初デート:デパート
「本当に階段が動いてます!」
月凪市有数のデパート「一誠たん」に入ると、サーニャは初めて見たエスカレーターに感動した。
ビルに入った客は次々にエレベーターを目指し、上りエスカレーターを目指す者は少ない。
「ほら、一緒に乗るぞ」
「あっ、はい!」
楽人がサーニャと手を繋いだまま、エスカレーターに足を踏み出すと、彼女も歩調を合わせて足を踏み出す。
「うわっ?!」
しかし、サーニャは足を引っ張られる感覚に驚いて、もう片足を乗せることを忘れてバランスを崩した。
ぐいっ
楽人がサーニャの手を強く引いた。
その勢いに釣られて、彼女のもう片足もエスカレーターに乗った。
彼女は勢いが付き過ぎて倒れそうになり、彼は空いている手で受け止めた。
ふわっ
彼女の襟元から、仄かな甘い香りが押し出されて、彼の鼻孔を擽った。
彼女が顔を上げて彼を見る。
「あっ、ありがとうございます、ガクト……」
「……ふっ、普通に歩く感じで乗ればいいよ」
楽人は緊張を誤魔化そうとアドバイスをしたが、少し吃ってしまった。
「はっ、はい! 次は頑張ります!」
サーニャの返事も吃った。
「「……ぷっ」」
目が合うと、二人同時に噴出してしまった。
笑っている間に、エスカレーターの終わりが見えて来る。
「……っと、もう終わりだ、降りる時も一緒だぞ」
「はいっ♪」
サーニャは元気の良い返事をして前に向き直る。
それから間も無く、
とんっ
今度はサーニャも楽人と一緒にエスカレーターから降りた。
彼は後続の邪魔にならないように、彼女の手を引いて、少し手前までエスコートした。
「楽しいですね!」
興奮したサーニャが、目をキラキラ輝かせる。
後続の両親も踊り場から離れて、彼らを見て微笑む。
「そうかそうか」
楽人は満足そうに頷くと、サーニャの後ろを指差して尋ねた。
「次に行くか?」
「はいっ♪」
サーニャは楽人の左手を握ったまま、胸元で両手を握って元気良く答える。
彼らは次なる戦場へ、足を踏み出した……。
* * *
「うわぁ~! 服がいっぱいあります……!」
サーニャが難敵、エスカレーターを下りると、視界は衣類に埋め尽くされていた。
衣類がそこら中に所狭しと並べられ、吊るされ、積み重ねられ、バッグや小物、靴売り場まで併設されている。
一流ブランドこそ多くないものの、『ここに来ればデートに着て行く物には困らない』と言われるほど、地元の若い人たちに人気の店だった。
しかし、質で売っている店だけあって、無印でも決して安くは無く、日曜日であっても未成年の姿は少ない。
楽人の衣類は、大半が母親とこの店に来て購入した物。
お洒落にあまり興味の無い彼が、サーニャとデートする服に困らないのも、母親のセンスのお陰だった。
「母さん、時間かかりそう?」
「こ~らっ! 女の子のお洒落に、そういうことを言っちゃ駄目よ」
楽人が軽い気持ちで尋ねて、母親に窘められた。
彼の脳裏に、「女の子は幾つに成ってもお姫様」という言葉が過ったけれども、彼はそれに気付かなかったことにした。
「いや、そうじゃなくて……ちょっと食べ過ぎたからトイレに行きたいんだ。待たせたら悪いし……」
「はぁー、この子と来たらこういう時に……まあいいわ。行ってらっしゃい」
母親は呆れて溜め息を吐きながら許可を出した。
父親も少し呆れたが、戦場を知っているサーニャだけは、彼らの反応に小首を傾げた。
「サンキュー、行って来る!」
「多分、試着室の近くにいるからね」
「分かった!」
楽人は母親たちに手を振ってアパレルショップを後にした。
* * *
楽人はトイレに向かう振りをして、上りエスカレーターで雑貨売り場が入っている七階へ向かった。
彼は七階に着くと、雑貨売り場の一つ、青い看板の店に入った。
――“アニメート”。
オタク御用達のサブカルショップで、漫画、ゲーム、動画媒体、グッズ、同人誌など、多様な品揃えに定評がある。
全国展開をしていて、県庁所在地や大きな都市に多い。
それが何の因果か、戦略か。
この一誠たんにも出店をしていた。
もし月凪市に“アニメート”が無かったとしても、楽人は別の日に、近隣の店へ向かっただろう。
楽人は目当ての物を求めて、グッズ売り場へ向かった。
休日だけあって、店内には学生の姿が多かったが、中にはスーツを着たサラリーマンや、初老の男女の姿もあった。
楽人の探し物は、予想した場所に無かった。
彼がそれから、グッズ売り場を隅々まで探して周っていると、
「あった」
それは、別の作品の商品と同じフックに、一つだけ掛かっていた。
発売から日にちが経っているので、正直残っているかは賭けだった。
スンッ……
彼は自分で思っていた以上に人気が無いことを理解して、落ち込んで項垂れた。
目当ての者が無くて落ち込む客は珍しくも無いため、他の客たちは彼に気付いても、そっと目を逸らして離れて行った。
……間も無く、我に返った楽人は買い物を済ませて、サーニャたちの居るアパレルショップへ戻って行った。
* * *
トイレに行ったことになっている楽人が、トイレの方向から戻ってみると、アパレルショップの入り口付近で、父親が壁に寄り掛かって待っていた。
「母さんたちは?」
「ここで楽人と待ってろとのことだ」
父親は肩を竦めて、アパレルショップを指差した。
お洒落に疎い楽人は密かに安堵し、父親の横に並んで、同じように壁に体重を預けた。
「……楽人、上手くやってるか?」
父親はアパレルショップの方を向いたまま、独り言のように呟いた。
『何を』とは言わない。
近くに誰かが居る訳でも、聞き耳を立てられる身に覚えがある訳でも無いのに。
そういうところが楽人の父親だった。
「学校でも上手くやってるよ」
楽人も言葉が足りない。
含みを持たせてすらいない。
「そうか」
父親の返事は淡泊だった。
楽人も『父さんは?』とは確認しない。
何せ彼の父親は、家では必要が無い限り仕事の話を一切しないし、零したことも無い。
家で出来ていることを、息子が生まれる前から続けている仕事で出来ないはずが無い。
だから彼は父親を信じていた。
「お前がしっかりするんだぞ」
「わかってる」
楽人は内心、今の状況に驚いていた。
何故これほど父親と通じ合えるのかを考えると、直ぐにサーニャの顔が脳裏に浮かび、自然に笑みが零れた。
父親はそれに気付いても何も言わない。
彼らは静かに、お互いの愛する人を待った……。
男親ですから




