お部屋にお邪魔:本題
暫くして静香が居間に戻って来た。
先程までより香水の匂いが強くなっていたけれど、楽人は気を利かせて、気付かない振りをした。
「ごめんなさいね。お代わり要る?」
「いえ。美味しかったです」
一人用だったパウンドケーキは彼のお腹に消えたが、紅茶のお代わりにはまだ早かった。
「それより、電話で言ってた相談って…?」
「そうね…。改めて言わせてちょうだい。この間は本当にありがとう」
静香は深々と頭を下げた。
ユントロもそれに合わせて、楽人の膝で頭を下げた。
「いいんですよ。俺は当たり前のことをしただけです」
その言葉は正確では無い。
オタク同好会でユントロを見たり、親友から静香の話を聞いていなければ、直ぐに彼女を心配したりはしなかった。
(俺は他人のためと臆面もなく言えるほど自分に酔ってもいなければ、見知らぬ誰かのために何かが出来るほど立派な人間でもない)
それが彼の偽らざる本音だった。
「ううん」
しかし、静香は静かに首を横に振った。
「それでも私は嬉しかった。ありがとう、須磨君」
学校での教育者としての彼女が決して見せることの無い、一人の人間としての晴れやかな笑顔。
そんな顔を見せられてしまっては、楽人もそれ以上の謙遜は出来ず、彼も笑顔で礼を返した。
「どういたしまして」
二人の間に穏やかな空気が流れる。
「――それじゃあ、本題に入るわね」
暫くして、先に沈黙に耐えられなくなった静香が口を開いた。
「もう知っているかも知れないけど、花畑さんが退学になったわ」
「え?!」
あまり他人に興味の無い楽人は、一瞬、それが誰か分からなかった。
花畑鰾未。
彼が「誰それ?」とは聞けず記憶を辿ってみると、最近ヤンチャをして停学になったクラスメイトの苗字だと思い出した。
「知らなかったのね」
静香は口元に人差し指の第二関節を当てて驚いた。
「彼女がとある化身配信者のファンなのは知ってるわよね?」
「はい。それでクラスで揉めごとを起こして、停学になりましたし」
楽人は神妙な顔で頷いた。
テスト期間中だから遅刻者も欠席者も居なかったので、クラスメイト全員が目撃していた。
「ええ、その通りよ。彼女は停学になった後も、ネットで散々暴れていたの」
(まあ、あの性格だからなぁ…。素直に反省してると言われた方が驚く)
学校はよく社会の縮図とは言われるが、同一人物がクラスの惨劇をより大規模で実践することは珍しい。
「それで先日、アバターの【リアライザー】と同居しているファンの家に行って、ドアを蹴ったり罵声を怒鳴り散らしたりして……逮捕されたそうよ」
「マジ…かよ……」
楽人は目上の人への丁寧語を忘れるほどショックを受けた。
「マジもマジ、大マジよ。近所の人が通報して、警察が来たら逃げ出したそうだけど、日本の警察は優秀だからねえ…」
静香の口調も釣られて軽くなる。
警察の有能さも、経験者が語ると重みが違った。
「うわああぁぁぁ……ドン引きですよ。ドア蹴って怒鳴り散らすって完全に反社じゃないですか」
静香の言葉だけでは器物破損に至ったかは不明だったが、住居への押しかけは迷惑防止条例違反、脅迫は当然脅迫罪なので普通に犯罪者である。
仮に相手が庇って見逃されたとしても、近隣住民や警察からは危険人物指定され、擁護するような人間も身内か同類と見做される。
「…私、間違ってたのかな?」
静香が視線を落として呟いた。
「…あの人だってそうだったし…」
彼女の視線がユントロを追う。
ダンッ
「間違ってなんていませんよ!」
楽人は思わずテーブルに手を突いて、身を乗り出した。
「先生は生徒たちにユントロと触れ合う場を提供しているし、ブログでも反対する人とも言葉を交わそうとしている。思い通りにならないからって無法行為に走るあいつらとは違います! 例え誰が文句を言っても俺は先生の味方ですっ!!」
――それは同情。
数を誇る者。
声の大きい者。
尊重を騙る者。
その正体を知る彼は、その犠牲になる者が居ることが悲しかった。
静香の反応が無い。
楽人がそれに気付いた時、彼女の顔が目と鼻の先にあった。
手の平よりも短い距離。
二人の視線が絡み合う。
「「………」」
とんっ
楽人の後頭部に何かが当たった。
その勢いで前のめりになってバランスを崩し、目と鼻の先にあった静香と唇が重なった。
「「☆=※♂→♀#>£♪&!?」」
ばたっ
そのまま楽人と静香は折り重なるように倒れ込んだ。
倒れ込んだ拍子に唇は離れて、静香は仰向けに倒れた。
楽人は咄嗟に床に手を突き、片膝は彼女の太腿の外側に、もう片膝は彼女の太腿の間にスカートを巻き込んで立て、間近から彼女を見下ろす。
顔は先程より離れたけれど、腕の力を抜けば一瞬で触れてしまうような距離。
「「………」」
ドクンッ、ドクンッ
二人は自分の心臓の音が自棄に大きく聞こえた。
静香の瞳は何かを期待するように潤み、楽人は…。
「ウユーンっ」
「「?!」」
ユントロの泣き声で、彼らは我に返った。
「す、済みません。大丈夫ですか?」
「え、え、ええ、私は大丈夫よ。須磨君こそ大丈夫?」
「はははい、大丈夫です。直ぐ退けますね」
楽人は慌てて静香の上から離れ、少し離れた場所に正座をする。
静香も身を起こして、若干乱れた服を正すと、暫く俯いたまま何かを呟いていた後、顔を上げた。
「しゅ、しゅ磨君!」
「ひゃい!」
動揺していたので、二人とも噛んでしまった。
「「…ぷっ」」
お互いの顔を見て、同時に噴出してしまう。
二人は一頻り笑った後、静香から切り出した。
「今日のことは二人だけの秘密よ。いいわね?」
そう言って唇に人差し指を当てると、また彼女の顔が赤くなった。
他人に言えるはずが無い。
教師と生徒の私的な接触は、直接・電話・メール・SNSなどを問わず、法律には触れなくても教師の服務規定には抵触する。
その服務規定にしても、特殊な事情は免除されるので、秘匿性から相談相手の居ない【リアライザー】絡みは温情の範囲と言えるが、態々言い触らす内容では無かった。
「はい。先生が学校に居られなくなったら、皆が悲しみますしね」
楽人は眼鏡オタクとオタク同好会、ユントロの行列で見かけた生徒たち、ユントロのことを話していたクラスメイトたちの顔を思い浮かべた。
彼らは皆、ユントロとの触れ合いで喜びを分かち合っていた。
静香を直接気にする生徒は少なくても、大多数の生徒がユントロを通して間接的に彼女の退職を惜しむことは、想像に難くない。
「須磨君もかしら?」
静香が上目遣いで見つめると、楽人は内心の僅かな動揺を「気のせい」と無視した。
「勿論です」
「そう…」
楽人は静香が嬉しそうにはにかんだ気がした。
(あの瞬間、先生が目を閉じようとしたなんて気のせいだ。俺は最近、無意識に自惚れているみたいだ…)
彼は最近のことを思い返して見ると、思い当たる節があった。
先生のことが心配で飛び出して警察を脅して助けたり、近所の迷子を心配して本物のヒーローと一緒に銃を持った連中を半殺しにしたり、テスト期間中にバイトとは言え初のライブに浮かれて午前様になったり…。
(…ヤバい! 最近の俺、調子に乗り過ぎ?!)
彼は自重しようと自分を戒めたが、その決意がいつまで持つかは自分でも自信が無かった…。
家族なら教師と生徒でも電話とか禁止されませんが、学校では余り接触しません。
ラノベでもあるまいし当たり前ですよね(火種)




