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黄色い悪魔

「さて、それでは課題に取り掛かりますか、っと」


 楽人は机に向かって、夏休みの課題を広げた。


 サーニャの戸籍登録が済めば、気兼ねなく彼女と出掛けられる。

 彼はそれまでに課題を早めに終わらせ、塾の無い火木に入れたバイトで遊ぶお金を稼ぐつもりだった。

 現実(リアル)は好き勝手遊んでいるだけで、頭が良くなったり、金が入って来たりはしないのである。


 無論、それはサーニャとも相談済み。

 最初は不満を漏らしていた彼女も、それでも一学期中より一緒に居られる時間が長いと理解して納得した。


 トゥルルルッ、トゥルルルッ…


「音無先生か。意外と早かったな…」


 楽人がスマホの呼び出しに気付いて見ると、《音無先生》と表示されている。

 彼が留守電を入れてから、まだ何十分も経っていない。


 ガチャッ


「はい、楽人です」

『…あ、須磨君、音無です。さっきはごめんなさいね、折角電話を貰ったみたいなのに』


 電話から聞こえる静香の声は、少し早口で弾んでいる。


「いえ、良いんです。先生も忙しいでしょうし」

『ううん、本当にごめんなさいね。外で買い物中だったの』


 早口は収まってきたが、声が弾んでいるのは変わらない。


「なぁんだ、デートじゃ無かったんですね。お邪魔してたら悪いと思ってました」

『デデデデート?! そそそそんな訳無いじゃない!? 私がデートなんて!』


 楽人は軽い冗談のつもりだったが、静香は普段の彼女からは想像も出来ないほどに慌てた。


眼鏡オタク(てづか)は浮いた話一つ無いって言ってたけど、一応フォローしておくか)


 彼は親友の性癖は理解できなかったが、情報は信頼していた。


「そんなこと無いですよ。音無先生、モテますからね。うちのクラスでも手塚とかがよく言ってますよ」

『…眼鏡を褒められてもねぇ…』

「あはは…」


 静香は苗字を聞いただけで思い当たって、テンションが急激に下がった。


(気持ちは分かる…。この様子だと本当に買い物か。デリバリーとか頼みそうに無かったもんな)


 楽人は静香の部屋――沢山のぬいぐるみと、棚いっぱいの漫画や円盤を思い出した。


『それよりも、今日はどうしたのかしら? 何か相談ごとがあるなら遠慮なく言って御覧なさい。先生が何でも聞いてあげるわよ』


 静香はテンションが下がったお陰で落ち着き、いつもの包容力溢れる先生の態度に戻った。


「【超生物保護法】の話を聞いて、ユントロの戸籍登録が気になって電話をしました」

『…ユントロのことね…』


 静香のテンションが、今度は地の底まで沈んだ。


「済みません! 余計なこと聞いてしまって!」


 楽人は地雷を踏んだと思って慌てて謝った。


『う、ううん、違うの! ユントロのことよね!』

「は、はい!」


 静香も慌てて否定し、楽人も釣られて早口になってしまう。


『ユントロの戸籍登録は、私も必要だと思ったから申請したわ』

「そうですよね。ちなみに何時頃ですか?」

『昨日の朝申請して、今朝、審査は29日だって返信があったわ』


 静香は【超生物保護法】の生放送を見た後、眠い頭での即断を避けた。

 十分な睡眠を取り、翌朝、しっかり内容を確認してから申請をした。


「意外と早いですね」

『そうね。思ったより、申請してる人が少ないのかも知れないわね』

「先生は【リアライザー】がどれくらい居ると思いますか?」


 楽人は静香に、ネットやテレビとは違う本音を期待した。


『そうねぇ…、須磨君になら良いかな。…恥ずかしいとこ見られちゃったし♪』


 静香が嬉しそうに語尾を弾ませる。

 楽人は事件を思い出したが違った。


『見たんでしょ? 私のコレクション?』

「あっ」


 彼女の部屋へ招待された時に、ぬいぐるみで隠されていた漫画やゲームの山のことだった。


『ちゃんと戻したつもりでしょうけれど、ぬいぐるみの位置がズレていたわよ。駄目だよ、油断しちゃ。女の子は意外とちゃんと見てるんだからね?』


 静香が、悪戯をした子供を諭すように注意する。

 楽人は、静香が腰に手を当てて、人差し指を立てている姿を幻視した。


「…済みません」

『くすっ。もう良いのよ。須磨君になら隠さなくても良かったかなって思うし』


 静香は懐かしそうに、少し嬉しそうに話す。


『話を戻すわね。須磨君はフィクションのキャラクターって、どれくらい居ると思うかしら?』

「唐突ですね」

『須磨君がそれを言うの?』


 静香は楽しそうに笑った。


「う~ん、一億くらいですか?」


 楽人は【リアライザー】が人口の1%ほどだと見積もって、それより多めに答えた。


『先生はね、もう一桁多いと思うの』

「え? それって下手したら人口より多くなりませんか?」


『それじゃあ聞くけれど、例えば須磨君が好きなソーシャルゲームって、何人くらい登場するのかしら?』

「えーっと、“ミレニアム戦記”は三百人くらいですね。サービス開始から三年くらいで」


 公式はミレニアムだけに、サービスの十年継続、千キャラ達成を目標にしている。


『じゃあ、ソーシャルゲームって幾つあるのかしら?』

「百個くらい?」

『私が調べた限りだと、収益が高いものだけでも1万5千はあったわね』

「1万5千?!」


 楽人は思わず叫んでしまい、静香が電話の向こうで目を丸くした。


「す、済みません、突然叫んで」

『くすっ。続けるわね。それで須磨君のゲームと同じに考えるなら、毎年で百五十万、この二十年で三千万のキャラクターが増えていることになるわ』

「ふむふむ」


 実際には、新しいキャラクターを極力増やさないゲームも多いが、飽くまで仮定の話なので楽人は追及しなかった。


『他に小説投稿サイトもあるわよね。最も有名な“小説家になりたい”だけでも投稿されている作品は百万以上。登場人物が一人と言うことは滅多に無いし、他のサイトも合わせたら一千万は下らないわね』

「一千万…」

『この時点で既に日本人2、3人に一人の割合だけど、私が知っている【共生者】は私を含めてもたったの二人』

「え?!」

『あ、ごめんなさい。須磨君には彼女のこと、話して無かったわね』


 楽人はサーニャのことがバレたのかと思ったが、どうやら違うようだった。


『うちの生徒で一人、【リアライザー】のことで相談に来た子が居るの。その子の【リアライザー】は行方不明になっちゃったらしいんだけど…』


 楽人の頭に、先日の塾生のことが過った。

 静香は「彼女」と言ったので、春陽(おとこ)が犯人の可能性は低い。


『その子を含めて、私が知っている【共生者】は二人だけ。あまりにも少な過ぎるわね』

「そうですね」


 フィクションは静香の上げたものだけではない。

 ソーシャルではないゲーム、ラノベ原作では無い漫画、昔の作品などもある。


『ユントロも言ってたけど、【リアライザー】が生まれる為の【思い(エナジー)】って、相当必要なのかも知れないわね』

「え?! ユントロって喋れたんですか!?」


 楽人は今日一番の驚きに、何度も瞬きをした。

 ユントロは「ウユーン」以外の鳴き声を上げることすら少ない。


『あぁ、言ったというのは語弊があるわね。文字盤を使ったの。コックリさんで使うやつ』

「なるほど…」


 楽人の脳内でクイズ番組が開催され、サーニャがユントロに完敗して涙目になった…。




 ――ファンタジーな【リアライザー】の大半は、まともな読み書きが出来ない。

 それは作品オリジナルの言語が、言語として成立していないためである。

 逆に、現実が舞台の作品の場合、その【リアライザー】は原作の文字を読み書き出来る。


 例えば、登場人物が日本語を読み書きし、それがホニャララ語と呼ばれていたとする。

 その場合、その登場人物が【リアライザー】になっても、日本語もホニャララ語も読み書きすることは出来ない。


 例えば、イギリス人作者が書いた作品に登場する、十ヶ国語を話すドイツ人の天才キャラは、英語のみ読み書き会話が出来る。


 これらは【リアライザー】が魔法を使えない理由と同じ。

 現実(リアル)にご都合主義は無く、【リアライズ】が機械的に行われたことの証明とされている。




『最初の質問に戻るけれど、だから先生はフィクションのキャラクターは人口と同数以上、【リアライザー】の発生はその1%くらいだと思うの』


 それは世間で、期待を込めて言われている確率。

 静香には、根拠と言えるほどのものは無い。


「俺は実際に見かけた人数比や政府の動員数から1%は固いと思います」


 楽人にも、胸を張って言えるほどの根拠は無い。

 敢えて言えば、同類としての勘。


(見えているだけが全てじゃない。【共生者】は例外無く【リアライザー】に強い執着を持っている。絶対に俺みたいに隠している人の方が多い)


 ガチャッ


「ガクト~♪ お昼ご飯できたよ~♪」


 サーニャが満面の笑顔で、ドアを開けて部屋に入って来た。

 彼女は、上手く作れた昼食を、楽人に早く食べてもらいたくて堪らなかった。


『…妹さん?』


 静香が怪訝な声で尋ねる。


 楽人がサーニャの目を見ながら、口の前に人差し指を立てると、彼女は首を縦にブンブンと振って部屋を出て行った。


「違いますって。妹も姉も居ません」

『もしかして…後妻?』


 楽人は予想外の言葉に目を丸くした。


「若いとは言われますが、再婚ではありません」

『ご、ごめんなさいね。私ったら…あははは…』

「ははは。いいですよ。母さんも若く見られるのは喜びますから」


 楽人は勘違いを正さず、押し通すことにした。


『それじゃあ、私もお昼の準備をするから、これで失礼するわね。また何かあったら何時でも電話して頂戴ね』

「ありがとうございます。それでは、また」

『…うん』


 ガチャッ


 静香は最後、嬉しそうに電話を切った。


「?」


 楽人は彼女に何か湿っぽいものを感じたが、空腹には抗えず、愛するサーニャの作った昼飯を求めて食卓へと向かった…。



 * * *



「にこにこ」


 楽人は昨今類を見ない、最大の危機に直面していた。

 愛するサーニャは正面に座り、テーブルに肘を突いて手の平に顎を乗せ、満面の笑みを浮かべて彼の言葉を待っている。

 いつもと違って隣に座っていないのは、それだけ彼の感想を期待している証拠。


 彼女の作った昼食が不味かった訳では無い。

 寧ろ美味しい部類ですらある。

 母親の料理と比べても遜色の無い、会心の出来。

 しかし…、


「念のために確認するが、これはカレーライスだよな?」

「当たり前じゃないですかガクト♪」


 目の前の深皿の中には、半分に盛り付けられたライス、もう半分のスペースにはカレーが入っている。

 ジャガイモも人参も、大きめの豚肉も入っている、普通のカレーライスだった。

 見た目だけは。

 しかし、最初の一口を食べた楽人の感想は違った。


(これ、クリームシチューだ。しかも激甘の)


 両者は一般的に同じ材料で、炒める・煮込む・寝かすという同じ工程を用いて作られる。

 ルーを間違えなければ、カレーがクリームシチューになることは無い。

 しかし、彼の目の前のそれは、完全にクリームシチューの味だった。


 ぷいつ


 彼が母親を見ると、彼女はそっと視線を逸らした。

 彼女が数分目を離した隙に、料理の味が変わっていたのだ。


(気配り上手な母さんが味見を忘れるはずが無い……これが不味ければ笑い話で済むのに、味が完璧過ぎる)


 ぱくっ


 楽人は自分の勘違いかも知れないと思い、もう一口食べてみた。

 しかし現実は非情である。

 それでクリームシチュー味がカレー味になるという奇跡は起こらなかった。


 ニコニコ


 サーニャは相変わらず満面の笑みを浮かべて彼の言葉を待っている。


(…怖い。料理中に顔を出したからか? それとも呼びに来た時に邪険に追い返したからか?)


 彼女はそんな些末なことを根に持たないと知っていても、この異常事態の前では楽人の疑惑は晴れない。

 遂に、彼は覚悟を決めてサーニャに尋ねた。


「かなり甘いな。サーニャって辛い物苦手だっけ?」


 そんな事実は無い。

 “ミレニアム戦記(げんさく)”でも、【リアライズ後(げんじつ)】でも、彼女は苦い物が苦手なだけで、辛い物は平然と食べている。


「結構辛くしたつもりだったけど、ガクトはもっと辛い方がよかった?」


 サーニャは楽人の感想を聞けたので一応満足して、肘から頭を上げて、「いただきます」と言ってスプーンでカレーライスを掬って口に運んだ。


「○▼※□★!?」


 サーニャは声にならない声を上げた。

 楽人の味覚がおかしくなったのでも、サーニャが意図的にやった訳でも無かったのである。


「味見しなかったのか?」

「…したよ」


 サーニャは悲しそうな顔で、自分で作ったカレーの味に不服そうに呟いた。


「味見した後に調味料とか混ぜてないよな?」

「あ…」


 サーニャがそれに思い当たって唖然とした。

 何をどうやったら、味見もしないで、カレーの味を完璧なクリームシチュー味に変えられるのか。

 楽人は下手なメシマズより恐ろしいものの片鱗を味わった。


「次からは最後にも味見しような」

「ううぅ…自信作だったのに…」


 ぱくっ


「まあこれはこれで美味しいから、俺は嫌いじゃないぞ」


 パアアアアァァッ


 サーニャが胸の前で両手を祈るように握って、沈んでいた顔を喜びに綻ばせる。


「良かったわねえ、サーニャちゃん」

「はいっ♪」


 サーニャがすっかり元気を取り戻したのを見て、楽人の頬も綻ぶ。


「私はもう良いから、後は楽人が食べて良いわよ」


 ゾワッ


「?!」


 楽人の背中に悪寒が走った。

 彼が恐る恐る母親の方を見ると、彼女は笑顔で指を四本立てた。


(…推定残り四皿分か)


共生者(がくと)】に【リアライザー(サーニャ)】の顔を曇らせる選択肢は無い。

 彼はその後、合計五皿分のクリームシチュー味のカレーライスを食べ干したのだった…。

愛妻の料理は時に最大の脅威(個人の感想です)

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