逃走
翌日。
楽人が塾の前に公園へ寄ってみると、今日も元気に園児たちが戯れていた。
夏の暑い日差しが降り注ぐ中、今日は砂場で砂遊びをしている。
彼らは子供用のバケツとスコップを駆使して、砂を固めて立派な砂の城を建設していた。
少し離れた所では、オーダーメイドのスーツに身を包んだ、優しげな瞳の筋肉の塊が彼らを見守っている。
「「あっ」」
楽人が公園に入ると、それに気付いた園児たちが駆け寄って来る。
今日も短パンから伸びる眩しい太ももを惜しげも無く晒していたが、砂場で遊んでいたため膝から下は砂だらけだった。
「にいちゃん!」
「きんぎょのにいちゃん!」
楽人は今日もアキラに金魚扱いされ、その内デメキンに進化したりしないか心配した。
パキンッ
楽人は行きがけに買った左右に割れるアイスを鞄から取り出すと、袋に入れたまま二つに割ってから袋の下側を開けて二人に向けた。
「今日はアイスだ」
「「やったーっ。ありがとう、にいちゃん!」」
余程暑かったのか、アキラとライトはアイスを手に取ると、その場で直ぐにアイスを頬張った。
それを見た楽人とアル・ラクスの頬が緩む。
「ちょっと良いかな?」
楽人がアル・ラクスに声を掛けて視線を道路に向けると、彼は頷いて公園の前の通りまで付いて来た。
住宅街の昼下がりだけに、通りには人通りも車も少ない。
楽人が通りを、アル・ラクスが公園内の子供たちを視界に入れて向かい合う。
「今日は何の話かな?」
「昨日の審査、どうだったか教えてもらえないかな?」
「うむ」
それを予想をしていたアル・ラクスは頷いて答えた。
「アキラは幼いから御両親と一緒に行ったけれど、審査の場には御両親は立ち会えなかったな。審査を行ったのは職員が三人に警察官、それと立派な体格の軍人……自衛隊員だったか」
警察官と自衛隊員の両方が居たと聞いて、楽人は少し疑問を覚えた。
保護者の同伴については、内閣府のウェブサイトにも記載されている。
15歳未満は保護者の同伴が必須で、逆に15歳以上は特別な理由が無い限り、保護者の同伴を許されていない。
これは義務教育の目的や年齢からの考慮と、保護者の過度な干渉による審査への支障の危惧してのもの。
「アキラが私をどう思っているか、私が現れた時どんな状況だったか、今どう思っているかなどを尋ねられたよ」
ヴァジュラのインタビューやネットの情報とは微妙に違う。
「私も指定通り当時の服装で行ったんだが、自衛隊員が軽く叩いて強度を確認していたな」
歴戦の自衛隊員とは言っても所詮は人間。
アル・ラクスの強靭な肉体は、人間が素手で殴ったくらいでは微動だにしない。
本当にボディスーツの強度を測れたかは怪しい。
「それで戸籍登録の許可が下りたから、その後、アキラ君の御両親と一緒に登録を済ませてきたよ」
「え?!」
楽人は自分の耳を疑った。
内閣府のウェブサイトでも、予約を申請した後の返信でも、現場インタビューでも、審査結果は後日行われるとされていた。
「審査結果は後日になるって、書いてあったと思うけど?」
「ああ、それは私も気になったので尋ねてみたのだが、『警察から調査結果を受け取っている』と言っていた」
「渡良瀬警部のお陰か?」
「私もそう考えている」
(なるほど……音無先生とユントロも、即日許可が降りそうだな)
警察は国が運営する組織であり、その情報は必要に応じて政府に上げられる。
国是に関わる事件ともなれば尚更、即座に報告と確認が行われる。
先日の事件後、政府の諜報機関はアキラとアル・ラクスについて調査を行っていた。
その時点で戸籍登録の条件を満たしていたため、審査は形式的なもので終わったのである。
「それとマイナンバーカードは、後日窓口で受け取りだと言われたよ」
「そこは送付では無いんですね」
「らしいね」
それはヴァジュラの言っていた「口止めされていること」だった。
「貴重な情報ありがとう」
「どういたしまして」
話し終えて楽人が公園内を振り返ると、アキラたちは口の周りをベタベタにしてアイスを食べていた。
それどころか、立ったまま綺麗に舐めているライトは首元にも、座り込んでしゃぶっているアキラは太腿にも、アイスを垂らしている。
「あはは…」
楽人は昔を思い出して渇いた笑いが漏れた。
彼は幼い頃、同じことをする度に、愛染昇子お姉ちゃんにアイスを舐めとられた。
他人に見られれば普通に通報案件である。
楽人は公園の水道でハンカチを濡らすと、アキラたちが食べ終わるのを待って二人の顔を拭いてあげた。
「放っておくとベタベタになるぞー」
「うぅ、うん」
まずは、立っているので顔の近かったライトから。
口の周りを拭いて、そのまま顎から喉、首元まで拭き取る。
「ありがとう、にいちゃん!」
ライトが無垢な笑顔で礼を言うと、楽人の頬が自然と綻んだ。
楽人は水道でハンカチを洗い、まだアイスの棒を名残惜しそうに咥えているアキラの下へと向かう。
こちらも先に口の周りを拭いてから、アイスが垂れている太ももも拭いた。
「ひゃっ!?」
「うぉっと」
アキラが急に変な声を出したので、ハンカチを持った楽人の手が、足の付け根近くまで太ももの上を滑った。
「ぴゃっ?!」
アキラが更に変な声を上げて、顔が少し赤くなった。
楽人は訝しんでアル・ラクスを見たが、彼は不思議そうに首を傾げる。
楽人も首を傾げながら、途中で止めるのも変なので最後までアイスを綺麗に拭き取った。
「これで良しっと。二人とも、次からは零さないように気を付けて食べるんだぞ」
「は~いっ」
「…はぁい」
「それじゃ、またな」
後始末を終えた楽人は、アル・ラクスに見送られて公園を後にした。
* * *
楽人が塾の教室に入ると、いつもとは空気が違った。
学校に比べて静かなのは珍しくもないが、誰も喋っておらず、勉強道具を用意する音だけが教室内を支配している。
(範子は休みか?)
楽人が不審に思って教室内を見渡すと、直ぐに一房だけピンクの金髪を見つけた。
月仰高校の赤点の補習は一昨日までなので、今日はもう制服を着ていない。
「おはよう、範子」
「あっ、須磨っちおはよう♪」
範子が椅子から立ち上がって、教室の入り口を振り返る。
彼女の服装は、臍の出ている丈の短いシャツに、歩けば中が見えそうなミニスカート。
駅前なら珍しくも無いが、塾の教室の中では一人悪目立ちをしている。
何人かの男子塾生たちは、スカートが捲れることを期待して、横目でチラチラと彼女を見ていた。
「何かあったのか?」
「あぁー……ちょっち耳貸して」
範子が小声で楽人を手招きする。
楽人がいつも通り隣に座って身体ごと耳を傾けると、範子は口元に手を当てて、彼の耳元で囁く。
何人かの男子塾生が、彼を羨ましそうに見た。
「…彼、前に【リアライザー】を預けたって言ってたっしょ?」
範子は机に突っ伏している男子塾生を指差す。
「言ってたな」
楽人は肯定したものの、その名前までは出て来ない。
「でねっ、でねっ、審査が始まったのに、まだ返って来ないから問い合わせたらさ…」
「…夜逃げされた?」
「え?! 須磨っちエスパー!?」
範子は驚いて、楽人の耳元だということも忘れて叫んだ。
「耳元で大声を出すな」
楽人は思わず範子から離れ、キーンとした耳を抑えて彼女を睨む。
「ごめんごめん」
範子は両手を合わせて謝ったが、楽人は目を細めて冷たい視線で彼女を見返した。
「まあ、ありがちな話だな」
ありふれた話である。
違法行為をしていた人間が、法律を知って身の危険を感じ、そこに付け込んだ詐欺師に騙されて泣き寝入りする。
教室で「自分は不幸だ」と嘆いている黒宮春陽も同じだった。
彼の言動や態度は、どう見ても【リアライザー】の略奪と不当な扱いにしか見えず、「【リアライザー】を拾った」などとは誰一人信じていない。
彼は警察にも頼れない。
それどころか、詐欺師が捕まれば、彼まで警察のお世話になる可能性が高い。
彼がそれまで怯えて過ごすのか、忘れて呑気に過ごすのか。
どちらにしろ、本当に憐れなのは、本当の犠牲者である【リアライザー】である。
――しかし、その時の楽人は知る由も無かった。
彼が考えている以上に、世の中には悪意が満ちていることを…。
明日、ちょっと凄いことになります(フラグ)




