山デート:出発
日曜日。
楽人は結局、昨日は御影アキラの家に電話をしなかった。
と言うのも、彼がアキラを助けたことは当事者しか知らない。
彼が電話を掛ければ、客観的には未就学児に電話をする男子高校生。
(俺なら絶対通報する)
そもそも、彼はアル・ラクスの戸籍登録事情を知りたいだけで、急ぐ必要が無かった。
(公園で見かけた時で良かったよなぁ…)
気付くのが遅過ぎである。
母親にロリコン疑惑を掛けられただけ大損と言えた。
「出発するぞー。忘れ物は無いな?」
父親が自動車の運転席から、皆に確認を取る。
今日は父親の時間が取れたので、久しぶりの家族デートだった。
「は~い♪ ありません、お義父様」
サーニャが後部座席から元気良く返事をした。
右手は隣に座る楽人の左手を握っている。
「俺も大丈夫だ」
「あっ…」
助手席の母親が何かを思い出して口に手を当てた。
「お義母様が?!」
サーニャは目を見開いて、正面の助手席を凝視する。
「母さんが抜かるなんて! 天変地異の前触れか!?」
楽人も驚愕して身体が震え出す。
「はい、お父さん」
母親は夫の顔に手を伸ばすと、親指と人差し指でご飯粒を摘まんだ。
「おや? ありがとう母さん」
「どういたしまして」
「このオシドリ夫婦がーっ!」
楽人は思わず突っ込んでしまった。
「くすくす。本当に仲がいいですよねぇ。ガクトもご飯粒付けていいんですよ?」
サーニャが唇に人差し指を当てて、物欲しそうにおねだりをする。
「心惹かれるものはあるが断る。偶然に期待してくれ」
「残念です~」
ちょっとした騒動はあったものの、車は無事、家を出発した。
* * *
「うわあぁぁぁぁ……。景色がどんどん変わっていきますーっ♪」
高速道路に入ると、サーニャは窓の外を流れる景色に感動した。
“ミレニアム戦記”の移動手段は、中世風ファンタジーらしく、馬や馬車、それに船くらいのもの。
まだ自動車や飛行機などが出るほど、ネタ切れを起こしていない。
そのため、競走馬より速く高速道路を走る車は、サーニャにとって未知の体験。
楽人は初めて新幹線に乗った時のことを思い出して、懐かしい気持ちになった。
「窓を開けて顔を出すなよ。危ないからな」
「は~い。わかってま~す」
楽人が止めなければ、サーニャは今にも窓を開けて、流れる景色に手を伸ばしそうだった。
クーラーのために窓を閉めていなければ、既に窓から手を出していただろう。
「うふふ。まるで妹が出来たお兄ちゃんみたいね」
助手席に座る母親が、手を口元に当てて笑った。
常識知らずの女の子を心配するという意味では、強ち間違ってはいない。
今回のデートは、近場の山へハイキング。
少し遠いので高速道路を使っていた。
別に市内でデートをしても良かったが、戸籍登録を前に態々街中で目立つ必要も無い。
大丈夫だと油断してクラスメイト――範子――に見つかってから、まだ一カ月も経っていないのである。
「着いたぞー」
サーニャが景色を楽しんでいる内に、山の麓の駐車場に到着した。
日曜日なのに、駐車場は余り埋まっていない。
近くに観光スポットとして人気の山があるため、態々こちらを登る登山客は少ない。
また、避暑地としての知名度も低いので、キャンプのシーズンである春や秋なら兎も角、夏場なら近隣住民でも海やプールを選ぶ。
そんな不遇な山だった。
そのため、この先の山頂へと続く車道は、余り使われている様子が無い。
ここまでの道路は、アスファルトから水蒸気が立ち上っていたのに対して、ここから先にはそれが無かった。
「えぇ~? もうですかー?」
まだまだ風景を眺め足りなかったサーニャは、口を尖らせて不満そうな声を上げた。
「置いてくぞ」
「あっ! 待ってくださいガクト~!」
楽人の態度は口だけで、先に車から降りた後はサーニャが降りて来るのを待った。
サーニャは慌ててシートベルトを外すと、楽人と同じ右のドアから外に出る。
父親と母親はその様子を微笑ましそうに見てから、忘れ物を確認して車を降りた。
低い山なので、彼らの荷物はそれほど多くない。
大半は楽人と父親が背負ったリュックに詰まっている。
サーニャは以前に街で買った、高校生や大学生が持っていそうな、お洒落な小さめの鞄を肩から下げている。
彼女には小さいとは言え羽があるので、リュックは苦手だった。
小さな羽は今も内側から服を少し盛り上げていて、上から羽織っている薄手のストールで誤魔化している。
母親の荷物は、ランチの入った少し大きめのバスケット。
最初はサーニャが持ちたがったのだが、「初めての山登りを楽しみなさい」と言って母親が譲らなかった。
…中身が偏ることを心配したのである。
「ガクト~っ、早く早く~~~っ♪」
サーニャが楽人の手を握って、駐車場の出口へ引っ張って行こうとする。
「父さん、母さん、先に行ってる」
「お義母様、お義父様、先に行きますね♪」
楽人が両親に断ると、サーニャも声を掛けて彼の手を引っ張って歩き出した。
「ほら、お父さん。私たちも行きましょう」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。思ったより重いんだこれ…」
「もう…、仕方ないんだからっ」
母親が夫のリュックの脇からペットボトルを奪う。
「後生だから、それだけは勘弁してくれ」
「飲みたい時は私が飲ませてあげますわよ。あ・な・た♪」
ペットボトルを斜めに持って頬を当てる妻に、父親は戦慄した。
楽人は後ろから聞こえる声で状況を察し、サーニャが真似しないことを天に祈るのだった…。
旦那の体調管理は妻の特権




