夢で逢えたら
「サーニャ?」
楽人は掛布団の上から馬乗りになっている美少女の名前を呼んだ。
「うん、サーニャだよ」
彼のよく知っている声だった。
話し方も、アクセントも、非の打ち所が無く完璧。
まだその姿は、一瞬しか見えていないけれど、彼にはそれで充分だった。
外見も彼の見慣れたキービジュアルそのもの。
頭の真ん中から右が白髪、左が黒髪に綺麗に分かれたツインテール。
彼女の名前の由来、アレキサンドライトのように綺麗な、緑色の右目と赤色の左目。
手に収まらない大きな胸の谷間は深く、肩や胸元の開いている、露出度と可愛さを両立した衣装は可憐。
首のチョーカーには魔族のトレードマークである天の逆さ十字。
背中には小さな蝙蝠の羽がパタパタと動いていて、どこから生えているのか、細い悪魔のような尻尾もゆらゆらと揺れている。
……当然、新衣装では無い。
「……夢?」
楽人は手を伸ばそうと身動ぎをしたが、サーニャの膝が乗っていて動かない。
彼女がそれに気付いて膝を少し立てると、彼はその隙間から手を抜いて、彼女の方に伸ばした。
「にぎにぎ?」
サーニャは嬉しそうに、その手を両手で包み込んだ。
仄かな甘い香りが漂って、楽人の鼻孔を擽る。
その温かい感触と香りが、彼にこれが夢では無いと教えてくれた。
彼には、ゲームキャラである彼女の匂いに覚えは無い。
「でも何で……?」
推しキャラが自分に跨って手を握っている。
その非現実的な状況に、楽人は嬉しさよりも、理解が追い付かなかった。
「じゃあ、説明するね。……んー、あー、あー、こほんっ」
サーニャは発生練習をした。
それは彼女が何かを改まって発表する時の癖だった。
「おめでとう、ガクト。ガクトは当選したんだよ」
「当選?」
楽人は首を傾げた。
彼はサーニャに関するプレゼント企画は全て応募していたが、最近は身に覚えが全く無かった。
“ミレニアム戦記”のサービス開始当初ならまだしも、彼女の人気の無くなった昨今、新たなプレゼント企画には採用されなくなって久しい。
「わたしたちは、《世界で一番思ってくれる人の前に現れる》の」
楽人の胸が篤くなった。
サーニャを一番思っている。
彼はゲーム仲間からも常々言われているが、本人から言われた方が、何万倍も彼の胸を篤くした。
「《今この時、世界中で起きている》んだよ」
サーニャの続く言葉を聞いて、楽人は腑に落ちた。
(……俺だけじゃない)
彼だけが選ばれた訳では無い。
彼が不思議な力に目覚めて、彼女を生み出した訳でも無い。
その事実が、逆に彼に現実を受け入れさせた。
「ここまでの説明は決められてるの」
「誰に?」
「わからない」
「おいおい……それなら何なら分かるんだ?」
「んーとね……」
サーニャは楽人の手を離して、唇に人差し指を当てて、首を右に左に傾げながら考え出した。
それを見て彼は思い出した。
(そう言えば彼女は……)
「何が知りたい?」
彼女は考えても答えが出ない性格だった。
* * *
「じゃあ質問」
「いいよ、何でも聞いて♪」
サーニャは元気の良い返事をしたが、楽人は既に、彼女の返答を余り期待していなかった。
世界一彼女を思っている彼は、世界一彼女を理解していた。
楽人は質問を考えながら、自由になった手を枕元に伸ばし掛けて止まった。
彼は少し躊躇った後、その手を腰の横――今度はサーニャの膝の横に降ろした。
サーニャの視線はずっと彼の顔を見ている。
(夢なら覚めないで欲しい)
それは誰もが思う、切なる願い。
枕元のスイッチで部屋の明かりを点けることも、スマホで彼女の写真を撮ることも、それどころかスマホのレンズ越しに見ることさえ、夢から目覚める切っ掛けとしては十分なもの。
楽人は暗闇で見えないサーニャの視線を感じ、真っ先に浮かんだ疑問を口にした。
「何で俺の名前を知ってるんだ?」
そう、サーニャは最初から楽人のことを「ガクト」と呼んでいた。
それは“ミレニアム戦記”で、彼が主人公に設定した名前では無い。
「生まれた時には、もうガクトの名前と顔を知ってたよ」
(睡眠学習みたいなものだろうか?)
楽人は悪い意味で取られることを危惧して、それを言葉にしないで、その代わりに今湧いた別の疑問を口にした。
「……ってことは、最初からその姿なんだ?」
「そうだよ♪」
サーニャは嬉しそうに答え、楽人に次の質問を期待した眼差しを向けた。
「その羽でどれくらい飛べるんだ?」
「う~んしょ、う~んしょ……」
サーニャは豊かな胸元で小さい握り拳を作って、必死に羽をパタパタとさせる。
(かわいい)
楽人にはサーニャの顔も殆ど見えなかったけれど、その愛らしい仕草と頑張る声に感動した。
「……飛べない」
サーニャは無念そうに呟いた。
「尻尾は?」
楽人がサーニャの尻尾を指差す。
彼女は尻尾をその手に絡みつかせて引っ張った。
しかし、尻尾は見た目通り赤子にも劣る非力さで、彼の手は微動だにしない。
見兼ねた彼が、自力で起き上がろうとすると、彼女は素直に腰を浮かし、少し後ろ――彼の太ももの上――に下がって座り直した。
潰れていたお尻が一度元の形に戻り、再び押し潰される。
(……柔らかい)
楽人は改めてその柔らかさを認識した。
掛布団越しなので体温までは伝わって来ない。
ぶんぶんっ
彼は小さくを首を振り、両手を広げてサーニャに向けた。
「力比べをしよう」
サーニャが嬉しそうに手をワキワキさせる。
「いきなり全力じゃないぞ? 少しずつだぞ?」
楽人は慌てて念を押した。
もし彼の予想が悪い方に当たっていた場合、彼女が全力を出したら、彼の手はミンチより酷いことになる。
「わかった♪」
サーニャは全然安心できない返事をして、楽人の手を握り返した。
にぎっ
(……柔らかい)
その手は柔らかかった。
両手で包まれた時や、掛布団越しの太ももよりも体温が伝わり、楽人の脳髄を揺さぶった。
「う~ん、う~ん……」
楽人が感慨に耽っている間も、サーニャは手に力を込め続けた。
しかし、唸るばかりで全然力が入っていない。
彼は唸り声で初めて、力比べをしていたことを思い出した。
「もう少し力を入れても大丈夫だぞ」
「ごめん、ガクト。これが限界」
「マジか……」
サーニャは見た目通り、普通の女の子の握力しか無かった。
(考えてみれば当たり前か、フィクション何て大半が馬鹿力だもんなぁ……)
楽人は竜の珠を集める、世界的人気漫画を思い出した。
その登場人物は、素手で大地を割るくらいは当たり前、何なら月や地球を一撃で真っ二つに割れるキャラも少なくない。
もし、そんなキャラが再現されたらどうなるか。
うっかりや気紛れで、あっという間に地球が宇宙の藻屑と化すことは、想像に難く無かった。
無論、それ以前の問題として、そんなものが物理的に存在できないことは、子供にも分かる現実。
世紀末に看護婦が小惑星を叩き落として地球を救ったなんてネット動画もあるが、そんなものは都市伝説の類、最新のCG技術を使ったお遊びである。
「魔法も使えないのか?」
楽人は“ミレニアム戦記”の設定を思い出して呟いた。
ゲームに於けるサーニャは魔族であり、魔法を得意とするキャラだった。
「やってみるね」
「あっ……」
《命よ走れ……、星よ燃えよ……》
止める間も無く、サーニャは魔法の詠唱を始めた。
しかも、それは彼女の最強の攻撃魔法、《デッドエンド・インフェルノ》だった。
“ミレニアム戦記”のインフレが進んだ今、魔力消費や詠唱時間では後発の魔法キャラに大きく劣るが、これの破壊力だけは未だゲーム中トップクラス。
彼女の新衣装が全く実装されなくても、運営に見捨てられた訳では無いと信じられる、一番の理由だった。
《……全ての辿り着く先に……、覆滅の業火が降り注がん…………》
「不味いっ!」
楽人はサーニャの両肩を掴み、彼女と上下が入れ替わるように、ベッドに押し倒して覆い被さった。
ついでに掛布団も被った。
それでも彼女の詠唱は止まらず、間も無く詠唱が完成した。
《でっどえんど……いんっ、ふぇるの~~~っ!!》
そして、気の抜けるような掛け声が、部屋中に響き渡った。
彼女は巫山戯ている訳では無く、至って大真面目だった。
“ミレニアム戦記”プレイヤーの間で、この独特のアクセントが彼女の魔法が最強である理由だと、実しやかに囁かれるくらいには……。
「………」
「………」
楽人は夢に見る程聞き慣れた掛け声から、その魔法の効果を思い出した。
――デッドエンド・インフェルノ。
数多のゲームで最強クラスに挙げられる、隕石を落とす魔法。
星々の世界から隕石を召喚して地上に落とし、辺り一面を衝撃と業火で破壊し尽くす。
隕石召喚の例に漏れず、詠唱から発動まで時間差があることも、ゲーム中でサーニャの使い勝手が悪いことに一躍買っている。
「………」
「………」
サーニャが楽人を見上げる。
上を警戒していた彼が、視線を感じて見下ろすと視線が絡み合った。
夜闇の布団の中、お互いに届く吐息だけが、お互いに見えない顔が近いことを実感させた。
彼女の唇が動く。
規則正しい吐息が乱れ、彼は引き寄せられるように顔を近付けて行き……、
「……ごめん」
サーニャが唐突に謝り、楽人はショックで泣き出しそうになった。
「魔法失敗した」
「……あっ」
楽人は自分の勘違いに気付いて恥ずかしくなり、顔を隠しながらサーニャの上から避けた。
被っていた掛布団が、彼の背後に落ちていく。
不思議そうな顔を向ける彼女に、彼は涙を拭いて笑顔を見せた。
「いいよいいよ。魔法が使えないのは予想できてたしね」
現実に魔法なんてものは存在しない。
小さな羽で空を飛べず、腕力も見た目通りなのに、魔法だけが使える道理は無い。
「痛いの?」
サーニャが起き上がって、楽人を心配する。
その純真な気遣いが眩しかった楽人は、誤魔化すように少し早口で新しい質問を口にした。
「大丈夫。それよりゲームの知識なんだけど……」
サーニャは人間より長寿な魔族だけあって、その緩い性格に反して博識なキャラ付けをされている。
しかし、楽人が色々と確認をしてみると、彼女は意外なほど何も知らなかった。
ゲーム中で彼女が関わったキャラや話していた内容、ゲーム中で誰でも知っている常識とされていた知識は知っている。
しかし、その細かい理屈や理論は、全くと言って良いほど知らない。
何なら楽人の方が、“ミレニアム戦記”世界の知識について詳しく、博識だと感動されたほどだった。
「サーニャの御両親の名前は?」
「う~ん……わかんない。パパはパパだし、ママはママとしか呼んで無いよ」
特に顕著なのは、家族の名前すら知らなかったこと。
原作で設定されていない知識を持っていないことは明らかだった。
「異世界の知識で無双って訳にはいかないのか」
「?」
サーニャが愛らしく小首を傾げた。
(まあ俺も、異世界転生ラノベを一般常識扱いされたら、自分の常識を疑うけど……)
「『わたしたち』って言ってたけど、他に誰が居るか分かるか?」
「う~ん…、…誰って?」
「例えば……」
楽人はサーニャの妹を含む、“ミレニアム戦記”の主要人物の名前や、有名な漫画やアニメ、ゲームのキャラクターの名前を挙げてみた。
「多分だけど、居ると思うよ。でも【思い】が足りないと生まれない? ……うん、生まれない」
「【思い】ってどれくらい必要なんだ? 俺くらいか?」
楽人は適当に肩幅に両手を広げて見せた。
「え~っと……全員?」
「全員」
「うん。人類全ての思いの合計? ……合計が一定を超えてると生まれる……みたいな感じ?」
サーニャの言葉は要領を得なかった。
原作の彼女を知っている楽人は、それが知識では無く推測だと気付き、信憑性を心のゴミ箱に投げ捨てた。
「わからないのか」
「何となく。でもわたしへの感情はわかるよ。ガクトは6000万くらいかな?」
サーニャが思い切り両手を広げてみせた。
(取り合えず相当多いってことか)
その数字は少なくとも、楽人の課金額やガチャの回数では無かった。
「もしかして、【思い】が溜まればこれからも生まれて来るのか?」
「ううん。今回だけ♪」
サーニャは考えなくても良い返事を嬉しそうに答えた。
(そう考えると今日だったのは幸運としか言いようがないな。これが一か月後とかだったら、爆死のショックでサーニャへの気持ちが薄れてたかもしれない……)
「……ねぇ、ガクト?」
楽人が小さな幸運に感謝していると、サーニャが物言いたげに話し掛けた。
「ん?」
「あふ……おやすみ…………」
サーニャは小さな欠伸をすると、楽人の方に倒れ込む。
彼は彼女の柔らかさを全身で受け止める形になってしまい、心臓が跳ね上がった。
「……サーニャ?」
「スー……スー…………」
楽人が恐る恐る声を掛けると、安らかな寝息が返って来た。
「設定通りなら早寝早起きだもんなぁ……」
楽人は溜め息を漏らして頬を緩めた。
今は深夜。
大の大人でも、大半が翌日に備えて眠りに就いている時間。
彼は耳元でサーニャの寝息を聞いていると、自分も段々と眠くなってくるのを感じた。
「続きは明日でいいか」
楽人はもう、これが夢だと疑っていなかった。
彼はサーニャを起こさないように、そっとベッドに寝かせて掛布団を掛けた。
暗くて見えるはずの無い、ゲームで見たことも無い彼女の無防備な寝顔が、彼は見えた気がした。
楽人はベッドから降りた。
手探りで見つけたクッションを頭の下に敷いて、絨毯の上で横になる。
「今日は本当に色々あったなあ……」
最後にもう一言だけ呟いて目を閉じると、彼もまた直ぐに、深い眠りへと落ちて行くのだった……。
お休みなさい。
次は明日の予定です。




