テストが返って来た
7月11日。
学期末考査から週の明けた月曜日。
月凪高校では朝から学年も学級も関係無く、学校中で生徒たちが返って来る答案用紙の話題で盛り上がっていた。
無論、須磨楽人の在籍する2年B組でも…。
「ああっ! ついに返ってきてしまうのね!」
「文章問題にご慈悲を…」
「授業かったりー」
「ダイスの神様、敬虔な信者に祝福を…」
「いや! もう許して! 私の成績はどん底よ!」
「へっへっへ。このテスト結果を両親にバラされたくなければ、お兄さんに付き合ってもらおうか」
「ああ……こうして私の純潔は儚く散らされてしまうのね!」
「…お前ら元からヤリまくってるだろ」
「俺、夏休みになったら、撮り溜めたアニメを一気見するんだ…」
地獄のテスト返却開始を前に、クラスメイトたちの祈りと、絶望と、現実逃避の声が、朝の教室を支配する。
…とは言っても、大半はじゃれ合っているだけで、真剣に悩んだり困ったりしている生徒は居ない。
(皆楽しそうだなぁ…)
そんな中、比較的ノリの悪い側に入る須磨楽人は、クラスメイトたちの阿鼻叫喚を他人事のように見ていた。
彼は人事を尽くして天命を待つ、一応お祈り組。
テスト期間中に急なバイトに飛び付いたけれど、普段から勉強をしていたのでテストの手応えはそこそこ。
先週の火曜日に始まった“ミレニアム戦記”の新イベントは、テストが終わるまで我慢をして週末に熟していた。
相変わらずサーニャの出番は無かったが、“ミレニアム戦記”成分を補充したことで、彼の心は存分に満たされて穏やかだった。
キーンコーンカーンコーン…キーンコーンカーンコーン……
予鈴が鳴ると直ぐに、「未来の教頭先生」の愛称を持つ頭の薄い彼らの担任、遠山銀司先生が教室に入って来た。
その手には、紐の付いた二十センチ四方の小箱がぶら下がっていた。
「お前ら席に着けー。ホームルームを始めるぞー」
「きりーっ。気をつけーっ。礼っ。着せーきっ」
いつも通り眼鏡の委員長、乾貞の号令で朝の挨拶が行われた。
担任が教卓の上に小箱を置くと、黒板に8マス掛ける5マスの升目を描いて、左上から右下にかけて1から数字を割り振った。
「席替えするから、前の列、廊下側から順にクジを引きに来い」
月仰高校の席替えは担任に一任されている。
少なくとも学期に一回という最低限の決まり以外、席替えの頻度も方法も担任の自由。
遠山先生は定期テストの後、週明けに行うことにしていた。
これは以前、最後のテスト後に席替えをした時、週明けに席替えを忘れていた生徒たちが揉めたことが原因と言われている。
生徒たちは次々に、担任お手製のクジを引いていく。
引いた生徒はクジに名前を書いて担任に手渡し、担任が黒板に生徒の名字を書いていく。
お手製のクジは手で不格好にカットされているため、もし仮に誰かが不正をしても、継ぎ目を見れば直ぐにバレてしまう。
不正も交換も許されない席替えは、だからこそそれなりに盛り上がった。
(ソシャゲがバレない程度に後ろの席がいいなぁ…)
交友関係の少ない楽人は、他人との相対位置よりも、授業中のスマホがバレないかだけが気掛かりだった。
願いが天に通じたのか、彼は後ろから二列目になって内心ホッとした。
間も無くホームルームと言う名の席替えが終わり、短い休み時間を挟んで、一時間目の授業で先生が宣言する。
「これからテストを返すぞ。点数順に返すから、呼ばれたら取りに来い」
ついに地獄の釜の蓋が開いた…。
* * *
昼休み。
返って来たテストで頭を抱える生徒が多いと思いきや、早々に教室を飛び出す生徒たちが多かった。
その中には、学食組や購買組でも無い生徒も多い。
「そう言えば今日から再開だっけ」
テスト期間中はお休みだった、オタク同好会主催のピンクの狸ぐるみと触れ合う会も、今日から再開されていた。
『昼休みと放課後』『一人一分』『初見優先』という音無先生の有能な采配のお陰で、興味のある生徒の大半がテスト前に一通りモフれていた。
まだ一度も並んでいないのは、テストを優先した真面目な生徒や、【リアライザー】ブームに遅れて興味を持った生徒一部の生徒だけ。
彼らは今日から通うことになる。
期間は一学期いっぱいに延長されたので残り八日。
月仰高校の生徒は約400人なので、最終的に平均5回可能な計算だった。
何度もモフりたい人たちにとってはこれからが最後の追い込みで、特に終業式の日は半日あるので、相当な混雑が予想された。
「須磨は行かなくていいのか? 相方はもう出てったぞ」
昼休みなのに楽人の前の席に座っているのは、新しくその席になった田島拓哉。
以前は楽人と昼食を食べることが多かった、眼鏡オタクの手塚新蜂は、今日も見事なスタートダッシュで教室を飛び出して行った。
ユントロでは無く、眼鏡の音無先生が目当てで並ぶのは彼だけである。
「俺は良いんだよ」
楽人が肩を竦めて答え、弁当を広げて食べ始めると、田島も苦笑しながら前を向いて弁当を食べ始めた。
楽人はオタク同好会へは、初日のまだ混んでいない時に一度行った切り。
別にユントロに興味が無い訳では無く、寧ろその可愛さにやられて、過剰摂取を求めかけたヤバい人である。
しかし、「人の振り見て我が振り直せ」とは良く言ったもの。
彼はある事件に関わって自重することを覚え、放課後は愛する【リアライザー】との時間を優先する日々を送っている。
彼が音無先生に頼めば、ユントロに毎日でも会えそうなものだが、彼はそういうことが苦手だった。
「おっ。おかーえりー」
楽人は教室の入り口に手塚の姿を発見して手を振った。
「おお~心の友よ、聞いてくれ~~」
手塚は楽人の席へ大袈裟に駆け寄って、床に膝を付いて彼に抱き付いた。
「離れろ。飯が食えん」
「そう言わず聞いてくれよ~~~」
「聞く、から、離、れろ!」
楽人は両手で手塚の顔を押し返した。
手塚は渋々楽人から離れて立ち上がると、近くの空いてる椅子を持って来て座った。
「聞いてくれよ須磨えも~ん」
「誰が須磨えもんだ!」
ぺしっ
楽人は手塚の脳天に、軽くチョップを当てた。
「それでなあ、オタク同好会に行ったんだけどさあ…」
しかし、手塚は全く動じず話し続け、楽人は面倒臭そうな顔をした。
「もう初見さんは居ないから楽勝だと思ったら、俺は遠慮してくださいって言われたんだよ」
音無先生が管理しているとは思えない対応に、楽人は首を傾げた。
「お前何やったんだよ」
「俺は何もしてないよ。たださあ……今日から二回目の人優先ってなってたんだ」
「それくらい普通だろ、もう一周してるんだから。それでどうしてお前が遠慮しろって話になるんだ?」
時間内に順番が回るかは別として、二回目に並んでいる人が終わるのを待てば済む話である。
「多過ぎなんだと」
「は?」
「だから、俺は並び過ぎだって言われたんだ」
「一体何回モフったんだ、お前?」
「たったの10回だよ」
「多過ぎだボケ!」
楽人は思わず突っ込んだ。
今までの機会は僅か14回。
一回目の人が優先される中、手塚は10回と言う驚異の勝率を叩き出して、オタク同好会の全員に顔を覚えられていた。
「そんなにユントロが気に入ったのか」
「?」
眼鏡オタクが、「何馬鹿なこと言ってんだこいつ?」と言う顔で楽人を見た。
楽人は納得がいかなかったけれど素直に言い直した。
「そんなに眼鏡が好きか?」
「大好きだっ!!」
「お、おう…」
即座に大声で返されて、楽人は思わず椅子ごと身を引いた。
「それなら国語の丸井先生とかどうだ?」
楽人は冗談半分で還暦近い女教師の名前を挙げた。
「丸井先生も悪く無いけど、せめてあと5歳若ければなあ…」
ガチャッ、ベチャッ
教室の一角で、弁当を床にぶち撒ける音がした。
楽人が音の方を振り返ると、クラスのイケメン九条透哉と目が合い、彼は肩を竦めて苦笑した。
弁当を落としたのは彼の取り巻きの一人。
胸の薄いロングヘアの女子生徒――瀬戸川統子が切ない表情で床に落ちた弁当を見つめ、ゆるふわウェーブの桜井姫奈がその肩に伸ばし掛けた手を止め、ストレートボブの小室幸恵が気にせず自分の弁当を食べていた。
楽人は状況を察して、見なかったことにして手塚に向き直った。
「お前、本当に凄い奴だったんだなあ…」
「いやぁ、照れるなあ。そんなに褒めるなよ」
「いや、ほんとマジで」
丸井先生は年齢の割りに若く見える、所謂美魔女と呼べなくもないが、飽くまでも一般人のそれに過ぎない。
サーニャの設定年齢は328歳だったが、楽人には彼女以外で自分の母親より年上の女性を意識できる自信は無かった。
――その一方で、教室の別の一角で盗み聞きをしていた恋バナ四天王たちは、その日を境に手塚を見る目が変わったのだった…。
年齢差三倍以上




