ギャル、襲来
夕方。
楽人はいつもの時間に、今日は私服で家から塾へ向かった。
彼は夏休み中の夏期講習は予定していない。
高校2年の彼は受験の追い込みにはまだ早いし、克服が必要な苦手科目も無いからである。
そのため、普段通りの月水金だけ、学校が無い分いつもより早い昼過ぎに通う予定になっていた。
これは去年までも同じなので、両親も納得していた。
寧ろ逆に、彼が夏期講習の話を出した時、母親から「あんた、サーニャちゃんを放って置くつもりじゃないでしょうね?」と無言の圧力を受けたほどである。
ガラッ
「あっ、須磨っち☆」
楽人が塾の教室に入ると、どこかで見たような金髪ピンク差し色のギャルが、彼を見つけて手をブンブンと振った。
彼女は朝と同じ制服を着ていたが、学校に居た時よりも胸元が大きく開いている。
楽人が回れ右をして教室を出ようとすると、
「待ってよ須磨っち~!」
範子はバタバタと彼に駆け寄って、背後から抱き着いた。
彼女の高校生離れした胸が押し付けられたが、リュックを背負っている彼には、その感触は伝わらなかった。
範子の声に釣られて、塾生たちの視線が彼らに集まる。
その一部は楽人を羨ましそうに見たが、大半は批難の目を向けていた。
「おい、こら、離せ!」
楽人は範子を引き剥がそうとするが、後ろからリュック越しでは、お互いに上手く力が入らない。
彼が身体を左右に振っても、それに釣られた範子が左右に振り回されるだけだった。
「一人にしないでよ~」
「いつも一緒にいる友達はどうした?」
「貴巫女っちは稼業の手伝い。見捨てないでよ須磨っちぃ~。あーしたちズッ友じゃん~~~…」
赤点を取った友人に合わせて塾に通わせようとする親は居ない。
友達付き合いを禁止されないだけマシである。
「知らん! 友達になった覚えなんて無い!」
「そんなこと言ってもいいのかなぁ? あーし見ちゃったんだけどなぁ~…」
範子はニヤニヤと笑い、楽人の耳元に顔を近付けて小声で言った。
「…かーいい子と歩いてたっしょ、先月?」
「!?」
楽人は直ぐに思い当たり、珍しく顔に出るほど驚いた。
(家族デートを見られたのか?! 凡庸な俺が目立つはずが無い。母さんの古着でも世界一可愛い(個人の感想です)サーニャが目を惹いたか…)
――【リアライザー】は目立つ。
特に、サーニャのような万人受けし易いタイプの美少女キャラは、普通の人間に混ざれば嫌が応にも目立つ。
それは普通の学級に、世界的なアイドルが混ざるようなもの。
鍔広帽子を被っていて顔を見た人は少なくても、楽人の想像よりは目立っていたのである。
「…なんのことかな?」
「白と黒のツインテールって珍しいよね」
「ぅぐっ!」
人違いという線が完全に消えて、楽人は言葉に詰まった。
――髪が真ん中で白と黒に分かれているツインテールの美少女キャラは、無数のキャラを投入している作品には稀によく居る程度の定番。
しかし、同作内で複数居ると個性が死ぬため、一作品に一人が原則。
それを破ればどうなるかは、“ミレニアム戦記”に於けるサーニャの不人気を例に挙げるまでも無い。
フィクション全体で見れば数千、数万に一人のキャラが、近くに二人以上【リアライズ】している可能性は宝くじよりも低い。
「…誰に言った?」
「あーし誰にも言ってないよ。貴巫女っちにも言ってないしー。聞いてみる?」
範子はスマホを取り出して、スピーカー通話にして楽人に見せた。
通話相手には『きみっち』と表示されている。
ドッドッドッドッ、ドッドッドッドッ……
重低音の呼び出し音が鳴って、間も無く電話が繫がった。
『どうしたの範子? そろそろ塾の時間じゃない?』
「それより須磨っちなんだけどさー」
『すまっち……須磨君?』
「そ、須磨っち。どう思う?」
『どうって…』
綾波貴巫女が本気で困惑している様子は、電話越しの楽人にも伝わって来た。
『…普通?』
「あ~ん、そじゃなくて…、もっとなんか、こうっ、あるっしょ?」
『…もしかして…』
(何か思い出したのか?)
楽人は眉を顰める。
『…惚れた?』
「違くて~! 塾にいたんよ」
『須磨君が?』
「そ。ビックリして思わず電話しちゃったってわけ☆」
『はぁー…』
貴巫女は心底呆れて溜め息が吐いた。
『別にいいけど。あんまり迷惑かけないでちゃんと勉強するのよ』
「わかりみっ☆」
『ふふっ。じゃあね』
「んじゃっ☆」
ガチャッ
「どうよ?」
電話が切れると、範子は自信に満ちた顔で楽人を見た。
彼は彼女の交友関係をあまり知らない。
けれど、少なくとも教室では、貴巫女以上に仲の良い相手は居なかった。
(今のが演技だとしたらアカデミー主演女優賞も狙える逸材だな。それなら…)
「何が望みだ?」
「え?」
何を話していたか覚えていない範子は、首を右に傾げた。
「うーんと…」
今度は首を左に傾けて視線が彷徨い、
「教えて?」
何とか絞り出した答えを、疑問形で口にした。
言葉が全く足りていない。
女子に免疫が無い男子が見たら、一発で勘違いしそうな可愛さだったが、生憎とサーニャの居る楽人には通用しない。
「別にいいけど、コースによって違うから、あんまり教えられることなんて無いぞ」
「それでいいよ~♪」
範子は明るい笑顔に戻って、楽人に腕を絡ませて引っ張る。
彼女の年齢の割に豊かな膨らみが押し付けられたが、やはり楽人は炉端の石ほどの感慨も湧かなかった。
「はぁ…」
楽人に今更抵抗する気は無く、範子に引っ張られるまま付いて行って隣の席に座る。
彼女は何となく不満そうな顔をしたが、席に着いたら素直に彼の腕を離した。
楽人の波乱に満ちた夏休みの塾は、こうして幕を開けたのだった…。
続きます




