マウントポジション
「須磨っち~っ!」
楽人は塾の教室に入った途端、見覚えのある金髪差し色ピンクの頭突きを腹に受けて押し倒された。
「…なあ、俺はどうして塾に来た早々、クラスメイトにタックルを喰らって馬乗りされているんだ?」
彼はジト目で、腰の上に座る範子を見上げる。
彼女は午前中は学校の補習なので、もう夏休みなのに制服だった。
暑いから胸元を学校よりも大胆に開けていて、日焼けした小麦色の肌が覗く。
シャツもスカートから食み出ていて、綺麗なおヘソも見え隠れしている。
更に、馬乗りになっているせいで、短いスカートの隙間から、派手な下着がチラチラと彼の視界に入る。
無論、体温と柔らかい感触まで彼女から伝わって来るのだから、彼が昨晩サーニャと限界まで致していなければ、大惨事になっていただろう。
「だって~」
「だってじゃ分からん。さっさと降りろ」
「あーし一人で勉強なんてできるわけないじゃん」
範子は膨れっ面で楽人の胸に両手を突き、説得力に満ち溢れたことを言った。
彼女に彼の上から降りるという選択肢は無い。
「友達に電話して慰めて貰え。あと、俺から降りろ」
「みんな忙しいって直ぐ切るんよ。しかも後ろから楽しそうな声聞こえるしー。あーしだけハブってひどくね?」
友達と遊んでいる時に電話が掛かって来たら当然である。
「あー、酷い酷い。だからいい加減降りろ」
「…そーいや、何であーしの名前呼ばないん?」
範子が小首を傾げる。
「苗字が思い出せん」
「ひっど!」
彼女は、まるでゲテモノ料理でも目にしたかのようにドン引きした。
「友達でも無いクラスメイトの名前なんて、覚えてる訳無いだろ」
「そこまで言う?!」
彼女は、飛び出すホラー映画でゾンビが突然迫って来たかのように、完全に仰け反り、手で顔と彼との間を遮る。
「あーしは覚えてるよ。須磨っちでしょ、貴巫女っちでしょ、あんあん、ゆずぽよ、早苗っち、さっちん、ととりん、貴巫女っち、眼鏡くん、イケメン、かざっち、いとれん、しばしば、須磨っち…」
「ちょっと待て!」
楽人は自分の名前が二度出たところで、指折り数える範子を制止した。
「…っち、え?」
「全部徒名なのは置いとくとして、同じ名前が出たぞ」
「…そマ?」
「マっ、マっ」
楽人が釣られて変な相槌を打つと、範子は首を巡らしてあっちこっち見ながら考え込んだ。
(男子も女子も同じくらい名前が出てたし、本当に全員覚えてるのか?)
「う~ん…」
「降りろ」
範子の身体が右に傾き、右のお尻に体重が掛かり、短いスカートが揺れて下着がチラつき、浮いた潰れていた左のお尻が膨らみを取り戻す。
「う~ん…」
「降りろ」
今度は左に傾いて、左のお尻に体重が掛かり、下着が見えかけ、右のお尻が元に戻る。
範子は頑なに楽人から降りようとしない。
(サーニャが現れた時もだったし、そんなに俺は座り心地がいいのか?)
楽人の下半身も、そろそろ生理現象を見せ始めた。
範子は絶妙な位置に座っているので、まだ当たっていないが、代わりに楽人も上半身を起こせそうにない。
プロ顔負けの完璧なマウントポジションである。
「ていっ」
「にゃっ?!」
楽人は待つことを諦め、ブリッジの要領で腰に力を入れて跳ねさせた。
「ななな、ナニすんの須磨っち?!」
しかし、範子は必死に彼の服にしがみ付いて落ちない。
「降りろ!」
楽人は彼女を振り落とすべく、腰の上下の動きに横の動きも加えた。
「ふんっ! ふんっ! ふんっ!」
「わわわわかったから! これじゃ下りられないって! 止まって止まって止まってっ!!」
範子は半泣きで必死にしがみ付きながら、泣きを入れた。
「…漸く観念したか」
楽人は動きを止めて背中や腰を床に付けたが、範子は未だに降りようとしない。
彼は目を細めて、手と足を立てて、先程の動きを再開しようと構える。
「ちょ! 待! 聞いて!」
「聞こう」
慌てて懇願する範子に、楽人は尊大に答えた。
「名前で呼んで」
「は?」
「だーかーらー。須磨っちにあーしを名前で呼んで欲しーの!」
その態度は、照れたり怒ったりしていると言うよりも、欲しい玩具をねだる子供のそれだった。
「ふむ…」
楽人は考えた。
(今後も塾で絡んで来るだろうし、呼び方が無いのは不便だな)
「分かった。フルネームを教えろ」
「真島範子だから、のりぽよって呼んでいいよ」
楽人は最近耳にした苗字に首を傾げたが、深く考えないことにした。
「真島さん」
「のりっち」
「範子さん」
「のりぴー」
「真島範子」
「やーっ! どうしてー?! 須磨っちがー、つーめーたーいーっ! 須磨っちの、おーにー! あーくー…」
範子がジタバタと駄々っ子ムーブを始めた。
楽人は昨晩精も根も使い果たしていたが、それもいつまで持つかは分からない。
この状況で全開になって騒がれた場合、確実に塾から家へ連絡が行く。
「はぁ、仕方ない……範子」
「…どーうーて…え?」
(おい、今なんて言い掛けた?!)
楽人は突っ込みを我慢して、深呼吸をして気持ちを落ち着けてからもう一度言った。
「範子。これでいいか」
「はわわわわっ! 須磨っちがデレたーっ!」
範子は両手で口を覆って感動した。
「もう降りろ範子。講義が始まる」
「これはもうコネるしかないっしょ!」
範子は人の話を聞かず、スマホを取り出してQRコードを表示させた。
「須磨っち、コネよ?」
――コネクト。
その名の通り、数あるSNSの中でも、繋がりを売りとしたコンテンツである。
若者の間では電話番号よりも連絡先の交換に優先されることが多く、コネクトするを略して「コネる」とか「こねこね」などと言われる。
気軽に使えるSNSの御多分に漏れず、個人情報漏洩の話題には事欠かない。
楽人は友達が少ない。
元々あまりコネらない方だったが、特にサーニャが現れてからは顕著。
情報漏洩を警戒して、新しくコネたのは、音無先生と渡良瀬警部くらいのものである。
しかし、範子はこう見えて、結構義理堅い。
楽人がサーニャと一緒に居るところを目撃したのを、親友の貴巫女にも話さなかった。
そんな範子だから楽人も断り辛く、
ピロンッ
「これでいいだろ?」
スマホを取り出してQRコードを読み込み、スマホの画面を彼女に見せた。
「うんっ♪」
範子はニコニコしながら、漸く楽人から降りて、彼に手を差し伸べた。
「一緒に座ろ」
楽人は面倒なので素直に手を取り、勉強道具が広げられたままの彼女の席の隣に座った。
しかし、その時の彼はまだ知らなかった。
真の悪夢はこれから始まると言うことを…。
本当の地獄はこれからだ!




