疑惑
翌日。
楽人は今朝もサーニャの寝顔を見られて、清々しい朝を迎えた。
彼の夏休みは今日からが本番だった。
何せ昨日は起きるのが遅く、政府のホームページを見たり塾に行ったりしただけで、全く夏休みらしいことをしていない。
今朝方、昨日申請したメールの返事が返って来た。
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この度はリアライザーの戸籍登録にお申込み頂き、誠にありがとうございます。
誠に申し訳ございませんが、申込者多数の為、審査日のご希望に沿えることが出来ませんでした。
申込者様の審査は7月30日で予約登録させて頂いております。
変更をご希望の際は、当日までに返信をお願い致します。
当日は…
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メールを要約すると、『予約が多ったので三日目。変更したければ連絡。当日は【リアライザー】が現れた時の持ち物を持参。審査結果は後日』ということだった。
「三日目か…」
楽人は昼頃に申し込んだので、申し込み開始から半日で二日分以上の予約が殺到したということになる。
「そんなに【リアライザー】が居るのか?」
楽人は訝しんだ。
彼はこの一カ月で、十人ほどしか【リアライザー】に会っていない。
間近で見たことがあるのは、サーニャ、ユントロ、アル・ラクス、絶気アスラの四人。
通学路で頻繁に見かけるのが、狼もどき、長身スパダリ、三つ目猫の三人。
他に、時々見かけるのが数人。
彼の交友関係が狭いとは言え、彼の行動範囲だけで見ると人口の0.1%未満。
逆に、実際に目にした人数と比較した場合、軽く1%を超える。
それに対して、政府は市役所職員を三万人も動員したと公表している。
「…いや、手続きが一対一のはずも無いか…」
進学や就職の面接と同じだ。
書類審査でも人員は必要だし、面談に安定した精度を求めれば人数が必要になる。
「…皆はどうだろう?」
楽人は気になったので、知り合いに確認を取ってみた。
* * *
トゥルルルッ
早速、眼鏡オタクに電話を掛けると、直ぐに繋がった。
ガチャッ
「お掛けになった電話番号は、現在使われておりません」
『掛けて来た方がか?』
楽人の渾身のギャグが、あっさり躱された。
「ノリが悪いなあ。元気か?」
『ははっ。相変わらずだな。こっちはいつも通りだぞ』
「つまり眼鏡だと」
『ああ、眼鏡だ』
ぷははははっ
二人は同時に噴き出した。
『それで今日はどうした?』
「その眼鏡なんだが、“サンダーボンバー”のアスラさんって戸籍登録どうすんのかと思ってな」
楽人が本題を切り出すと、手塚は嬉しそうに答えた。
『なんだそんなことか。ヴァジュラさんならアスラさんの申請、真っ先にしたらしいぞ。夜中に』
「やるなあ…」
『だろう?』
テレビ電話でも無いのに、楽人は手塚が眼鏡を中指で上げる仕草を幻視した。
「何でお前が威張るんだよ」
『ファンだからな』
「然もありなん」
楽人は、手塚が眼鏡好きが高じて“サンダーボンバー”を好きになったことを思い出し、ふと気になったので尋ねてみる。
「もしかして……音無先生のことも何か知っているのか?」
『俺が先生の私生活を知っていると思うか?』
手塚が真剣な口調で返事をしたので、楽人は目を丸くして驚いた。
「いやぁ、情報通を名乗ってるから、眼鏡キャラのことなら何でも知ってるかと思ったんだけどな」
『ぐっ!』
手塚が本気で悔しそうに言葉に詰まる。
『…俺だってプライバシーくらいは守るぞ』
「安心した」
楽人は二重の意味で安心して表情が緩んだ。
音無先生のことが広まっていないことと、親友が犯罪者では無かったことに対して。
『そっちは何かあったか?』
「塾に範子……うちのクラスの真島が来たくらいだな」
『なんだなんだ~? いつの間に名前で呼ぶ関係になったんだよ? 付き合い始めたのか?』
手塚は情報通の血が騒ぎ、急に恋バナ大好き女子高生みたいに、好奇心全開で鼻息を荒げた。
「違うわ」
『だよな~。お前がモテる訳無いもんな~』
「ほっとけ。そういうお前こそどうなんだよ? 俺に隠れて眼鏡なカノジョでも作ってるんじゃないのか? もしくは拾ったとか?」
『残念ながら。どこかに落ちてないか?』
「塾で【リアライザー】を拾ったって言ってる奴は居たな」
『嘘だな』
「その心は?」
『俺には来てない。俺が捨てると思うか?』
「なるほど」
【リアライザー】は相当な思い入れがある人にしか現れないのに、生半可な理由で手放すはずが無い。
「じゃあな。次があったら、お前のとこに眼鏡が現れるよう祈っとくよ」
『そうしてくれ』
ガチャッ
“ソシャゲ君”と“眼鏡オタク”は期待していない未来を語って、同時に電話を切った。
* * *
トゥルルルッ、トゥルルルッ、トゥルルルッ…
ガチャッ
「あ、音無先…」
『…只今、電話に出ることが出来ません。御用の方はピーという発信音の後、お名前とメッセージを入力して下さい』
楽人が音無静香に電話を掛けると、機械音声で留守電の案内が始まった。
ピーッ
「2年の須磨です。少し話したいことがあるので、時間がある時にでも折り返し連絡を下さい。失礼しました」
留守を予想していなかった彼は、伝言が少し早口になった。
ガチャッ
「ふー…。土曜だから学校は無いだろうし、普通に買い物かな?」
電話中に返信があると悪いので、楽人は別件を先に確認しようと台所へ向かった。
「母さーん」
楽人が台所の入り口で声を掛けると、母親より先に一緒に料理をしていたサーニャが反応をした。
「ガクトっ、まだ見ちゃダメです!」
サーニャはエプロン姿で両手を振って、台所を隠そうとする。
楽人は直ぐに後ろを向いた。
まだ失敗の多い彼女は、料理中を見られるのを恥ずかしがっていた。
パタパタパタッ
「どうしたの、楽人?」
台所に入れない息子の代わりに、奥から母親が入口まで小走りで出て来た。
「ちょっと聞きたいことがあって。料理は今、大丈夫?」
「煮込んでるだけだから大丈夫よ。それより何かしら、聞きたい事って?」
母親は息子に頼られて、ミトンを外しながら嬉しそうに尋ねた。
「うん。前に話してた、宇津木さんちの子なんだけどさ、その友達のアキラ君の連絡先って母さん知ってる?」
「アキラ君?」
(あ、しまった…)
母親は楽人とアキラの繋がりを知らない。
音無先生のことも話していなかったが、こちらはサーニャ経由で伝わっていると思っていたのが、彼の油断の原因だった。
拳銃を持った半グレ誘拐犯襲撃は、どう考えても叱られ案件である。
「あんたまさか…」
ごくりっ
楽人は生唾を飲んだ。
「ロリコンだったなんて…およよよよ…」
母親は口元に手を当てて俯き、泣き真似を始めてしまった。
「待て! アキラ君はおと…!」
楽人は「男の子」だと言い掛けて思い留まる。
(男の子だって訂正したら、俺はロリコンからショタコンホモってことに…?)
普通の親ならそちらの方を悲しむ。
世間が幾らLGBTの権利を主張しようがそれは変わらない。
公平性を謳う以上、他人に文句を言う権利は無いのだ。
チラッ…チラッ……
どこまで知っているのか、母親は泣き真似を続けながら、目だけ笑って楽しそうにチラチラと楽人を見ている。
「この間、公園でライト君と一緒に居たから話したんだよ」
楽人は母親の突っ込みを警戒して、最低限の事実だけを素直に答えた。
「………」
「………」
二人は沈黙した。
台所の奥から、鍋の沸騰する音だけが聞こえて来る。
「…まあ、いいわ」
母親は泣き真似を止めて顔を上げ、スマホを取り出して操作し始めた。
ピッピッピッ
「あんたのスマホに連絡先を送ったわよ」
「恩に着る、母さん」
楽人がスマホを見ると、新しい連絡先が追加されていた。
御影美樹。
アキラでは無い。
固定電話の番号である。
「サーニャちゃんには黙っておいてあげるわ」
母親は怖いことを言い残して、サーニャの居る台所へと戻って行った。
楽人は昼間だと出かけている可能性が高いと考えて、一先ず夏休みの課題を進めることにした…。




