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登校拒否は許されない

 ぷにっ


 サーニャの細い人差し指に押されて、安らかに眠る楽人の鼻が下を向く。


「むにゃむにゃ……」


 しかし、押された当人は眠りから覚めない。


 ぷにっ


 今度は鼻が上向きに押される。


「んん~……」


 まだ起きない。


 ぷにぷにっ


 今度は左右から、鼻の穴が潰される。


「……んはっ?!」


 楽人が息苦しさを感じて目を覚ますと、目の前には彼に跨ったサーニャの顔があった。


「あっ、起きた」


 その声に、楽人は既視感のようなものを感じた。

 彼は昨晩、サーニャが夢のように消えてしまうのが怖くて、電気を点けられなかった。

 しかし、今はもう朝。

 カーテン越しに差し込む陽光の下、彼は初めて、彼女の顔をハッキリと見た。


 その顔は夢にまで見た推しの顔。

 只、“ミレニアム戦記”(げんさく)のCGとは微妙に違う。

 それは現実とフィクションとの違い。

 それでも、誰が見てもサーニャ・アンティノーマ本人であることに、見間違えようは無かった。


「……おはよう、サーニャ」

「うん。おはよう、ガクト」


 挨拶を返す笑顔もサーニャそのもの。

 楽人は今の状況に、余り驚いていなかった。

 それもそのはず。

 この状況は“ミレニアム戦記”に於ける、サーニャの個別イベントそのもの。

 ファンなら夢に見て当然のシチュエーション故に、寝起きの頭では驚きも小さかった。


「夢じゃなくて本当に良かった」


 楽人は昨日のことを思い出した。

 彼は昨日の昼間、学校で推し(サーニャ)のガチャを爆死して人生を儚んだ。

 家に帰っても、夕食を食べても、風呂に入っても立ち直れなくて早寝した。

 そして夜中に目が覚めたらサーニャが居て……。


「ん? な~に、ガクト?」


 サーニャが小首を傾げる。


(俺はサーニャ本人から、彼女を世界一思ってると言われたんだ。ガチャの爆死、何するものぞ。俺には本物のサーニャが居る!)


 勝ち組である。

 楽人にはもう、人生を儚む理由が無かった。


 くぅ~……


 可愛らしい音が鳴った。

 楽人が聞き覚えの無い音の出所を目で追うと、サーニャのお腹に行き当たった。


「待ってて。下から何か持って……!」


 楽人は上体を起こしながら、そう言い掛けて、あること(・・・・)に気付いた。

 お腹が減ると言うことは即ち…、


「もしかしてトイレもする?」

「……ガ・ク・ト?」


 サーニャが今までで一番の笑顔を見せた。


「わたしだって女の子だよ?」


 圧が強い。


「俺が悪かった」

「うん、よろしい♪」


 楽人が素直に謝ると、サーニャにあっさり許された。


(学校に行ってる間は部屋に隠れててもらうつもりだったけど……)


 楽人は家の構造を思い浮かべた。

 須磨家は二階建ての一軒家。

 彼の部屋がある二階にはトイレが無い。

 サーニャが専業主婦の母親に見つからずトイレに行ける姿は想像できなかった。


 《アイドルはトイレに行かない》


(この言葉、残念ながらサーニャには適用されないんだな。

 生身なんだから当然か。

 でもそうなると、うちに居る限りサーニャを隠し通すのは無理だ。

 友達の家とかも無理。

 何が無理って、豆腐より脆い俺のメンタルが耐えられない。

 それに金も無いから、サーニャのために部屋を借りたり食事を買ったりする余裕も無い。

 甲斐性なら昨日、ガチャで全部使い果たした!

 となると最終手段……)


「静かに待っててくれ。交渉して来る」

「わかった。いってらっしゃ~い♪」


 サーニャに笑顔で見送られ、楽人は戦地へと旅立った。



 * * *



 楽人がダイニングに入ると、両親が四人掛けのテーブルで食事中だった。

 父親の名は舞人。

 楽人の将来を思わせる平凡な容姿の中年男性。

 彼はタブレットでニュースを見ながら、食後のコーヒーを飲んでいた。

 母親の名は真理。

 楽人の姉と言った方が納得される若々しい中年女性。

 舞人が世間から羨まれるくらいには美人で、胸もサーニャほどでは無いが大きい。


「おはよう」

「おはよう、楽人。早く食べてしまいなさい」


 楽人が挨拶をすると、母親は茶碗に御飯をよそって彼の席に置いた。


「ありがとう母さん。……いただきます」


 楽人は席に着いて、朝食を食べ始めた。

 彼は一人っ子なので、来客でも無ければ席は埋まらない。


「母さん、もし俺に彼女が出来たらどうする?」


 楽人は頃合いを見計らって、世間話を装って母親に探りを入れた。


「何っ?! 彼女が出来たのか!?」


 母親より早く、父親がタブレットから顔を上げて反応した。


「あ、うん」

「どんな娘だ? 同級生か? 年上か? 年下か?」

「……お父さん?」


 母親の冷ややかな声を受けて、父親が口を閉じて視線を逸らした。


「それで、どんな子なの?」

「いい子だよ。ちょっと変わってるけど真面目だし、頭も良いし……」


 楽人はゲームの設定の中から、当たり障りの無い部分だけ選んで答えた。


「それは会ってみたいわねえ」

「! じゃあ、ちょっと待ってて!」


 母親が好感触と見るや否や、楽人は箸を置いて、食堂を飛び出して行った。


「食事中に席を立つ時は……」


 その背中へ母親の注意が飛んだが、彼の耳には届いていなかった……。



 * * *



「サーニャ、着替えて!」


 楽人は部屋に戻るなり、サーニャを急かした。

 彼の第一声はそれだったが、彼女は驚きもせず、愛らしく小首を傾げた。


「着替え持って無いよ?」


 それは予想して然るべきことだった。

 サーニャの持ち物は、ベッドの脇に転がっている、彼女のトレードマークとも言える杖が一つだけ。


 彼女の着ている衣装は、露出度と可憐さを両立されたデザイン。

 ソシャゲのキャラクターにしては露出度が低く、身体のラインも余り出ていないが、それでも普通からは程遠い。

 アイドルだって、街角で舞台衣装を着ていたら、痛い子扱いされるのが世の常。

 少なくとも、両親に恋人を紹介するような服装では無かった。


 スパンッ


 楽人は勢い良く押し入れを開けた。

 押し入れの上段には上着類、下段には衣装ケースが収まっている。

 彼は衣装ケースの奥から、彼には小さくて着れなくなった、サーニャには十分な大きさの服を纏めて取り出した。


「好きなの適当に着て」

「うわぁ、いっぱいある……ガクトってお金持ちなんだ」


 サーニャは中世風ファンタジーである“ミレニアム戦記”の感覚だったので、楽人が個人で数十着の衣類を持っていることに驚いた。


 ふんす、ふんす


「ガクトの匂いがする……」


 サーニャが服に鼻を当てて匂いを嗅いだ。

 好きな女の子が自分の服の匂いを嗅ぐ姿に、楽人は得も知れぬ感覚に襲われた。


「匂いは後で好きなだけ嗅いで良いから、今は着替えてくれ」

「は~い」


 サーニャは素直に返事をして、服を選んで着替えた。

 《二次元の普通は三次元の異常》とは良く言ったもの。

 彼女の胸は、“ミレニアム戦記”の中では少し大きい程度だったが、男物の服を着ると、その大きさが際立った。

 一言で例えるなら小玉メロン。

 その大きさと形は、人間では整形手術無しには成しえない美しさを誇っていた。


「これから父さんと母さんに会わせるけど、変なことは言わないようにな」

「!? それってプロポーz……」


 サーニャが目を輝かせて見開いた。


「その前段階。下手なこと言ったら駄目だぞ。“ミレニアム戦記”の世界のこととか、【思い(エナジー)】のこととか」

「わかった! わたしお父様とお母様に認めてもらえるように頑張る!」


 サーニャはその豊かな胸元で可愛い握り拳を作って気合を入れた。

 楽人はその姿に一抹の不安を覚えたが、それを無視して、彼女の手を取ってダイニングへ向かった。



 * * *



「父さん、母さん、紹介するよ。俺の彼女のサーニャだ」


 楽人がサーニャを紹介すると、父親と母親はサーニャを見て固まった。


「サーニャです。ガクトにはよくしてもらっています」


 サーニャは畏まって自己紹介をして、頭を下げた。

 母親の視線がそれを追って止まる。


 ――挨拶。

 文化や宗教に因って御辞儀、握手、抱擁と形は違うが、何れも敵意が無いことを示す意味合いを持つ。

 それに対して、多種多様な種族が登場する“ミレニアム戦記”に於いて、握手や抱擁は敵意が無いことの証明にならない。

 そのため、一般的な挨拶としては御辞儀が主流である。


「中々個性的な娘さんだな……」


 先に口火を切ったのは父親の方だった。

 母親が視線を戻して、冷静に疑問を口にした。


「髪の色が……」


(しまった! 左右で髪の色が違うのは非常識だった!)


 見慣れている者故の盲点。

 楽人は自分の失態に気付いて目を丸くした。


「まあまあ、母さん。ストレスとかで偏って白髪になることだってあるだろ」


(父さん、グッジョブ!)


 楽人は心の中でガッツポーズを取った。

 父親はサブカルチャーに寛容で、今でもゲームを嗜んでいることを隠していない。


「でもお父さん……」

「カラコンなんて今時珍しくないし、センシティブなことを気にするのは野暮ってものだぞ」

「………」


 母親の態度に、責めるようなところは無い。

 楽人は母親が厳しく追及できない理由を知っている。

 母親は今でも乙女ゲーが好きなのだ。

 楽人は父親からそれを聞いていて、両親が結婚記念日で旅行に行った時、留守番の最中に現物も確認していた。

 母親自身はバレていることに気付いていないので、バレるようなツッコミは出来なかった。


「サーニャは家庭の事情があって、俺の部屋に泊めてるんだ」


 両親の目の色が変わった。

 父親は元より、母親も批難より好奇心が顔に出た。


「サーニャちゃん、うちの楽人のことをどう思ってるのかな?」

「大好きです」

「結婚とか将来のことはどうかな?」

「お父さん?」

「結婚……できたらいいなあって思ってます。できなくてもガクトとずっと一緒に居たい」


 余りに純真なサーニャに、状況を見守る楽人の胸が篤くなった。


「よし、分かった。サーニャちゃん、好きなだけ、うちに居なさい」

「お父さん……!」

「こんないい娘なんだ。それに……お前だって分かるだろう?」


 俺には分からない、二人だけに通じる何かがあるのか、母さんも諦めて、


「うちのルールは守ってもらいますからね」


 母親の顔は言葉に反して優しい。


「ありがとうございます! お義父様! お義母様!」

「……お義父様……」

「……お義母様……」


 父親と母親の顔が緩む。

 サーニャの満面の笑顔が勝敗を決した……。


 ……と思ったのは、楽人だけだった。

 実のところ、母親は一度も何一つ批難していない。

 全ては未成年に見えるサーニャのことを本当に考えての判断。

 無論、サーニャが楽人の古着を着ていることも直ぐに気付いていた。

 父親もそれに敢えて乗せられた。

 ……こちらは楽人の古着には気付いていなかったが。

 楽人はまだまだ、二人の子供だった。



 * * *



 その後、楽人はサーニャに変なことを言わないように念を押し、登校しようと家を出たその場で固まった。


「なんじゃこりゃ?!」


 通りには、人外の姿が溢れていた。

イッツ、ニューワールド!

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