インディーズバンド:男の歌姫
楽人は家に電話をして帰りが遅くなると伝えた。
彼は警戒心が強いので、人前でサーニャのスマホに電話をすることは無い。
サーニャはバイトが深夜までと聞いて心配をしたけれど、母親はあっさりと許可を出した。
普段真面目に勉強をして塾に通っていることが大きい。
「成績が落ちたら小遣いを減らす」と脅されはしたが、合計点の話だったので楽人は安心して、手塚にバイトへ行く旨を伝えた。
その後、彼は一度家へ帰り、夕方まで勉強をしてから、手塚と待ち合わせの駅前へと向かった。
* * *
街の中心部、駅からは微妙に離れた場所にある歓楽街。
歓楽街とは言っても、一地方都市の中にある歓楽街なので、その規模は小さかった。
多くの店は公序良俗に配慮して、駅の表通りから続く道には入口が無く、子供が間違って近付かないように配慮されていた。
楽人が駅前で手塚と合流して連れられて行ったのは、そんな歓楽街の表通り。
少し入り組んだ通りを抜け、ごく普通のビルの大きな入り口の横に小さな入口がもう一つ。
そこに入り、天井の低い階段を地下へと降りていくと、大方のイメージ通りのライブハウスがあった。
ステージには段差があり、奥の客もステージを見易くなっていて、最前列に近いとステージを見上げる形だが、ある程度後列になると見下ろす形になる。
「思ったより広いな。このスペースが埋まるのか」
「ここのキャパは三百人だけどな」
好きなバンドなんだろうか、手塚が少し悔しそうに答えたことが、楽人は気になった。
「…なあ、聞かない方が良いか?」
「そうしてく…」
「――構わないさ」
手塚の答えを遮った声の主が、ステージの奥から歩いて来た。
三十歳くらいの背の高い男で、無地のTシャツを着て、ダメージの無いデニムを穿き、ブラウン系の丸いサングラスを付け、癖の付いた髪はやや斜め上を向いていた。
「なるほど」
「おいおい、一体何に納得したんだ?」
楽人の呟きに、気のいい男は楽しそうに笑って尋ねた。
「あ、済みません。友人がライブでバイトする理由に納得したんです」
「はははは。こいつ、やっぱり学校でも眼鏡好きなのか?」
「“眼鏡オタク”の名を欲しいままにしています」
「そりゃあいい!」
男も膝を打って同意した。
手塚が恨めしそうな目で見たが、彼らは無視をした。
「ああ、自己紹介がまだだったな。俺は鍍金ヴァジュラ。このバンド、“ファイアーライザー”のボーカル兼ギターを担当している」
「あっ、俺は須磨楽人です。よろしくお願いします」
ヴァジュラが自己紹介をして右手を差し出したので、楽人も慌てて自己紹介をしてその手を握り返した。
「今日はよろしく頼むぞ、少年!」
ヴァジュラは左手で楽人の肩をパンパンと叩いた後、握手をしている右手を離した。
「はい。こちらこそ宜しくお願いします」
「困ったら手塚に聞け」
「わかりました」
「それじゃあ俺は打ち合わせがあるから、これで」
振り返って軽く手を上げて去っていく姿は、様になっていた。
「信頼されてるんだな、お前」
「はんっ。当たり前だろ。何年もやってんだから」
手塚は「当然だ」と言う割りには嬉しそうに口角を上げた。
楽人にも何となくその気持ちは分かった。
尊敬する年長者に褒められて、嬉しくない人間は居ない。
手塚にとってのそれがヴァジュラであり、楽人にとってのそれは父親だった。
「未成年がか?」
「あー、あー。聞こえなーい、聞こえなーい」
未成年が何年も前から深夜のバイトをしていることを突っ込まれると、手塚は両手で耳を塞いで首を振った。
楽人たちは一頻りじゃれ合った後、仕事に取り掛かった。
* * *
ライブ会場の仕事は多岐に渡る。
持ち込んだ機材の設置、印刷物や物販の準備、リハーサル等々。
持ち込み以外にも、ライブハウス据え付けの設備も、ただ使うだけと言う訳にはいかない。
照明は数が多く、事前の色味や角度の調整は元より、ライブ中にも演奏に合わせて変更することも少なくない。
また、音響装置の方も、客へ音楽を効果的に届けるための調整は必須で、気温や空調の調整にも影響され、装置の機能に頼り切ることは出来なかった。
そんな専門家たちの仕事場で、初心者の楽人に出来ることは少ない。
彼は熟練バイト戦士の指示に従って、一つ一つ慎重に熟した。
「やってみて分かる現場の大変さ」
「なんだそりゃ?」
「お前を見直したってことだよ」
「素直に受け取って置く」
「そうしてくれ」
手塚は楽人と準備を進めながら、このインディーズバンドについて話した。
それに依ると、このバンドはそこそこ人気があり、当初はメジャーデビューも期待されていた。
しかし、昨今のネットアイドルブームが向かい風となり、今は厳しい時期なのだと言う。
ネットで手軽にライブを楽しめるこのご時世、態々ライブハウスへ足を運ぶと言うのは敷居が高い。
その辺は、ネットの動画配信によって、映画館に閑古鳥が鳴くようになったのと同じである。
先程の男、鍍金ヴァジュラはバンドのリーダーだった。
何でも、昔一世を風靡した、歌で宇宙を救うアニメシリーズ唯一の男の歌姫に憧れて、あの格好をしているらしい。
「男の歌姫とは一体……」
「一応言っておくと、男の娘ではなくてガチの男だぞ。ほれ」
手塚が楽人に見せたスマホには、ボーカルとそっくりなイケメンのアニメキャラが紹介されていた。
違いと言えばボーカルの方が年上で、アニメキャラの方がイケメンで愛想が悪いことくらいか。
「ほんと、そっくりだな」
「ファンなら当然だろ」
「俺には真似できないな」
「お前がしたら絶交するぞ」
楽人が好きなのは“ミレニアム戦記”のサーニャだけ。
手塚は、露出度の高いサーニャの原作衣装を着ている楽人を想像しかけて、本気で嫌そうな顔をした。
モーホー回ではありません




