学級、騒然
「学校は平和そうだな」
楽人は絢乃と別れてからは何事も無く、学校に到着した。
元々、数少ない友人と通学路が違うので、通学中に会うことは早々無い。
楽人は校門を潜り、校舎に入り、下駄箱でスクールバッグからシューズケースを取り出し、その中の洗い立ての上履きに履き替えて教室に向かった。
ガラッ
楽人が教室のドアを開けると、何人かのクラスメイトが彼の方を向いた。
教室は椅子が半分くらい埋まっていて、その大半は友人と話したり、鞄の中身を確認したり、スマホを弄ったりしている。
「須磨っち、おはよーっ☆」
範子は後ろに座る貴巫女との会話を中断し、座ったまま楽人に思いきり手を振った。
一房だけピンクに染めた金髪のサイドテールと、高校生離れした豊かな胸が面白いように弾む。
クラスメイトの三割くらいが、聞き覚えの無い徒名に釣られてドアの方を見た。
「ああ、おはよう範子」
楽人も挨拶を返して、自分の席に向かう。
「須磨君、おはよう」
貴巫女は楽人が近くを通ると声を掛けた。
ざわっ
クラス中が騒然となった。
貴巫女は範子と親友で茶髪、二人とも学校カースト最上位に数えられるギャル。
彼女はあまり男子と話さず、男嫌いの噂を本人も否定していない。
それが自分から楽人に挨拶をしたのだから、大事件以外の何物でも無かった。
驚いていないのは、彼らが一緒に遊んでいる姿を見たことのある5人だけ。
「おはよう、綾波さん。その様子だと課題は間に合ったようだね」
貴巫女にインターセプトされた楽人は、真っ直ぐ自分の席に座ることを諦めて足を止めた。
「お陰様でね」
貴巫女が肩を竦める。
(化粧で隠してるけど目の下に隈が出来てる。これは今朝方まで掛かったな…)
楽人が範子の顔も見ると、睡眠不足の差でこちらの方が酷かった。
「よく頑張ったな。偉いぞ範子」
「えへへ~。須磨っちに褒められた~☆」
数日ぶりに会った好きな相手の賛辞に、範子の顔が綻ぶ。
(よく気付くわね)
貴巫女は楽人に甚く感心した。
彼女とて年頃の少女でありギャルだ。
範子の分も含めて、男に簡単に見破られるような化粧なんてしていない。
現に、登校して今までに挨拶をした39人、誰一人として彼女の隈に気付いていなかった。
もし楽人に理由を尋ねれば、
『ドットの違いより分かり易いだろ?』
と非常識な答えが返ってきて、彼女は唖然とさせられていたことだろう。
ざわ、ざわ…
親しげに話す楽人たちを目の当たりにして、クラスメイトたちの動揺が口を突く。
「一体どういうことだ?」
「あの綾波さんが男と話してる…だと……!?」
「貴巫女お姉様が男のものになるなんて!」
「のりりん、趣味わるっ」
「俺は夢でも見ているのか。悪い夢なら覚めてくれ…」
「いや、現実だ。俺にも見えている」
「いつの間に名前で呼び合う仲に?」
「ソシャゲ君、須磨って名前だったんだ…」
「俺だって真島さんに徒名で呼ばれたいっ!」
「…普通に友達になれば?」
「媛菜は気にならないの?」
「別に~。あたしには九条君がいるし」
「ボクもどうでもいいかな」
「え~? 何か知ってたら教えなさいよ~?」
(中々に酷い言われようだな。俺ってそんなに評価が低かったのか…)
楽人は全て聞き取れたわけでは無かったが、少なからずショックを受けた。
しかし、別にクラスメイトの彼の評価が低いわけでは無い。
学校カースト最上位の二人から急に親しくされれば、それが仮に、同じく男子の最上位である九条であっても、妬み嫉みは避けられなかっただろう。
逆に、事実無根の誹謗中傷や陰険な話が出ないだけ、このクラスの民度や楽人の評価は高いとすら言えた。
「ねーねー須磨っち~。こないだのプリク……はにゃっ?! 貴巫女っち何すんのっ!?」
範子が胸元からスマホを取り出してロックを解除した途端、貴巫女が手を伸ばしてスマホをスリープモードにした。
「の・り・こ? 人の迷惑になることしちゃ駄目って、いつも言ってるでしょ?」
貴巫女はスカートのポケットからスマホを取り出し、背面を指差して言った。
指の先にあるのは、先日楽人たちと撮ったプリクラ。
「あっ…ごめん」
範子はスマホを手で隠しながら、スリープモードを解除して壁紙を以前の写真に戻す。
貴巫女は【共生者】に断りなく【リアライザー】を晒すことを批難したのだ。
小さいプリクラならコスプレやCGと誤魔化せても、スマホの待機画面ではそうもいかない。
(【超生物保護法】もできたし、別にもう、バレたらバレたで諦めるんだけどなぁ……編入試験に落ちた時を考えるとまだ秘密でも良いけど)
当の楽人は、もうサーニャを隠すことに拘っていなかった。
スマホの背面にはサーニャと二人っきりのプリクラを貼っているし、待ち受け画面は先日のサーニャ謹製のデコプリクラを設定している。
尤も、学校でスマホを起動させれば、“ミレニアム戦記”をしてばかりの彼のスマホを覗き見るような人間は、もうクラスには誰も居ないのだが…。
「――知りたいか?」
クラス中がヒソヒソ話をして、楽人たちがスマホのことで遣り合っていると、突然“眼鏡オタク”が大きな声を張り上げた。
「手塚君?」
「知ってるのか! 手塚っ!?」
「一応、仮にも、自称だけど情報通だからな」
「たまにガセネタもあるけど、眼鏡が絡めば信頼できるはずよ」
「…今回は眼鏡関係ないぞ」
「とりあえず聞いてみましょうよ」
クラスメイトたちの手塚新蜂に対する評価は怪しかったけれど、聞いてみて損は無いという結論に至って教室が静まり返った。
「説明しよう!」
ゴクリッ
誰かの生唾を飲む音が、静かな教室内に響き渡る。
「俺と須磨たちは…」
ゴクリッ
また誰かが生唾を飲んだ。
「…一緒に織田信長コンテストを見てきたんだっ!」
――一瞬、教室が完全に静寂に包まれた後、
「マジかよっ!」
「あれ行ってきたの?」
「関係者以外が情報統制してたんだろ?」
「よく見れたな!」
クラスメイトたちが手塚に詰め寄る。
「俺の情報網を嘗めるな」
“眼鏡オタク”が右手の中指で、下がってもいない眼鏡をクイッと上げる。
ウオオオオ―――――ッ
クラス中から雄叫びが上がった。
(嘘だな)
(嘘じゃん)
(嘘よね)
楽人たちは冷ややかな目で手塚を見て、心の中で同時にツッコミを入れた。
彼らは当日、手塚が広告を見て驚いた姿を目撃している。
「証拠! 証拠は無いのか?」
「そうだ! 証拠を見せろ!」
「「「証拠っ! 証拠っ! 証拠っ!」」」
教室中に証拠コールが巻き起こる。
パンパンッ
手塚が手を叩くと、証拠コールが止んだ。
「いいだろう…」
手塚はズボンのポケットからスマホを取り出すと、バッと椅子の上に飛び乗ってスマホを掲げた。
「――これを見ろっ!」
彼が掲げたスマホには、美し過ぎる織田信長――織田信那――のポロリの瞬間が、待ち受け画面に設定されていた。
海鳴市の公式ウェブサイトほどアップでは無いが、小さな突起周辺も隠されていない。
ウオオオオオオオオオーーーーーーーーーーッ
楽人と九条を除く男子全員が雄叫びを上げた。
「デカっ!」
「片方で頭並ってマジか!」
「公式と違う角度だ!」
「くれ! 写真くれ!」
「ニップレスは? ニップレスもあるんだよな!?」
「俺たち親友だよな?」
必死に詰め寄る男子生徒たちに、女子生徒たちの視線が冷たく突き刺さる。
――しかしそれも、一人の女子が発言するまでのことだった。
「…武将無双の信長さまも……写真あるの?」
2年B組の数少ない眼鏡女子の一人武藤早苗が、男子の輪の外からスマホを握り締め、縋るような眼差しで手塚に問い掛けた。
彼女の声は小さかったけれど、眼鏡女子の声を、眼鏡好きを公言するこの男が聞き逃すはずが無い。
「勿論あるぞ……ほら」
彼がスマホを弄って出した写真は、武将無双というゲームの若くてイケメンな織田信長が、もっこふんどしでふんぞり返っている写真だった。
その腰と太ももが丸見えの艶姿に、女子の三分の一が溜め息を漏らした。
バッ
早苗が真剣な顔で右手を挙げた。
「5万っ!」
「早苗っ?!」
彼女の狂言に友人が驚いて顔を見ると、そこにはプロのギャンブラー顔負けの表情をした親友が居た。
「倍プッシュ」とか「狂気の沙汰ほど面白い」とか言い出しそうな顔で。
「5万出すから私だけに売ってちょうだい」
どよ、どよ…
「ひっ、一人だけしか買えないのか?!」
「夏休み散財して、今金ねーよ…」
「協力して買おうぜ」
「おう!」
「割り勘な」
「ヴィランのNOBUNAGA様のオンリーワン!? もう二度とこんなチャンス無いじゃないっ! 親に借金してでも買うわっ!」
早苗の一言から、教室はてんやわんやの大騒ぎになってしまった。
パンパンッ
手塚が高所から手を叩くと、クラスメイトたちは静まり返って彼の言葉に耳を傾けた。
「いや、売らないから。拡散しないって誓約書書いたら無料でやる。但し誓約破ったら親にバラすけどな」
クラスメイトたちから安堵の溜め息が漏れる。
独占したかった早苗も、拡散されないならと諦めた。
本来なら、親にバラすなんて脅しにもならないけれど、かなり性的な写真を誓約書を書いてまで欲しがったという事実は、非常に不味い。
このクラスには、世間体や将来を捨ててまで拡散する馬鹿は居ないようだった。
手塚が写真は明日配ると約束をして、その場はお開きになる。
――翌日、手塚は約束通り、希望するクラスメイトに織田信長コンテストの写真を配布した。
但し、公序良俗に反する部分をそのままでは不味いので、ギリギリまで隠れるように加工した写真を。
勿論、ブーイングもあったけれど、彼に「捕まったら責任取ってくれるのか?」と言われて渋々諦めた。
尚、興味が無い振りをしていた眼鏡の委員長も、後でこっそり写真を貰ったという…。
むっつり眼鏡女子、いいよね!




