
この後、楽人は“中年太りの男性”や老婆にも話を聞いたが、概ね予想を裏付けるだけに終わった。
ここに集められた全員が【共生者】で、状況も全員同じ。
午前中に審査へ行った帰りに、写真屋で出されたお茶を【リアライザー】と飲み、気付いたら彼らだけがこの倉庫に転がされていた。
手足に手錠を掛けられていることや、口に猿ぐつわをされていたことも同じ。
目が覚めると大塚に話し掛けられ、スマホのテレビ電話で【リアライザー】と会話をしたところまで違いは無い。
写真屋ウロボロス武田は、老婆が幼い頃には既にあったらしく、撮影をした武田には見覚えがあったと言う。
それは取りも直さず、犯罪者が写真屋を騙ったのではなく、写真屋が犯罪者になったことを意味する。
本職の技術と応対を見せられて疑うことは難しい。
(手際が良い割りに少な過ぎる。お茶を飲まなかった客は帰したということか)
帰りがけに駅の近くを通り、記念写真を取ろうと考える人間という点も無関係では無い。
(半数が女性だけど、男の【リアライザー】って需要はどうなんだろう? マスコット系の方が需要が多そうだよなぁ…)
楽人は知らなかったが、男性リアライザーの需要は高い。
男女の恋愛観を比較する言葉に、こういうものがある。
《男は保存、女は上書き》
それは多くの人に当て嵌まる傾向で、昔の作品のキャラクターを一番に思い続ける女性は少ない。
そのため、女性向け作品の【リアライザー】は、近年の作品か大作が大半を占めている。
必然、それらは女性の好みの最大公約数に近いものが多くなる。
その結果、下手な美少女キャラクターと違って、非オタも含めた幅広い層に需要があった。
(ここはアキラ君が誘拐された倉庫に似ているけど、俺には倉庫の違いなんて分からないしなあ…)
実際のところ、この倉庫は同じ倉庫街にある。
あの事件から早一か月。
犯人たちは一度捜査をした警察の目が甘くなると予想して、この倉庫街を選んだ。
(さっき、大塚はボスと言っていた。サーニャとの電話を繋ぐ時には言ってなかったことを考えると、誘拐犯は三人以上ということか)
【共生者】の側で電話を掛けた大塚、【リアライザー】の側で電話を受けた相手、ボスと呼ばれた人物の三人。
(アキラ君の時との違いが多過ぎる。見張りが居ないし、食事も簡易トイレも無い。さっきから感じる臭いはそのせいか?)
楽人はトイレを意識すると、今までは緊張感で気付かなかった倉庫内の異臭に気付いた。
凡人の彼には、臭いの出所までは分からない。
(俺たちの前にも拉致された人たちが居た? 審査三日目だし有り得るな……それなら猶予は明朝、長くて昼までか)
この場には前日以前に捕まった人が居ないし、それを見かけた人も居ない。
10時過ぎに捕まった老婆が一番早いことから、楽人は写真屋の開店時間までが山場だと予想した。
ぐぅ~~~っ
“中年太りの男性”のお腹が、食事を寄越せと豪快な音を立てて催促した。
後ろ手に手錠をされていては腹も擦れず、彼は代わりに床をゴロゴロと転がり、終いには壁にぶつかって大人しくなった。
(俺は普段しっかり食べてるからまだ動けるけど、他の人は当てになりそうに無いな…)
楽人はやる気の無さそうな“サラリーマン風の男性”と老婆に視線を送った。
男はブツブツと週明けの取引の心配をし、老婆は大塚に言われた通り大人しくしている。
(最後に眠らされたサラリーマンが昼前らしいから、俺の空腹具合からして、今は14時くらいか。せめてリュックがあればなぁ…)
彼はいざと言う時のために、リュックの中には荷造り紐や大型カッター、消臭スプレーなどを入れている。
しかし、眠らされてしまい、今はそのリュックそのものが無い。
(荷物を捨てる気は無いらしいから、スマホと一緒に別の倉庫だろうな……着信したら五月蠅いし)
自動車の防音性能が高くても、運転中にスマホが鳴れば煩わしいもの。
倉庫の中なら衛星からの電波も届かないので、GPSで発見される心配も無い。
(さて、先ずは手錠を何とかするか。ヘアピンでもあれば探偵漫画みたいに外せるかも知れないけど…)
一通り情報を整理した楽人は行動に移った。
彼はヘアピンをしていないし、ヘアピンをしていた女性たちはもう倉庫の中に居ない。
(…今後は伊達でヘアピンでもすることにしよう)
と思いながら、彼は倉庫内を歩き回って、何か落ちていないか隅々まで探した。
――しかし現実は非情である。
何も無かったのではない。
ヘアピンなどの有用な物は元より、手錠の鎖を擦り切るのに使えそうな柱なども見つからなかったが、それよりも遥かに存在感のある物……脱糞を発見したのである。
(…臭い)
倉庫の片隅、異臭を放つ盛り上がった何かを覆い隠すように、女物のハンカチが広げて被せられていた。
我慢できず、かと言って人前で漏らす屈辱にも耐えきれず、止む無く他の人から離れて致したであろうことが察せられる痕跡。
(…俺は何も見なかった)
楽人は顔も名前も知らない女性の汚点(物理)を見なかったことにした。
彼は上を見上げると、倉庫内なのに夜空に浮かぶメカクレ美女が微笑む姿を幻視するのだった…。
汚点(物理)!




