ショタコン事変
木曜日の放課後。
楽人は授業が終わると、塾が無いので真っ直ぐ家路に着いた。
いつもの通学路を下校し、二日ぶりに夕方の公園を覗くと、一昨日見かけた男の子たちの姿は無かった。
「今日はもう帰ったのかな?」
もう夏が近いとは言え、既に午後の四時を回っている。
彼の下校時に、誰も見かけないことは珍しく無かった。
今も公園には誰一人居らず、砂場に転がっている砂遊び用の小さなスコップやバケツも、いつからそこにあるのか分からなかった。
楽人は深く考えず、公園を後にした。
* * *
夕方。
楽人とサーニャはリビングでソファーに座り、夕食が出来るのを待ちながら、お互いに今日あったことを語り合っていた。
ジリリリリーンッ
リビングの置き電話が鳴った。
呼び出し音が昔のアナログ電話に似ているのは、サーニャが設定を変えたからだった。
昨日は「ピンポンパンポーン」と鳴り、その前は「ピコピコッ」と鳴っていた。
「こんな時間に珍しいな」
夕食には少し早い、一般家庭なら買い物帰りか料理中の時間。
少し気が利けば電話を避け、急ぎなら個人のスマホに直接電話ような時間帯だった。
「出ますね」
サーニャがソファーから立ち上がって電話に出た。
「はい、須磨です♪」
サーニャが嬉しそうに、楽人の苗字を名乗る。
人前に出られない彼女のために、母親が電話の出方を教えて以来、彼女は家の電話に率先して出ている。
それは彼女のためであると同時に、【リアライザー】が世間に認められた時に、サーニャが家の子だという既成事実を作る意味合いもあった。
「あ、宇津木の奥様。お久しぶりです~」
既に一人息子の楽人より馴染んでいた。
「お義母様ですね? 今代わります……お義母様~、宇津木さんからお電話です~」
サーニャは受話器の通話口に手を当てて母親を呼んだ。
保留ボタンを押さなかったのは、直ぐに電話を代わるという彼女の意思表示。
楽人はそれを見て、母親への対抗心に火が付くのを感じた。
「はいはい、今出ますよ~」
キッチンの火を止めて来た母親が、サーニャから受話器を受け取る。
彼女は暫く何やら話していたが、
「楽人、あんた來人くん……宇津木さんちの子知らない?」
手で受話器の通話口を塞いで、深刻そうな顔で楽人に訪ねた。
「誰?」
「公園の近くに住んでいる宇津木さん。ほら、あなたの通学路にある公園。あそこで遊ばせてて、夕方迎えに行ったら居なかったらしいの」
楽人は初めて、宇津木來人の顔と名前が一致して目を丸くした。
彼も母親から名前は聞いていたが、普通に忙しい高校生の彼に、十歳以上歳の離れた近所の子供を紹介される機会は今まで無かった。
「いや。今日も17時くらいに公園の近くを通ったけど、誰も居なかったよ」
「ありがとう楽人……宇津木さん、うちの楽人は……うん……私からも声を掛けてみるわね。それじゃあ」
母親は電話相手に楽人の言葉を伝えて電話を切った。
彼女は他のママ友にも、宇津木來人を知らないか声を掛けてみるつもりだった。
「迷子なんですか?」
「そうかしらねえ……」
サーニャが不思議そうに尋ねると、母親も半信半疑で首を傾げた。
相手はまだ未就学児とは言え、いつも遊んでいる公園。
迎えが来るのを待たずに迷子になるとは思えなかった。
「母さん、警察には連絡したんだよね」
「ええ、勿論よ。GPS付き迷子札も公園に落ちていたらしいの」
「それは気付かなかったなあ……」
迷子札は大きい物では無い。
公園に落ちていても、探そうと思うか名探偵でも無ければ、記憶に残るような代物では無かった。
(……普通に考えれば誘拐だけど……)
楽人が母親を見る。
彼女は頷くと、サーニャの追求を避けるように、キッチンへと戻って行った。
彼らは根が優しいサーニャを心配させたくなくて、その可能性を口にはしなかった。
平和な日本であっても、行方不明者は毎年万単位に上り、その大半は発見されている。
ライトの母親もそう思って警察には届け出たが、自腹で有償の人探しを雇うまでは踏み切らず、心当たりやママ友への相談に留まっている。
…しかし現実は非情である。
行方不明者の大半は発見されているが、長期の未発見と死体発見は、合わせると最低でも一割を超える。
(無事見つかって欲しいけど、まだ身代金の要求が無いなら、目的は子供自身……【リアライザー】か?)
一緒に居た【リアライザー】のついでに攫われたと言うのは、如何にもありそうな話だった。
【リアライザー】には人権が無い。
誘拐しようが、何をしようが、法に問われることは無い。
それは楽人がサーニャに対して過保護な、最大の理由でもある。
それに加えて、【リアライザー】は見目麗しい者が多い。
キャラクターによっては、熱狂的なファンも多い。
個人的な趣味にしろ、売買目的にしろ、普通の人間より狙われる理由が十分過ぎるほどにあった。
ライトの誘拐がオマケなら、身代金の要求が無いことも当然と言える。
(……もしくはショタコンか? ある意味【リアライザー】より希少そうだし)
近年、日本人口における12歳以下の割合は、1歳当たり100万人を切る。
特定の年齢のショタは、希少価値で言えば【リアライザー】全体を上回ると思われた。
(……人権の無い【リアライザー】のショタなんて、ヤバい連中の恰好の餌食じゃないか……まさかな)
彼はそんな人物に、一人心当たりがあった。
一回り年下の未就学児に、お医者さんごっこと称して悪戯をする人物に。
「母さん、昔近所に住んでたお姉さんって、今何処に住んでるか知ってる?」
「突然どうしたのよ?」
キッチンに火を入れて料理を再開していた母親は、怪訝そうな顔をした。
「急いで確認したいことができたんだ」
「はぁー……、仕方ないわねぇ」
母親は溜め息を吐くと、再びキッチンの火を落として、スカートのポケットからスマホを取り出して操作し始めた。
ピコンッ
楽人のスマホが何かを着信して鳴った。
「送ったわよ」
「サンキュー、母さん!」
楽人がスマホを見ると、SNSの連絡先共有機能に、新しい連絡先が追加されていた。
住所・氏名・電話番号が全て揃っている。
楽人はリビングを出て自分の部屋に向かいながら、その相手――愛染昇子――に電話を掛けた。
* * *
トゥルルルッ、トゥルルルッ……ガチャッ
楽人が二階の自室に到着する頃、漸く電話が繋がった。
『………』
「もしもし、愛染さんですか?」
『……誰?』
相手の反応が無かったので楽人が尋ねると、不機嫌そうな返事が返ってきた。
聞き覚えのある懐かしく可愛いらしい声に、楽人は僅かに眉を顰めた。
知らない人が聞いたら、誰もその声がアラサーとは思わないだろう。
その声には少し、機嫌の悪さが混じっていた。
(まあ、見知らぬ電話番号に機嫌よく出るのなんて、ドラマの若奥様くらいだろうな)
楽人は自分もそうなので、彼女に同情した。
「須磨です。須磨楽人。昔近所に住んでいてお世話になった……」
『……あっ、楽人ちゃん!? 久しぶりぃ♪ 声変わってて気付かなかったよ、ごめんね、最初どっかのオヤジかと思って切ろうかと思っちゃった♪』
「あっ、はい……」
昇子は相手が楽人だと気付くと、急に態度を変え、嬉しそうに一気に捲し立てた。
彼の声がオヤジ臭く聞こえたのは、彼女自身の気分の問題。
明るくなったその声は、彼の記憶にある一昔前そのままの近所のお姉さんの声だった。
『で、どうしたの? 何かあったの? お姉さんに言ってごらん?』
昇子は声変わりした楽人にも普通に話してくれたので、彼は当てが外れたかと思って落胆し掛けたが、
「宇津木さんちの子、知ってる?」
『……じゅるりっ』
彼女の舌舐めずりを聞いて固まった。
「は?」
『あ、いや何でも無いよ、何でも。それより、宇津木さんちのショ……お子さんがどうかしたの?』
(おい、待て! 前よりショタコンが酷くなってないか? それとも俺の記憶が美化されているだけなのか?!)
楽人は綺麗な過去を求めて目を閉じた。
…しかし現実は非情である。
≪今日はお医者さんごっこですよ~。お姉ちゃんがお医者さんね。楽人ちゃん、どこがわるいのかな~……げひひひひっ≫
美化された記憶の中にあって尚、愛染昇子は下卑た顔で涎を垂れ流し、卑猥な手付きで在りし日の楽人に迫っていた。
(あれ? おかしいな? 視界が滲んでよく見えないよ……っと、今はそれより……)
「ライト君が公園で遊んでいて居なくなったらしい。……まさかお姉ちゃんじゃないよね?」
無意識に懐かしい声をお姉ちゃんと呼んでしまい、楽人は手の甲で涙を拭いながら、自分が彼女に懐いていたことを実感した。
『…はぁ?』
昇子は最初のように、不機嫌そうな声を出した。
とは言ってもドスは全く利いておらず、寧ろアイドルの作り声並に可愛い。
楽人は気にせず、押し入れから上着を取って袖を通した。
『お姉ちゃんがそんなことするわけないでしょ!』
そこで終われば楽人が「ごめん」と謝って終わったのに、彼女はあろうことか持論を力説し始めた。
「ごめ……」
『ショタとは愛でるものなのよ! 誘拐するなんて邪道! 無理矢理したらショタの無垢さが台無しじゃない! 手を出すなんてショタコンの風上にも置けないわ! ショタコンならショタは見守るべきであり、慈しむべきであり、労わるべきなの。でもショタから望んだらセーフよね、だってショタが望んだんだもの、同意があれば何でも許されるべきよ。だから……』
昇子はショタに並々ならぬ思いがあるだけでなく、ショタコンとしても一家言どころでは無いものがあった。
『……楽人ちゃんもそう思うでしょ?!』
「あっ、はい……」
(……予想していたよりもヤバい人だった)
「お姉ちゃんは誰が誘拐したと思う? 何処に居るかとか分からない? 教えてよ、ショタのために!」
このままでは不味いと思った楽人は、話を逸らした。
『お姉ちゃん』に反応したのか。
それとも『ショタのため』に反応したのか。
暴走スピーカーと化していたショタコンお姉ちゃんは緊急停止した。
『………』
昇子は電話の向こうで考え込んだ。
楽人は机の脇にあるリュックの中身を確認しながら、彼女の反応を待った。
暫くして、
『私ならショタと二人っきりになりたいわね』
(いや、お姉ちゃんの趣味は聞いていない)
楽人は思わず、心の中でツッコミを入れた。
『自宅は駄目ね。防音は十分だけど、集合住宅だから暴れられたら振動でご近所にバレるわ。車内も同じ理由で駄目ね。少しくらい騒いでも平気で家族も居ない一軒家が理想ね。芝村の家はどうだったかしら……』
(おい、何か犯罪臭いことを言い始めたぞ。いや、それよりも……)
楽人は次から次へと湧いてくるツッコミを我慢して話を進めた。
「連れ込む時に誰かに見つからないかな?」
『それなら貸倉庫はどうかしら?』
「貸倉庫?」
『ええ。私も趣味の仲間とのお宝交換会でよく使ってるわ。カラオケとかレンタルルームは駄目ね。監視カメラとか誤魔化すの面倒だから』
(何でお宝交換会でカメラを誤魔化す必要があるんだ?)
楽人には想像も出来ない物を取引しているからこそ、昇子は口に出さなかった。
もし口に出していたら、彼はこの一件が終わる前に通報していただろう。
「貸倉庫でも騒いだらバレない?」
『勿論よ。車内で監禁するにしても同じ。こっそりやるなら人気が無い場所に限るわ。その辺なら湾岸の倉庫街かしら』
(参考になったけど、何でうちの近所の倉庫街にまで詳しいの? もう引越して何年も経つよね?)
世の中には変わった知識を集めたがるオタクが少なくない。
しかし、昇子がそれを知っている理由は、楽人の想像通りである。
「ありがとう、助かった!」
『どういたしまして。私の方でも探してみるわ』
「お願いします!」
ガチャッ
楽人が数多のツッコミを放棄したお陰で、話は早く終わった。
彼は礼を言って電話を切ると、電話中に準備したリュックを背負ってリビングへ戻った。
頼りになる変態




